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自己啓発、生産性↔️旅

数ヶ月、1年、もしくはそれ以上の期間、旅をするのは正直怖いと感じる。
今の時代、旅とはほとんどの場合、娯楽だ。
もちろん人によっては研究といった意味があるかもしれない。

しかし、僕の場合は「自分の好奇心を満たすため」という、言い訳がつかないくらい、しっかりとした娯楽だ。

つまり数ヶ月、1年旅をすることは、それほど長い時間を娯楽に使うことになるのだ。
しかも、その間には基本的に労働はない。

長期間娯楽に浸るなんていうことは、よくよく考えれば怖い。
それが旅、つまり漂流ということならなおさらだ。

定住すれば、移動の時間も、移動中の宿探しも、違う文化圏に適応する労力も必要としない。
簡単にいえば、定住すれば、時間、労力、精神力などを温存できる。

温存したそれらを、"生産的"なことに使うことが、"ちゃんとした"生き方なのだろう。
資格を勉強したり、スキルを身に付けたり、社会やお金について勉強したりなどすれば、もしかしたら「お金」というカタチで将来自らに還元されるかもしれない。

ところが、漂流の場合。
体力も精神力も、それに時間も漂流に取られていく。
ひとつの場所に腰をすえて、何かに対してじっくり打ち込むことが難しくなる。

旅、漂流はそういった意味で、非生産的だ。

今の時代、自己啓発で自らの存在を高めることが求められ、副業や複業で自ら稼ぐことも求められる。
ただ無目的に放浪するなど、意味がないどころか、この社会における"自殺行為"と思われても仕方ない。

旅に行く人もなんとなくそれはわかっている気がする。
旅で何かを得ることも、自らを高めることがないかもしれないと、うすうすわかっている気がする。

それでも、旅に出たい。
ただ好奇心がうずくから。

自らを高めることも、お金をいっぱい儲けることも、生産的な人間になることも、絶対にやるべきことではないと思う。

もちろん、したい人はすれば良いし、努力しなかった分のしっぺ返しを受けるのは、自分だ。

約80億人に達する世界総人口。
社会、自治体単位で見ても、「絶対にいなくてはならない人」なんてほとんどいないだろう(ましてや国、世界ならなおさらだ)。
悪く聞こえるかもしれないが、「いてもいなくても良い存在」なら、自己啓発や生産性を無理強いされず、漂流しながら生きても良いと思う。

そう自分に納得させながら、旅の準備を進める。

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