とら~ぬの哲学Ⅰ~とら~ぬが考える「生きる」ということ~

とら~ぬの哲学。このコーナーは普段とら~ぬがどんな考えに基づいて生きているか、どうして生きていこう(生きるべき)と考えているか、といったことをまとめていきたいと思う。

このコーナーに関しては書きたいことも沢山あるが、正直に言えば同時にこれまで執筆を躊躇していたコーナーでもある。これを書くということは自分と向き合うことでもあるからだ。しかし今後の自分を考えれば何かしらに残しておく必要があると思っているため、稚拙だとは思うが、ここに残しておきたいと思う。

1.とら~ぬの座右の銘が生まれた理由

人生明るく楽しく元気よく

これは私が常日頃大切にしている言葉のひとつである。言い換えれば「座右の銘」というやつかもしれない。これを決めたのは今から16年前に遡る。

私は小学校時代、二度校舎から身を投げようとしたことがある。どちらも明確に死に対する意志を持っていたと思う。

私自身人の話を流すのが苦手な人間であり、冗談を冗談と受け取れないがために割と角が立つことがあった(今も変わらないかもしれないが)。それがきっかけで休み時間の度に教室の後ろに呼び出されては格好の餌食になっていた。家庭科の授業で使う裁縫セットを授業前に開けたら空になっていて(当然身に覚えがない)、給食室の屋根に中身が放り投げられていたこともあった(後から分かったがご丁寧に針は屋上の側溝に捨ててあった)し、実習のためにバケツで育てていた稲に水をなみなみと張られ稲が死んでしまったために実習が成り立たなかったこともある(結果的に数粒しか取れなかった)。今だから言えるし事故だとも思っているが、ドッチボール中にボールを確保しに行って、僕がとろうとしたボールを蹴りだそうとしたらしく手の指の靭帯を持ってかれたこともある(全治10日程度)。

悪いことは重なるもので、試合当日三日前に出る予定の試合から外されたり(編成の都合上ではあったが)、普段なら絶対取らないテストの点数を取ったりもした(当時の僕は「テストなんて普通にやれば80点以下なんて取らない」と本気で思っていた)。

もう駄目だ…。そう思って誰もいないうちに屋上のフェンスを乗り越えようとして止めたのが一回。二回目は先生に見つかって止められなかったら本当に飛び降りていたと思う。

2回目の晩、ベッドの中でひたすら考えた。それまで寝つけなくてもそれなりに横になっていれば爆睡してまた学校に行っていたが、この晩だけはほぼ一睡もしなかった。悩みに悩んだ結果、たどり着いた結論。それは

辛く考えるから自分も辛くなる。辛くても明るくいれば何とかなる。だから明るくいよう。

この考えから生まれたのが冒頭の座右の銘である。この考えにすがることで今までどうにか生きてこられたと思っている。

2.これまでのとら~ぬを振り返ると

私は基本一個のことにエネルギーを極振りすることはできても、複数のことにエネルギーを振り分けることが大の苦手である。そのためいつも小まめに予定を入れ、「ここまで頑張ろう」「今度はこれに向けてこうしよう」「ちょっと時間はかかるけどこうやればいけるかな」といった形でそこを「生きる目的」にして頑張ってきた…つもりだった。

これが明確に壊れ始めてきたのは一人暮らしを始めて一年ほどしたときからである。

簡単に言えば身体がついてこなくなってき始めた。眠気は抜けない。心臓の痛みで家で倒れたこともあった。栄養剤を大量投入していたこともある。

埋まらない孤独。会社でも同期とは(人事部ということもあり)スタートの段階で意図的にかなり距離を置いた。寮でもない私が距離ができるのはあっという間だった。

くじ引き旅の仲間も麻雀の人達も皆都内だ。地元では高確率で人に会う。ボランティアにしても頭目を張り後輩たちを引っ張るとすれば弱音など吐いてはいられない。常に自分を鼓舞してやってきたつもりだった。

しばらくして、会社の仕事中、先輩に呼ばれて別のフロアでの打ち合わせを終え、階段で戻る途中のことだった。

私はふと吹き抜けの下を覗いていた。独りで高いところには近づかない。これは校舎から飛び降りようとした時に決めたことだったが、ふと眠気に任せて縁に手を掛けようとしていた。

気づいてすぐに止めたが、そんな日々が続いていた。

楽しくない。結果がでない。上手くいかない。もっと寝ていたい。それでも頑張らなくては。心はいつも渦巻いていた。

これはいけない。私はボランティアに関して降りる決意をした。10年やったら義理も立っただろう。わざと悪態をついて止めようとしていた反対派も力付くで黙らせた。

とにかく何もしたくない。そんな思いばかりが私の心を締め付けた。気付けば周りから人は確実に減っていた。

それでも断固としてある程度放り投げたこと、思い切り息抜きしてみたことで今はほんの少し気は楽になったつもりでいる。決してよい行動だったとは言えないが、ある意味自己防衛本能が働いたのかもしれない。


3.とら~ぬが生きる意味

とら~ぬは頭おかしい

とら~ぬはやべえやつ

とら~ぬは能力低い

とら~ぬは人の話を理解してない

Twitterでこの4つ辺りの表現を目にしたことがある方も少なくないだろう。人によっては「あいつとは関わるな」くらいいわれているのではないかと思うことすらある。はっきり言おう。私もそう思う。こちとら親戚一同含めて生まれてこの方30年近く言われてきたんだ。年季が違う。

私はこの言葉についてはいつもこう思って跳ね返してきた。

当たり前だよ。だって僕は普通じゃないのだから。

…冷静に文章にするとただのイキリにしか見えないが、言い方を変えれば「普通のままでいたくなかった」ということだ。

自分は人より劣っていると思っていたから、とにかく人に追いつきたかった。剣道も勉強もその他のことも、とにかくただそれだけだった。上を目指し続けることがとにかく当たり前だと思っていた。そのためなら短命で倒れてもいいとすら思っていた。どうせ捨てようとした命だし、長くは持たないことくらいは自分の身体なのだから薄々感づいてすらいた。

自分を律するのが下手だからか、めまいで家で何度も倒れたし、意味もなく涙が出たこともある。水曜どうでしょうの大泉洋よろしく突然膝のペチペチが止まらなくなったこともあった。そのピークがあの包丁だったと思う。

僕の生きる意味、それは「自分の生きた証を遺す」ことだと思っている。どんな形でも良い。誰かに笑われても、頭おかしいと思われても、自分がピエロになってでも、とにかくなにかに埋没したくなかったのかもしれない。埋没して人に忘れられるような人にだけはなりたくなかった。そんな思いだけだった。正直この考えができていなかったらもう既に五回ほど死んでいると思う。

こう思うのにも僕には1つ大きな転換点があったからだ。


とら~ぬの哲学Ⅱ~とら~ぬが考える「死」~に続く

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