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ルチアーノ・デチェッコ「シーズン中の努力が報われること、これ以上の喜びはありません」

元記事:https://thececco15.com/no-hay-mayor-tranquilidad-que-la-de-sentir-que-el-deporte-te-recompensa-el-esfuerzo-de-toda-una-temporada/

見出し写真:legavolley.it

※翻訳はあくまで趣味の範囲であり、誤訳が含まれる可能性もあることを了承いただきお読みください。

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皆さん、こんにちは。
前回のコラムでお伝えしたように、2週間後には今シーズンの最終戦が行われ、スクデットを獲得することができました ミッション達成です。

何ヶ月にもわたる困難な状況にもかかわらず、Civitanovaというクラブをイタリア・SuperLegaのチャンピオンに導いた選手の一人となれたことは、とても幸せなことです。

しかし、私は非常に慎重であり、私のキャリアにおいて派手なお祝いをすることはほとんどないのです。(私のことを知っている方はおわかりかもしれませんが)
それに、もう疲れていて動く気にもならないんだ。ははは。

イタリアで3つ目のタイトル(2017/2018-Perugia、2020/2021-Civitanova、2021/2022-Civitanova)ですが、私にとってこの数字に特別な意味はありません。いつも言っていることですが、引退して初めて、自分が何を成し遂げたのか、どこまで到達したのかを振り返ることができるのです。

SuperLegaで3回優勝したアルゼンチン人は他にいないことを、私のウェブサイトのプレスチームから聞きましたが、私はそのことを大げさに考えないようにしています。そういう事実は、私よりもプレスにとって重要なことなのです。
私はコートの上で喜びを見出します。私はチームとして考えることが好きで、代表チームやヨーロッパのリーグで歴史を作っている世代の一員であることが幸せだと言えるでしょう。

セバ・ソレ(セバスティアン・ソレ)も東京オリンピックの銅メダリストですが、彼とは過去2回のSuperLega決勝で対戦しています。また、フランスリーグのクラブNarbonneでCEV Challenge Cupのチャンピオンになったアルゼンチン人も何人かいます(ウリアルテ、ザノッティ、Zerba、ラモス)。1988年のソウルオリンピック銅メダリストや1982年のワールドカップ3位の選手たちがヨーロッパで活躍したように、私たちもまたアルゼンチンバレーボールの名声に高い足跡を残す世代の一人となったのです。

Lubeにとって、SuperLegaのタイトルを維持することは、自分たちに課した目標のひとつでした。
また、来シーズンから別のシャツでプレーするチームメイトにとっては最後の試合となるため、満員のアリーナでホームで優勝カップを手にし、このように締めくくることが重要だったのです。

そのために、あらゆる手を尽くしました。
シーズン通しての努力がスポーツで報われると思えば、これ以上の喜びはないのです。

私たちは非常に厳しいプレーオフを経験しました。
準決勝(vsTrentino)第2戦の終了時点で、私たちは負け越していましたし、今をときめくチームで、チャンピオンズリーグの準決勝でPerugiaを破ったばかりのTrentinoを相手に逆転できるとは誰も思っていなかったのです。
精神的にも試合内容的にも苦しかった。しかし私たちは蘇り、再びプレーし始めた。そして、歴史をひっくり返したんだ。

それからは、さまざまなシチュエーションがうまくいくようになりました。そして、私たちは強くなりました。
Perugiaとの決勝戦で見せたようなレベルのプレーを、誰も期待していなかったことは理解している。また、(敗北した)第3戦を除いて、私たちが相手の最高のバレーボールを阻止したためか、私たちの影が薄くなることも予想していなかったようです。

また、決勝戦のプレーが盛り上がりに欠けていたことも確かです。
緊張感があると、いろいろなことがかかっているので、バレーボールはあまり盛り上がらないのです。準決勝のPerugiaとModena、そして私たちCicitanovaとTrentinoとの闘いは、第3戦からずっと、決勝戦よりも技術的なレベルが高かったのは確かでしょう。だからこそスクデットを狙うには、頭の中を強くすることが大切なんです。

決勝の第4戦、私たちはシリーズを締めくくるチャンスを生かそうと決意してプレーに臨みました。もし負けて、Perugiaホームに戻って5試合目をやらなければならないとしたら難しかっただろう。
このチャンスを逃してはならず、一球一球考えてプレーしなければならない。チャンスがあるのなら、それをコートで見せる時だったのです。

この試合ではいくつかの特殊な点があった。例えば、監督は試合中、たった1回だけ、あるプレーで交代を要求した。
私たちは、さまざまな状況に対して、何度も修正を加えながら解決策を探っていくゲームをしてきていた。最終的にはバリエーションに富んだチームになっていたのです。
最終戦はすべてがスムーズにいき、それはコートに立った私たちのメンタリティーを物語っている。私たちは完璧で、ストレートで締めくくることができたのです。

シモンが決勝戦のMVPを獲得しました。彼はシーズンを通して最高の選手でしたから、当然の結果です。彼は非常に難しい局面でチームを引っ張ってくれました。彼とは特別なつながりがあり、彼がこのような評価を受けたことを誇りに思います。

(試合後に)コートに人が入ってきたとき、母親と妹とハグすることができたんです。そしてコートの上で、父とビデオ通話をしました。とても感動的でした。

授賞式では、真ん中にいると落ち着かないので、壇上の片隅に立ちました。(深夜)12時頃、控室に着いて携帯を手に取ると、メッセージが爆発的に増えていました。さすがに全部に返事をすることはできませんでした。

その後、チームメイトやコーチングスタッフ、家族数人とレストランに行きました。私の母親、妹、そしてプレーオフ期間中にチームと一緒に練習していたアルゼンチン人の友人、フェリペ・ベナビデスが同伴してくれました。
夕食の途中、体中が痛くなってきたときがあった。そろそろ限界だった。

頭をリラックスさせると、2日、3日と何もする気が起きない日が続く。

それでも木曜日の夜には、家でガスグリルを使ってバーベキューをしました。フェリペと一緒にハンバーガーとソーセージを買いに行って、母親がエンパナーダ(アルゼンチンの家庭料理)とポテトを焼いてくれたんだ。最後にチームメイトが何人か来てくれて、とても楽しい時間を過ごすことができました。

(最後に試合があった)水曜日から、1年間に経験したすべてのことについて、何度も考えました。スポーツのことだけではありません。

昨シーズン無観客でスクデット獲得し、その直後に東京オリンピックで銅メダルを獲得し、そして今、SuperLega2021/2022でタイトルを再び獲得しました。

その間、私はうつ病や不安神経症の症状に悩まされました。私は、チームのためにすべての問題を先送りにしました。
そして、スポーツはその喜びを私に返してくれたのです。
それは成長を意味するものですが、個人的にはその過程で打撃を受けました。

今はバレーボールから離れ、プロのアスリートという枠を超えて、一人の人間として心の平穏を取り戻したい。
数日間休んで、自分を取り戻し、頭の中を整理したい。

そうして初めて、またスポーツに全力を注げるようになるのだと思います。

それではまた、お会いしましょう。


【デチェッコの過去記事】

抱えていた苦悩と、五輪後に母国へ帰り改めて噛みしめたことなど。

オリンピックの盛り上がりは1ヶ月しかもたなかった…降り積もる苦悩や落胆、そして協会への不信感。深く考えさせられる内容でした。

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