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飛行機の思い出 - #01 (JAL NRT-HKG)

フライト内容:1995年8月25日 日本航空(成田〜香港)

自分は年間4〜50回は飛行機に乗っている。
最近はコロナ禍で、自由な行き来ができないのが、本当にストレスなので、過去のフライトを振り返りつつ、思い出深いフライトを順次書いていこうと思う。

第1回目は、JALの成田〜香港便
自分の初めてのフライトとして、思い出深いので書きます。

自分が初めて飛行機に乗ったのは、1995年8月25日。平成7年の事である。
ある日の事、当時仕事を請けていた社長から「香港でシステムを開発してくれない?」と言われたのがきっかけである。
当時は海外はおろか、飛行機すら乗ったことのない自分にとっては、未知の世界なので、とりあえずパスポートを申請し、香港行きの準備を進めた。

当日、社長と成田空港で待ち合わせたのだが、彼は、
「俺ファーストだからさ、一緒にファーストで行こうよ」と言いながら、チケットカウンターに行き、記憶では60万円くらいの片道航空券を買っていた。飛行機って高いなー、と思ったのも憶えている(苦笑)
初のフライトがファーストクラスというのも、そうはないと思う。
当時はスタッカードシートなど無いので、隣どうしで座り、タバコを吸いながら香港に向かった(いい時代だったなー)

なぜ日付を覚えているかと言うと、初フライトと言うのもあるが、その日はウィンドウズ95のアメリカでの発売日で、空港のテレビだったか何かで、大々的にニュースになっていた。
「触ってみたいなぁ」などど、社長と話していたのだが、香港に着いて、PCを買わねばならず、電脳街の旺角に行くと、Windows95のコピー品が山ほど売られており、最高に興奮したのもいい思い出である。

途中機内食が出たのだが、コースで出て、とても美味しいステーキだった。
「飛行機も悪くないなー」などと、モノを知らない自分は呑気に4時間の空の旅を満喫。
当時はまだ啓徳空港だったので、夜景のビルの中に突っ込んで行くさまは、エラく興奮した。
またイミグレのレーンは長蛇の列で(今思うとファーストクラスだったのに、専用レーンじゃなかったんだな)味わったことのない湿気と暑さで、ひどく疲れた。
日本に戻って、友人に話すと「そんなの普通じゃありえない」とのこと。そりゃそうだ。
思えばその時の体験が強烈過ぎて、今の自分に反映されちゃったんだなー色々な経験を積ませてもらった社長には、未だに感謝しています。

香港にはその時、一ヶ月くらい居たのだが、当時の自分には何もかもがカルチャーショックで、「このまま日本に居てはダメだ」と強く感じたのを覚えている。だからこんな感じになっているんだけど・・・
未だに香港に行くと、何となくノスタルジックな感じになってしまう。

私の香港初上陸は1995年の返還前。
1997年の返還後、少しづつ中国化が進み、2020年の今は、完全に中国になるような感じ・・・とても悲しいが、仕方がないのだろうな。
最後に行った香港は、香港在住の従姉妹に頼んであったiPhone XS Maxを引き取りに行った、2018年の秋か・・・
またぶらっと遊びに行きたいです。

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