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二度と戻らない味と、春と。
2022.4.3(Sun)
おばんです。ともさんです。
春。事業構想学研究科に入学しました。あと2年、大学で暴れる時間をもらいました。
これで、「地域創生」の人ではなくなるわけですが。本業たる公共交通の研究をする傍らで、今まで通り「地域創生」の看板も背負って、いっぱい地域に入っていき、なにか少しでも残し、生み出して行きたいと思います。そもそも公共交通と地域とは、切って切れるものではありませんし。
そして、宮城大学をいまよりもっと面白い場所にして、志をともにする人を一人でも増やすためにも粉骨砕身動きまわりたいとも思います。これを読んでくれている方の中には、これから関わることになる方も居るかと思います。いつもせかせかしてる変なヤツかもしれないですけど、何卒よろしくお願いします。
さて、そんな入学の日にここ最近でもっとも悲しい知らせが。
具体名は伏せますが、私がずっと昔から親しんできた和菓子屋さんが店じまい、つまり閉店したそうなのです。
現在の私の家からもそう遠くなく、行こうと思えばいつでも行けたそのお店は、ひっそりと、誰に言うこともなく閉店しました。
以前から当たり前のようにあったそれがまさか無くなるなど考えはせず、突然の現実はまるで冷たくなった人のように重くのしかかります。
当時の天皇陛下が仙台にやって来た時に、献上されたお菓子を作ったのはそのお店だったと聞きます。たとえデパートの地下に置いてあっても他に見劣りするどころか他が気押されるのではないだろうか、それくらいの味と技術を持っていました。
しかし、そんなことは一切鼻にかけることもなく、最後まで、親しみやすい”団地の和菓子屋さん”を貫きました。実際、上に挙げた天皇陛下絡みのエピソードは、私も少し前までは知らなかったことです。
おそらく、これは私の憶測にすぎないのですが。売上が落ち込んでの閉業ではないように思います。それくらい、地域住民から愛されたお店でしたし、いつ行っても後ろには次のお客さんが来ていました。
つまりは、後継者不足。後継ぎがいなかったのでしょう。私からすれば、仙台の宝とも言いたいようなお店の歴史と技術が失われてしまいました。売上で持続可能性を考えがちですが、売上だけじゃないんですね。地域資源を守り続けることの難しさを思い知らされます。
お菓子を買うときの気の良さそうなおかみさんとのちょっとしたやりとりも、人にあげるために大量にお菓子を買ったらおまけをつけて頂いたことも、まるで昨日のように蘇ります。せめて、最後にもう一度…。
今はつらい想いですが、それでも、精一杯のお疲れ様と、今までのありがとうを伝えたいと思います。
入学すると同時に訪れたこの出来事は、切なくも、しかしこれからまた地域へと入ってゆく私の背中を叩いてくれるような、背筋が伸びるような思いを抱かせてくれました。
春風や 闘志いだきて丘に立つ!
新しい人との出会い、世の中の変化、そしてわたしたちの暮らす地域はいよいよ人口減少局面に。周りはめまぐるしく変わってゆきますが、自分のできることを精一杯やりたいと思います。
とりあえず、私は新しい行きつけの和菓子屋さん開拓、ですね(笑)
次にお気に入りのお店を見つけた時には、みなさんにも食べてもらいたかったあのお店の分も、今度は後悔しないようにみなさんにお知らせしたい気持ちでいっぱいです。
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