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受け入れるしかない人生でどう生きたいか。

この土日は、家籠りだったからか、

うっかりネットサーフィンしてしまった。

ネット上はどこでもコロナ三昧の情報、

悲しみ、制度への怒り、不安‥。

日頃、ほとんどテレビもネットサーフィンもしないから、

いろんな情報を見て、

感情が刺激され、

もろに影響を受けてしまった。

それに夫の無職への不安・恐れ、

さらにはこんな中

仕事にフルタイムで行かないといけないこと

への怒りみたいなものまで加わってきた。

今日の朝は最悪な気分でした(^_^;)


そんな気分が本当に嫌で、

「今日はお昼、海まで散歩して

気持ちをすっきりさせよう」と決めた。

ランチもそこそこに、

海の見える公園までお散歩した。

公園には、たくさんの桜や

チューリップが花壇にあふれている。

それを見て、

「世間はコロナでみんな参っているのに、

自然ってそんなこと関係なく美しいな」

とふっと感じた。

そう、

自然にとっては、

コロナが起ころうとも、

人が亡くなろうとも、

人権が守られなかろうとも

なんでもないんだ、

って気が付いた。


自然は無慈悲だって、よく言うけれども、

色々な物事に

「いい」「悪い」「嬉しい」「悲しい」

をつけているのは人間だけ。

自然はどんな出来事対しても中立。

台風や地震で多くの被害を出そうとも、

いつもと変わらない。

そして、恐ろしいほどに変わらずに美しい。


そんなことを考えていて、

「何が起こってもどうしようもない。

どんなことも起こりうる。

それなら私どうしたらいいんだろう。」って

思った。


善悪を叫んで、人や制度に意見を主張する。

そうしたらもちろんそれが認められることも

あるだろうし、言うことでよりよい方向に進むこともある。


だけど必ずしもそれが叶うわけではない。

悲しいほどつらいことを

受け入れないといけないこともある。

裁判でもどう見ても正義であることが

救われないことだってある。


結局そういうときには、

最終的には

「受け入れるしか」ないんだよね。


そのことに気が付いた時、

心から人生に絶望しそうになった。

どうしたら希望が持てるんだろう

じゃあ、何のために生きているのって思った。


だけど、目の前の花たちを見た。

咲き誇っている花の隣で、

折れている花。

しおれてしまった花がいる。

そうか、

どうならなくても、受け入れるしかなくても、

こうやって咲く花は美しいんだなって感じた。

そんな風に、

短い人生はそれぞれ咲き誇って生きるしかない。


人生を「そんなものだと諦めて生きる」ではなく、

この花たちのように、

生きている間は、

鮮やかに美しく生きるしかないし、

そうしたいって思った。


倒れても、負けても仕方ない。

だけど省エネして生きたり、

モヤモヤばかり抱え生きていたくない。


そんな気持ちになって、

ようやくすっきりしました。


そして、やっぱりネットで情報を入れすぎるのは

私には向いていないみたい。

しばらく、必要な情報以外は見ないように

心がけることにしました。


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