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藤沢旅行記(11/24)

白紙の半日

二日目の朝。目が覚めると畳の匂いがした。
和室で寝たのはいつぶりだろう。外を見ると昨日とは打って変わって天気が良く、雲一つない青空が広がっていた。
起きてから近くのスーパーでパンとお茶を買い、囲炉裏の側で食べた。スマホを充電しながら、さて、どうしようかと考える。というのも、二日目の予定は一つしか考えておらず、午前中は特に予定を入れていなかった。
迷った末、スタッフにおすすめの場所を聞いた。しばらく歩けば長谷まで行けるという。カフェやたい焼き屋があることも教えてくれた。
せっかく晴れているので、長谷まで歩き海を見に行くことにした。

呆然と海

晴れていたので上着を羽織って歩くと暑く感じた。観光地でもない、どこにでもあるような通りを無心に歩いた。目的地に近付くにつれ、少しずつ青と白を基調とした色の建物が増えてきた。平日だからか人は少ない。
海へ着くと磯の香りがした。浜辺を歩くと、砂の柔らかい感触を感じた。穏やかな波の音が心地良い。陽が海面に反射して眩しく輝いていた。こまばらではあるが、この時期でもサーフィンをしている人がいた。

浜辺を歩きながらふと、家に籠りきりだと五感を使う体験が少ないことに気付いた。現実世界に根を張って物事を感じ取る体験を、ここ数年めっきりしなくなってしまった。スマホを日がな一日見ていて視覚ばかり使っていては頭でっかちになるのも無理はない。
悩みを解決するには、家で一人悶々と考えていても仕方がないのではないか。誰かが解決してくれるわけではなくとも、外の世界にヒントはないか。
誰か、または何かと関わることで、もっと自分の形を知ること。それが今の私にとって一番の最適解に思えた。浜辺を歩きながら、波の音や砂の感触に身を委ねていると頭がすっきりしてきた。

しばらく浜辺を歩いてから、街へ戻った。
ゲストハウスのスタッフ一押しの喫茶店「Café 坂の下」が近くにあったので寄った。

ラムレーズンパンケーキ

小腹を満たして、少しだけ本を読んだ。猫は外で日向ぼっこをしていたが、時々店内に入ってくる。不愛想で人を寄せ付けない雰囲気があったが、猫らしくて好感が持てた。

シネコヤ

最後の目的地は、藤沢のとある映画館だ。

シネコヤ

シネコヤという小さなシアターで、ウォン・カーウァイ作品の「恋する惑星」をそこで見る予定だった。
最寄り駅は別にあったが、あえて遠回りをして江ノ電で向かうことにした。長谷から藤沢にかけて、道中に海岸沿いを通る区間がある。もう一度電車から海を見たかったのだ。
車窓から眺める景色は、窓枠で景色が切り取られてポストカードみたいに見える。だから私は直接見に行った場所でも、電車に乗ってからもう一度眺めるのが好きだ。思った通り、電車から見た海は綺麗だった。電車を降りて、駅から学校や民家の間を歩く。映画が始まるまでには余裕があった。

シネコヤの特徴的なところは、パンと本も楽しめる点だ。かぼちゃスープとパンのセットを頼んでシアタールームへ入った。20席程度しかない、小さな部屋。朝のうちに予約をしていたので一番乗りで入ることができた。少し前の席が良いですよ、とスタッフの方が教えてくれた。この作品は没入して観た方が楽しいから。
パンとスープを食べながら「恋する惑星」を観た。舞台は1994年、私が生まれた年だ。
恋人に振られた警官223番(金城武)が、恋人の好きなパイナップルの缶詰を買い集める。自分の誕生日である5月1日が期限の缶を毎日少しずつ買い集め、期限までに連絡が来なければ彼女を諦めようと決意する。期限が近付くにつれ缶詰は値引き商品になり、やがて売り物にすらならなくなる。案の定最後まで彼女からの連絡は来ず、彼は買った缶詰を全てやけ食いしてしまう。
期限というテーマに強く魅かれた。缶詰の期限は刻印から読み取れるが、恋愛の期限は目に見えない。もう切れているのかもしれないし、実はもっと続くかもしれない。人との関係もアイデンティティにも期限がある。それは死ぬまでかもしれないし、明日までかもしれない。
後半は別な警官633番(トニー・レオン)とファストフード店の店員フェイ(フェイ・ウォン)の物語だ。「ミッドナイト・エクスプレス」というファストフード店の名前が気に入った(沢木耕太郎の「深夜特急」が由来ではないとは思うが)。
633番は223番とは対照的に、変化というものに頓着しない。633番にはCAの彼女がいたが、別れてしまった。それでも変わらず仕事をして、ファストフード店で食事を買う日々を送りながら、彼女を忘れられずにいる。フェイは633番に興味を持つ。633番の部屋はこっそり鍵を手に入れたフェイによって勝手に模様替えされているにも関わらず、本人は中々気付かない。部屋に置かれた大きなぬいぐるみが別なものに変わり、財布の中の切手がコルクボードに貼られ、缶詰が別な味付けにすり変わっても、彼はしばらく気付かない。
部屋は彼の心の中を表しているのではないかと思った。本人も気づかないうちに、633番の心はフェイによって上書きされていく。偶然にも決定的な瞬間に出くわしてやっと、彼はその変化に気付く。気付かれないように、しかしどこか気付いてほしそうなフェイがなんともいじらしい。

恋する惑星 特集コーナー

映画を観終わってからコーヒーを頼んで、書籍コーナーを眺めることにした。映画公開時のパンフレットやキネマ句報など、ここでしか読めないものに出会えた。
つい長居してしまい、帰る頃には外は真っ暗になっていた。電車に揺られ、景色が何も見えなくなった車窓を眺めながらぼんやりと思った。
私の心は何も失ってなどいなかった。
働くうちにただ少し埃が積もっただけだった。
埃を払えば好奇心も、行動力もそのままの場所にあった。
これからどこへ行こうか。
きっとまだ、どこへでも行ける。

帰り道、明日が期限のパンを買った。
明日の朝食にするために。

玄米パン(+照り焼きベーコン)と一口スコーン

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