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子供時代を引きずって休職したのかもしれない

休職して1ヵ月が経った。最初は寝てばかりいたが、最近は生活リズムも安定してきた。
散歩は欠かさず、自炊も毎日続けている。趣味も楽しむ余裕もできた。仕事ができないこと以外は、特に問題のない暮らしを送っている。

最近は休職前の自分について冷静に振り返る余裕もでてきた。
適応障害になったきっかけは、上司に怒鳴られたことだった。teamsの通話で延々と罵声を聞いた。しまいには「辞めちまえ」とまで言われた。
上司が発破をかけるつもりで言っていたことは分かっていたが、深夜対応や長時間残業で疲弊していたこともあり、私には耐えられなかった。

休職は今回で2回目となる。前職でも、上司に怒鳴られ続けたことがきっかけだった。
休職の原因となった上司は、二人とも中高年で子供のいない男性だ。
仕事については彼らから学ぶことが多く、業務の段取りや考え方を身に付けることができた。しかし、仕事を一通り覚えるまでついていくことができなかった。
他にも厳しい人と働いたことはあるが、謙虚に仕事を教わることで信頼を得て円満に働けたこともある。

なぜ、休職した時の上司にはついていけなかったのだろう。

彼らは仕事ができる反面、情緒のコントロールが苦手な人たちだった。
言っていることが日によって違うことや、その日の機嫌で態度が変わることは日常茶飯事だ。成績として結果を残していたが、現場で一緒に働く人からの評判は芳しくなかった。
彼らの下で働く人たちは、上司の態度を受け流すことで乗り切っていた。職場の同期も同じような状況に悩まされたことがあるが、理不尽な意見にはぴしゃりと言い返すことで状況は改善したという。

それにしても、彼らは誰かと似ている。あの態度。自分のことは棚に上げて人の言動をあげつらう習性。誰だったか…。

そうだ、父親だ。

以前から度々書いているが、私の父親はアルコール依存症である。
自分の気持ちを上手く伝えることができないために、酒を利用してぶちまける。些細なことで怒鳴り、有名校への進学を子供に誓わせる。落ち着いて話そうとしても取り合わない。
母は「普段はいい人だから」と問題を放置していた。私が抗ったところで、父はただ暴れるだけだった。興奮すると弟や母にも被害が及ぶ。
いつしか私には父という理不尽に対して、黙って耐えることしかできなくなっていた。
酔って説教している時はうんうん頷いて聞く。「俺は仕事を頑張っている」という主張には肯定してみせ、なだめて満足させる。タイミングを見計らい、お茶を出して自然な流れで寝室へ誘導する。
スナックというものを知ったのは大人になってからだが、実家での私はスナックの接客に近いことをしていたように思う。

今、父との関係はある程度決着がついている。
しかし自分の中に残る、父のような存在への恐怖や諦観は未だに拭えない。
どうしたらいいのだろう。
このまま、育ちの十字架というものを背負って生きていくしかないのだろうか。

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