見出し画像

「カロ族の余韻ー原住民と現代文明ー」アフリカ大陸縦断の旅〜エチオピア編〜⑬

 2018年8月26日午前9時半、ジョンが運転するバイクの後ろに跨り、数時間に続いた悪路を耐えてきた私。何度か振り落とされそうになりながらも、ようやくゴルチョ村に到着したのでした。オモ川沿いに集落をつくり、そこで生活するカロ族。対面のご挨拶もそこそこに、写真撮影と称して、お金を稼ぎに来る姿には面食らいましたが、初めて原住民と接触できることに、私の胸は高鳴っていました。そこからは、ジョンの案内のもと、カロ族の衣食住を観察。家の中を見せてもらい、ご飯やビールをご馳走になり、食料や生活物資の調達方法を教えてもらい、一緒に写真撮影をするなど、前傾姿勢で学びにいきました。
 そして時刻はお昼、まだまだ知りたいことが尽きない私でしたが、彼らとお別れの時間。とても3時間弱の滞在で満たされる場所ではありませんでした。カロ族が育んできた生活様式が、いかにして現代文明と関わりを保っているのか。限られた時間の中で、わずかながら彼らを知ることができた私は、このカロ族との出会いをきっかけに、ますます原住民に魅力を抱くようになりました。


 炎天下の帰り道。再びトゥルミへ向かうため、さほど景色の変わらない獣道を引き返す私たち。行きのことを思い出せば、憂鬱になるところ。しかし、私にとってこの帰り道は、自分の考えを整理するための貴重な時間でした。

 なぜ、カロ族に会いたかったのか。なぜ、彼らを魅力的に感じたのか。なぜ、原住民に興味を持っているのか。カロ族に出会う前と後で、私は何を得ることができたのか。


 アフリカのことについて調べ始めて、大陸縦断の計画を立てた、あのエジプトでの1日。その中でも、エチオピアでカロ族に会うことは、私にとって最大の興味でした。しかし、なぜ数ある原住民の中から彼らを選んだのか、そもそも無数の観光地から、なぜ原住民の暮らしを選んだのか。と聞かれれば、その時の私は明確な答えを持ち合わせてはいませんでした。「自分と異なる暮らしをしている人たちを見てみたい。調べた限り、エチオピア原住民の中で、訪れたことがある人が少ない。なんか白いペイントあるし、面白そう。」といった、とまぁ答えられてもその程度の薄い興味。それでも、振り返ればこのカロ族と出会う前の私には、重要な部分が2つあったことに気が付きました。

・未知の世界に興味を持っていたこと
・カロ族に行くためのルートだけ調べ、その生態については全く調べていな 
 かったこと

 そして、私はカロ族と出会い、その生活を知って学んでいきました。古来から続いてきたであろう自給自足という彼らの生活様式。しかし、その彼らを揺れ動かす、お金や物資といった目に見える価値の高さと利便性を兼ね備えた現代文明の発達。この場に来なければ、私は一生経験することのなかったこの狭間に、彼らは身を置いているのでは、と感じました。

【従来の生活様式】
・顔や体に白のペイント施すことや派手な衣装を着ている
・メイズやソルガムなどの穀物を育て、それを食料としている
・牧畜を行っており、牛のミルクや家畜そのものを食料としている
・オモ川で漁を行っている
・100kmほど離れたマーケットまで数日かけて徒歩で行くことがある
・電気屋ガスなどのライフラインはなし
・木(主に竹)や藁で家や、その他の建物を造っている

【現代文明発達後の生活様式の変化】
・元は奥地のジャングルに住んでいたが、経済発展に伴うダム建設や森林伐  
 採によって、オモ川沿いの砂地に集落をつくった
・撮影代やペイント代、入村料をお支払いしなければならない
・観光客は大きな収入源
・ガラス食器やプラスチック容器、綺麗な水が定期的に都市部から運ばれて
 くる
・マーケットまで車で移動することもある
・エチオピア政府のサポートを受けている

 従来の生活様式を現在でも大切にして生きている一方で、現代文明と関係を築かなければならない彼ら。しかし、上記のことはカロ族に限ったことであり、他の原住民族がいかにして、自らの生活様式と現代文明の均衡を保っているのかはそれぞれの方法があると思われます。彼らを知って、さらに疑問を増やしていく過程で、自らに蓄積される知性。私にとっての未知の世界が広がっていたここに、強烈な好奇心を覚えました。

 なぜ自分自身が原住民に興味を抱いていたか、少しわかってきた私。

「(いや、待てよ。何かまだ腑に落ちんな。自分の中に、まだ未解決の部分があるような、、、。)」

 それは、エチオピアに到着した初夜のこと。物価や移動手段、土地やそこに住む人々、様々な情報収集の末に上陸したエチオピア。しかし、蓋を開ければ、選択と共にそのほとんどが塵と化していく、身につけた知性。そして、宿から見渡す夜のエチオピア。私は未知の世界に放り出されたのでした。この状況は私に恐怖を与えました。

「(やっぱりそうか。同じ未知から、全くの別物がつくられてたんや。)」

 カロ族との出会いと、エチオピアの初夜。この異なる2つの状況で共通項があるとすれば、未知の世界に放り込まれたこと。カロ族との出会いにおいて、未知の世界から知性を構築し、抱いた強烈な好奇心。一方で、エチオピア初夜において、知性が崩壊し、未知の世界に放り出され、芽生えた恐怖。そしてこの2つは対立するものではなく、未知を介して循環しているのではないかと考えました。


    知性の崩壊 → 未知 → 恐怖 
      ↑          ↓       
   好奇心 ←  知性の構築 ← 未知


「(図にしたら、こんな感じかなぁ。。。)」

 と脳内で想像した私は、ようやくどこか腑に落ちた気がしました。情報収集をしたあの時、カロ族へのルートだけではなく、カロ族の生態まで調べてしまったとすれば、恐らく私は、知性の崩壊から順に矢印を辿っていたのだと思いました。その一方で、情報収集をせずに、エチオピアの初夜を過ごしていたとすれば、未知から知性の構築へと順に矢印を辿っていたのだと思いました。

 そしてこの循環が私の中で確立されていると気付いた時、なぜカロ族に行きたかったのか、という当初の薄い理由にも納得できました。私は、循環を繰り返して、上記の図の下に土台となる知性を蓄積させていたのでした。そして、この幅広い知性の土台が、興味の範囲を設定しているのだと考えることができきました。さらに、この興味の範囲に見合った過去の知性を自らで操作し、未知に飛び込み、また循環を繰り返し、それが一層分厚く知性の土台を造っていたのです。


 知性の崩壊 → 未知 → 恐怖 
  ↑            ↓       
好奇心 ←  知性の構築 ← 未知
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

       ↘️  ↑  ↙️
          興味


「(改めて図にしたら、こんなことに。。。)」


 カロ族訪問と、エチオピアの初夜。この2つの状況を比較することで、未知、知性、恐怖、好奇心の4つに循環があり、そこから蓄積された知性の土台が、さらに強固な循環になるよう組み立てていると気が付いたのです。また、このそれぞれの割合によって、どの位置から新たな一瞬が開始されるかが変化していくと考えられました。


「(この一瞬も循環に取り込まれ、新たな流れを造ってくれる。)」


 若干スピードの落ちてきたバイクの後ろに乗って、自分の感情と思考を噛み砕いていました。そして、すでに見えなくなったゴルチョ村の方を振り返りました。


「今日はどんな夜を過ごそうかな。」

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?