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街に落ちていたのは、自分でした。

通勤路のゴミ

当時のわたしの住まいは、駅から400mほどのマンション。
その短距離間にコンビニがひとつある。

出勤日は毎日その道を通るわけだが、転勤で越して来た当初からまぁまぁ汚い。おそらくそのコンビニで買ったであろうホットスナックや食料品の包装ゴミが「さっきゴミになりました」みたいな顔で風にパタパタと煽られている景色が日常茶飯事だ。田舎で育ったわたしにとってそれは相当な不快だったし、驚きであり、違和感だった。

紆余曲折あった後、わたしはある夜「明日あれを拾いに行くぞ」と決意し、翌日もその意志を引き継いで出発した。引っ越して来た時に作業で使った白色で手首の部分だけが黄色の軍手を探し出し、三角形に折り畳んで保管していた大きめのビニール袋を片手に。

ひとつ拾うとそこは別世界

やっぱりいた。昨日見かけたやつだ。そう心の中で自分に得意げに話しかけて、そいつめがけて足早に進み拾い上げた。たった5秒程度。今度はそのゴミの10cm隣にタバコの吸い殻を発見。「あ」とついで感覚で拾う。するとまたその先にタバコが1本、また1本。どこかに導かれるようにしてゴミが次から次へと見つかる見つかる…!まるで考えていたゴミ拾い散歩とは異なる、衝撃的な別世界へワープしてしまったようだった。

もうひとつの新世界

「あっちにもある」と、完全に”ゴミの目”を得たわたしは無心になって拾いまくっていた。探す集中力と見つけた喜びと拾う達成感と綺麗になった満足感。全てを初めて味わっていた。帰宅する頃には持参したビニール袋は溢れんばかりに満杯。なんなら拾いきれず見過ごしたゴミもあったが、これ以上持ち帰れない、と諦めて帰ってきたのだ。額には汗が滲み、引っ越しでも汚れなかった真新しい軍手はすっかり土まみれで汚れていた。そして、帰宅し足を止めた瞬間、わたしはもうひとつの世界に辿り着いた。

「なにこの、気持ちよさと気持ち悪さの同居感。」

胸がじーんと熱くなって、涙が出そうで出てこない。
感情が溢れてくるのに頭が真っ白。
そして、動くことも話すこともできないまま表現できない、その新しい世界の前にわたしは立っていた。

初めまして、わたし。

放心状態で片付けを済ませ、自宅の椅子に腰掛けてから気づいた。

頭の中がとんでもなくスッキリしてる。

今まで味わったことのない気持ちよさではあったが、不思議だった。なぜなら気持ち悪さも味わっているはずだったから。想像していた以上、いやそれ以上にゴミが落ちていたし、汚かった。臭かった。自分の住む街がこんなに汚いことがショックだったし、それをみんな無視してることも虚しかったし、拾えなかったゴミのことを思うと悔しかったし。確実に後味の悪い痛みみたいなものも感じているはずだった。

でも、なんかものすごいスッキリしてる。

足を動かして土地勘のある自宅周辺を歩き回り、手でゴミを拾い、目でゴミを探し、耳にはイヤホンからのお気に入りのBGM。そう、暇なのは頭だけだった。ゴミを拾っている間ずっと、初めてわたしの頭だけが暇、という状況に意図せずなった。

だから頭は対話をし始めた、わたし自身と。

実は嫌だなーと思ってた過去のこと。
こうなればいいのにな、って思っている本音。
あん時あれが許せなかったのにはこういう背景も影響してたな。
こういう気持ちって、あの人の真似して出て来てるなぁ。
と。

勝手に頭が始めたこの自分自身との初めましての会話が、帰宅すると同時に終わって、全部整理できちゃっててもう何にも悩んでないし、もう何もモヤモヤしてないし、もう何も中途半端で放り投げた考えがなくなっていて、頭の中が整理整頓されていた。なんなら片付けたおかげで余白ができて、好奇心や余裕がそこに既に入りそうな感じだった。

ゴミ拾いって、もしかして。

拾ってたのは、自分自身と向き合うための時間や空間、機会そのもの。落ちていたのは、今まで向き合ってこなかった自分自身。ゴミ袋に集めて来たのは、自分の中の不純物、毒素、ストレス、闇。

その瞬間、全部がつながった。

ゴミ拾いは、瞑想だ。

あの時から、もう少しで2年。
ゴミ拾い続けながら自分らしさを見つけ、その通りに心地よく生きて、このメゾットをより多くの人に広まり幸せに生きる人が増えるように願い、今、ゴミエッセイというnote.を書き始めている。


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