見出し画像

「知らない」という贅沢

江戸時代の1年分=現代人の1日分 と聞いて何の量かわかるだろうか。
正解は情報量である。我々は江戸時代の人が1年かけて受け取る情報をわずか1日で手にするようになった。情報量と比例して、我々は幸福になったのだろうか。

知ることによる格差意識

精神的な格差は物理的な格差を超越する。戦前、都市部と地方部は情報的に隔絶されていた。そのため、地方住民は都市住民の暮らしをぼんやりとしかイメージできなかった。そのため、経済格差は現在の比にならぬほど大きかったが、地方住民に劣等の意識は少なかった。なぜなら都市部の生活を知らなかったからである。しかし、高度経済成長期には「三種の神器」という言葉があったように、テレビが都市地方問わず普及した。そのため、都市部の暮らしがリアリティを持って地方に届けられるようになった。経済の格差は農業改革や全国総合開発計画により縮小したが、意識の格差は以前よりも拡大したのではないだろうか。より上の暮らしを「知る」ことにより劣等感が生まれることになった。
「知らない」ことは他者との比較を生まない。比較がなければ自分の生活に誰もが幸せを感じることができる。しかし、上流の暮らしを知ることにより、自分の生活が惨めになり幸せではないと考えてしまう。

画像1

不要な情報によるストレス

現代人は1日1時間以上をSNSの閲覧に費やしている。その内どれだけの情報が本当に必要だろうか。恐らく9割以上が自分の生活に必要ではない。同僚の食べたランチや芸能人の情報など、知っても自分の人生に大きな影響はない。むしろ悪い情報を目にすることによるストレスや、他者への羨みなどに感情が動き、デメリットの方が多い。これらの情報から身を守らねば、情報量という海に溺れ常にストレスに晒されることになる。
自分に関係ない情報を避けることは、自分の身を守ることに他ならない。

選択肢の増加と後悔

多くを知り選択肢が多くなることも、人間にストレスを与える。俗に言うジャム理論である。たしかに、繁華街では行く店を決めるのに時間がかかるし、メニューが多ければ悩む時間も増える。無意識化でなるべく損失(例えば不味い店・メニューを選ぶこと)を避けようとしているのである。万一ハズレを引いた場合、我々は他の選択肢があることを知っていると後悔してしまう。他の選択肢を知らなければ、後悔は知っていた場合と比較して少なくなるだろう。
また、選択することは脳のエネルギーを消費する。スティーブジョブズやマークザッカーバーグが毎日同じ服を着ているのは、生活の枝葉なことに選択のエネルギーを注がず、重要な意思決定にエネルギーを注ぐためである。
選択肢の数と幸福度は比例しない。むしろ反比例する。

画像2

私たちはこの世界の全てを知ろうとしている。もはや神の域に達していると言っても過言ではない。しかし、知ることによって少しずつ幸せを失っている。身の回りの情報だけあれば、十分に幸せであることに気づかねばならない。これまでは情報量と幸福度は比例するように考えられていた。しかし、手に入る情報量が膨張し続けた現在、知っている情報量が多いことは不幸を招くようになった。これからは、「知らない」ことが幸せになる第一歩になるのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?