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水圧のごとき/5分で読める現代短歌03

ガラス戸にやもりの腹を押しつけて闇は水圧のごときを持ちぬ
/吉川 宏志

 吉川 宏志の第一歌集『青蟬』から一首。今でこそ国内外1100名超の会員を擁し一般社団法人化したアララギ系短歌結社「塔」の主宰を務める50歳を迎えた吉川だが、この第一歌集の刊行は彼が26歳のときだというのでもう驚く以外なにもできない……。たとえば他に、

あさがおが朝を選んで咲くほどの出会いと思う肩並べつつ
円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる
水と泥きびしく分かれる池の底 鯉は浮力に耐えて眠れる

など、名歌秀歌を数えれば枚挙に暇がない。金魚の歌、この発見できます?

 掲出歌もそうだが、とにかく吉川の巧さは喩と把握にあると感じる。

 蒸し暑い夏の夜、あかるい部屋からガラス戸に目をやると、外に張り付くやもりの白い腹が浮かび上がっている。ただそれだけの情景を淡々と描写しており、特別な主張はなく、主体の心情も明言されない、いわゆる叙景歌。しかしこの巧さよ。
 湿度の高い、まとわりつくような夜、それも騒がしくはなくどこか不穏な夜の空気感を〈闇は水圧のごときを持ちぬ〉と描写できるか。
 湿り気や重たさから“水”を抽出してよしんば〈水圧〉までは出せたとしても、さらに擬人法で〈闇〉がさも〈やもりの腹を押しつけて〉いるかのように、眼前に見えている現実とリンクさせられるか。ここでやもりはあくまで客体であり、その受ける“水圧”はガラス戸を通して主体にも及ぶ。
 〈ガラス戸〉と〈やもり〉から、おそらくは自宅などの宿泊施設で、しかもそれほど煌びやかではなさそうな感じをそれとなく提示できるか。吉川作品の“景のココを抑えると描写に納得感が生まれる”というポイントの捉え方は極めて優れているように思われる。どうやったら26歳でこの域に達するんだろう~~~。

ガラス戸にやもりの腹を押しつけて闇は水圧のごときを持ちぬ

 また、暗喩《闇は水圧を持ちぬ》ではなく直喩〈闇は水圧のごときを持ちぬ〉なのも効いている。ここで〈ごときを〉がないと、〈水圧〉は単なる圧力の一種として回収されてしまいうるだろう。〈闇〉そのものに固体液体と近しい明確な体積を与えてしまい、捉えきれない底知れなさが損なわれる。あくまでも〈ごときを〉とひとつ距離を取ることで、その余白には、目に捉えられない“湿度”といった不穏を読者は得ることができるだろう。闇は、白く照らされるやもりの腹あってこそ、室内の主体から闇として認識された。

ガラス戸にやもりの腹を押しつけて闇は水圧のごときを持ちぬ

 韻律面でも整っている。
 基本的には定型57577を守りつつ、四句は〈闇は水圧の〉3・5の8音でやや詰まる。これにより〈闇〉の存在感は増すし、特に〈水圧の〉にかかる圧は高い。ここではやはり歌意と韻律の連関があるだろう。
 母音の抑制も自然に、それでいて力強く為されている。子音の整理にはそれほど恣意的なものを感じないが、決して嫌な不自然さを持たないので、それで十分。むしろ作為があからさまになってしまうと、しらける。読者は主体とひとつになりたいのに、あいだで作者がノイズになってくる。

 強い主張はせず眼前の現実の景色を丁寧に描写することで、読者に主体の“眼”を通してその景色を見せる。そして心情や感慨を追体験させる同化装置。このようにアララギ派短歌の本懐を考えるとき、吉川の自然でいて技巧的な文体は、王道をゆくひとつのように思われる。

ガラス戸にやもりの腹を押しつけて闇は水圧のごときを持ちぬ
/吉川 宏志「渚、夕なぎ」

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