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「百獣の王」アフリカ大陸縦断の旅〜ケニア編⑦〜

 2018年8月28日午後18時、12時間の睡眠を終えて、すっかり元気になった私。危機管理と状況判断について、整理ができたことで、寝られる時に寝ておく、という貴重な能力を手に入れたのでした。同日には、晩御飯を食べるために街に繰り出し、貧富を表した夜のナイロビを初めて感じました。そして翌日には、S氏による草食動物腹下しの話、ナイロビの撮影話を聞き、明日からサファリツアーをご一緒するお姉さん方からは、カバンの紐をナイフで切られ、盗まれた話を聞きました。これらの情報を得た私は、危機管理と疑念による精神的グラフの制御へと、一歩ずつ近づいていける気がしました。

 2018年8月30日午前7時、出発の2時間前というずいぶん早い時間に起床。いつもならギリギリまで眠っていたいはず。サファリツアーを心底楽しみにしている自分がいました。アフリカに来てから、初のツアー参加。ツアーという響きだけでどこか気の抜けていた私は、何となく気分転換に髭を剃って、旅の張り詰めた精神状態から逃れようとしていました。
 さすがは日本人宿がアテンドしてくれたツアー。出発予定時刻の午前9時、私とぴょんすとY氏、そして日本人のお姉さん2人を乗せたミニバンは、時間通りにマサイマラ国立公園へと向かいました。ここでも旅人同士の話は尽きないもので、トランプをしながら5人で楽しく過ごしていました。途中で白いトウモロコシを買い、なぜか早くも土産もん屋に寄らされ、睡眠とお喋りを繰り返すこと約6時間、ようやくコンクリと砂地の道路を抜けて、私たちは森の中の未舗装道路へと突入していきました。本当にこんな道を通れるのか、と疑いたくなるほどガタガタの道路。今にも横転しそうなほど揺れるミニバン。しかし、そんな悪路も、幾度か立ち塞がったほぼ池レベルの水溜まりももろともせず、ボディを泥だらけにしながらミニバンは走り続けました。しばらくすると、窓の外にたくさんのちびっこたちが姿を現しました。森の中をミニバンより速く駆け抜けていく裸足の少年少女たち。私たちには見向きもせず、大自然を全身で感じているようでした。

「(学校とかはあるんかな。マサイマラ小学校出身です!と言ってみたいわー。掴み完璧やろ。)」

 そんなしょうもないことを思いながら、ぼーっと裸足を見ていると、私の体が大きめの揺れを観測しました。ミニバンはまさに川に差し掛かったところでした。ぬかるみにタイヤを取られながらも、アクセルをふかし、何とか脱出に成功。しかし、おそらく別会社の同日ツアーであろう後続車は完全に動かなくなってしまいました。

「後ろの車大丈夫か?」

「前進できる気配なしやな。」

「みんなで押しに行った方がいいんじゃない?」

 とりあえず降りてみようと、私たちはドアに手をかけました。しかし、運転手が先に降りて、私たちを制止して、トランクからロープを引っ張り出し、後ろの車へと駆け寄っていきました。彼は難なく私たちの車と後ろの車をロープで括り付け、運転席に戻りアクセルを目一杯踏み始めました。すると、徐々にぬかるみから脱出していく後ろの車が窓ガラス越に見えました。そして、運転手は再び車を降り、当たり前かのようにロープを回収し、目的地へとミニバンを走らせました。

「慣れすぎてない?」

「毎回こうなってる感じよな。」

「ツアールートやったら、もうちょっとええ道あっても良さそうなもんやのに。」

「まぁでも今のがサファリ内じゃなくて良かったよ。サファリで車から降りるとか怖すぎ。野生に殺される。」

 その後も揺れに耐え続け、出発から約6時間後の午後3時すぎ、私たちはようやくマサイマラ国立公園に到着しました。車が停まり、屋根付きのベンチに座らされ、ガイドの説明を聞く時間がしばらくありました。バイキング形式の食事だということ、シャワー付きのテントに宿泊すること、日没後のサファリは危険すぎるので、今から1時間だけサファリ内を少し見て回れること。必要っぽい項目だけ理解して、私たちは他で来ていたグループと合同でサファリ用のミニバンに乗り換えました。

「(車体に凹凸、目立った傷なし。肉食動物に襲われてる形跡なし。よしよし、乗る前から恐怖心煽られることありません!)」

 いよいよ野性の動物たちの暮らしにお邪魔する瞬間が来ました。いかにもサファリっぽいゲートを抜けると、見渡す限り緑一色。すると、開閉式の天井がオープン。さすがに5人同時には顔を出せないので、交代制で高い位置からサファリを一望しました。幼い頃にアニマルプラネットで画面越しに見ていた雄大な自然が、直接目に飛び込んで来ました。どのリアクションが正解か分からないまま、ただ黙ってガゼルやシマウマ、その奥に広がる景色に見惚れていました。その間、運転手は無線機を起動させ、誰かと話している様子でした。

「よし、近くにライオンの群れがいるらしい。まだ混んでるみたいだから、もう少し探索して、最後にライオン見て帰ろう。」

「初日からライオン!すげぇ!しかも、たった1時間のプレサファリで!」

 どうやら運転手は他の運転手と無線で連絡を取り合い、目玉になりそうな動物の情報を共有しているようでした。

 初めこそシマウマやガゼルに見入っていたものの、圧倒的数の多さに、そろそろ別の動物も見たいなぁ、と思っていた頃でした。やはりガイド歴が長いと、観光客が草食動物に見飽きる時間が手に取るように分かるようになるのか、おそらく車内観光客全員が待ち望んでいたタイミングで、運転手はライオンに目掛けて進路を変更し始めました。

「らいおーん!」

「やっほー!」

「ハクナマタター!」

「「ハクナマターター!!!!!」」

 テンションは最高潮になり、随分と知能指数が落ちてきた頃。すぐ先におそらくライオンを見るために停車している2台のミニバンが見えました。さらにそこへ近づき、運転手同士が何やら会話をした後、私たちとライオンの間を隔てていた片方のミニバンがゆっくりと移動を始めました。ゆっくりとその姿を見せる百獣の王。

「「うぉぉおおおお!」」

「近い!でかい!」

 凛々しく寝そべる最強の肉食動物。私たちと彼らの間には、良くも悪くもミニバンの扉1枚だけ。大迫力の猛獣に少しでもお近付きにと思い、ほんの少しだけ窓から顔を出してみる私たち。一方で、終始ぐったりダラダラした様子のライオン。

「(まぁ狩以外の時間はこんなもんよなぁ。野生やし、好きに生きてるよそりゃあ。)」

 活発な姿のライオンを見たかったという気持ちはありましたが、本来の姿を近くで見られて大満足の私たち。本格的なカメラを持ち合わせていたY氏を筆頭に、各々撮影タイムに入りました。すると、前の席に座っていた別グループの男性が、鞄から何かを取り出しました。それは、どこかの土産屋で購入したのか、日本でいうところのデンデン太鼓的なおもちゃ。彼はおもむろにそれを鳴らし始めました。数秒間それを私たちに見せつけたかと思うと、それを凝視していた私たちに、託したような表情でデンデン太鼓を手渡しました。

「こっちを見てる姿を撮影したい。これを少し鳴らしてライオンを振り向かせてくれ。」

 こんなクソバカ提案でしたが、舞い上がって知能指数が著しく低下していた私たちは、まあまあの音量でデンデン音を響かせてしまいました。

 大自然に消えていく太鼓の音。チラリとこちらを向くライオンの姿。

 そして、猛ダッシュで駆け寄ってくるセキュリティーの車。その車内にはピストル所持おじさん。

 誰がどう見てもブチギレている顔の彼は、声帯を極限まで絞った最大声量で、怒息散らしていました。鳴らすのをやめろというジェスチャー。どう見てもヤバい空気を察し、すぐさま制止する私たち。ほんの数秒間、時が止まりました。

 そしてその瞬間、聞いたこともない獣の鳴き声が、鼓膜を揺らしました。

 全身を駆け巡る本気のライオンの威嚇。

 一瞬で凍りつく、灼熱のサファリ。

 そうです。目の前でライオンがブチギレた瞬間でした。

 ピストルを構えるセキュリティ。立ち上がって周囲を睨み付ける百獣の王。それを尻目に急発進をかますミニバン。

 幸運にもピストルとライオンが私たちを追いかけてくることはありませんでした。

「いやぁマジで怖かった。」

「やばい。死ぬかと思った。」

「体動かんかったもんな。」

 ライオンのスポットからしばらく離れ、ようやく口を開き始めた私たち。あまりに怯える観光客たちを見て、なぜか大爆笑の運転手。

「ははは。危なかったな。うん、今回は運が良かっただけだ。次からは絶対に音鳴らすなよ。マジで殺される。本当なら10万円の罰金ものだぞ。今回だけは見逃してやるけどな。」

「「本当にすいませんでした。」」

 完全に浮き足立っていた私たち。世にも珍しい、100%私たちに非があるという事実。なぜ見逃されたのかは不明でしたが、動物には決して敵わない、調子に乗っていけないと、初日のわずか1時間で野生動物の恐ろしさを痛感しました。と同時にピストル保持のセキュリティおじさんの恐ろしさも思い知りました。

 もう2度と大自然に逆らいません。小童風情がすいませんでした!

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