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7つの街

どの街も不確かな壁に囲まれていた。

わたしは7つの街で働いてきた。まるであちらの街からこちらの街へと旅するように。

昔は街から出ようと考えるものはいなかった。街で与えられた役割をこなしていれば老いるまで比較的幸福に暮らすことができたからだ。街の外に出れば後ろ盾がなくなり、まるで舵を失ったヨットのように大海をさまようことになってしまう。どの街も外に出ると危険だと思い込ませることで世の中の仕組みが成り立っていた。

壁の外の世界を知りたいという思いにかられるまま、わたしは7つの街で生きてきた。数万人の大きな街もあれば、50人足らずの小さな街もあった。100年の歴史を持つ街もあれば、これから街そのものをつくるという時もあった。異国の人に支配された街もあった。

7つの街で生きてきた経験は、ある種の旅する力を身につけさせたとも言える。例えば、新しい街に足を踏み入れるときには、その街のプロトコルに従わなくてはならない。既にそこにいる住民たちで構成された日常に溶け込み、自分の生活をはじめる必要がある。その街には何がどこにあるのか、どういう人が何をしているのか、何が許されて何が許されないのか。時には地図をつくったりしながら。門番に注意されることなく街に馴染む必要がある。

そして街に貢献する役割を果たさなければならない(図書館における夢読みのようにその街に不可欠な)。しかし、基本的な旅するスキルを身につけておけばどんな街でも心配する必要はない。例えば、暖を取るためには火の起こし方や薪ストーブの扱いに慣れておく必要があるし、食事を取るためには、材料を手に入れる方法やパスタを茹でる方法を知っておく必要がある。どの街でも生きていく方法に大きな差はないのだ。

大げさにいうと基本的なスキルを身につけておけばどんな街でも生きていける。大きな荷物は必要ではない。必要なものは概ね街に用意されているからだ。最初は戸惑いがあっても少し経てばその壁に囲まれた生活に慣れてしまうだろう。

居心地のよい毎日が続くかもしれないし、不安な毎日が続くこともある。時が過ぎ、いつしか壁の外に出ていくこともある。それが数年後なのか数十年後なのかは誰にも分からないのだけれど。

街から街へと移ろう生活も30年になり、自分に残された時間を考える年齢になった。どんなに長く旅をしていても、これから先のことはまったくわからない(まったく進歩していないのだ)。運と縁に身を委ねて、アンストラクチャな生き方を、偶然を楽しみながら(もちろん楽しみだけとは限らないのだけれど)続けていくしかないのだ。幸運にもわたしの影はまだ一緒に旅をしてくれそうだ。

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