30 Day Song Challenge Day 4

Day 4 A song that reminds me of someone I’d rather forget (忘れたい誰かを思い出す曲)


〇Closer/The Chainsmokers


ファーストキスのことを思い出す曲です。たぶん忘れたほうがいいと思うんだけど、道玄坂をのぼるときいつもその人の姿を人混みの中に探してしまうのです。どこかにあの顔がないかと思ってすれ違う人の顔を振り返って見てしまう。
彼と出会った時のわたしは、人付き合いに疲れ果てて、自分に見合うものを探していた。彼はわたしに見合っていたと思う。少なくともその時はそう感じた。彼みたいな人とやっと話ができることが嬉しかった。わたしたちには共通の話題がたくさんあった。わたしは彼と話すことで、自分が世界のどこに所属しているのか、あらためてはっきりさせようとしていた。わたしを傷つけるような人たちとは距離をおいて、彼のような人たちがいる世界へ行きたかった。その場所こそが、この広い世界で、わたしが所属すべき場所だった。わたしは彼に撫でられながら、わたしを傷つけた人たちへ復讐していた。



その日、わたしは道玄坂をのぼりながらこの曲を聴いていた。マンションの中庭にはまっすぐでひょろひょろと細い竹があって、どこでもない空中にすらっと伸びていた。部屋の前にはアマゾンの空き箱があった。彼は鍵を締めるとき、ドアチェーンまでかけたがるタイプだった。部屋に間接照明なんか置いてる男はろくでもないからやめとけと誰かが言ってたのを思い出した。wi-fiの接続が恐ろしく悪かった。なんだかんだ日テレが一番おもしろいよねと彼は言った。テレビの横にはアドラーの嫌われる勇気が転がっていた。こっちに来て、と言われた。わたしたちは限りなく近かった。

わたしは長きにわたってテラスハウスのファンだったのだが、この番組は性的同意の何であるかを男の子たちに全然教えてないのだと最近、気づいた。それでちょっと嫌な気持ちになった。今はNetflixの契約もしていないし、当分はするつもりもない。嫌いになったわけじゃないけど、でももしかしたらわたしみたいな気持ちでテラハを楽しんでいる人って実はそんなにいないんじゃないかと気づいてから、少なくともテラハ好きだと公言するのはやめようと思った。わたしはあのスタジオコメンタリーの時間が嫌いだ。あそこだけスキップして見てたくらいだ。

住人たちがランダムに見せてくれる(ように見える)人間模様が好きだった。その飾らない、ひたむきな想いが表面に表れる時、テラハってすごくインスパイアリングだなと思う。わたしも頑張らなくちゃとやる気になる。みんな違ってみんないい、って思えるような番組のことがわたしは好きだし、テラスハウスはわたしにとっていつだってそうだった。あれはいい、あれはよくないって誰かのやり方に干渉し品評するのでなく、純粋に人間同士の交流が生むパワーを、それだけを見ていたい。でもそれはもしかして無理なお願いなのかもしれない。テラハは現実の庶民生活から遠くかけ離れているように見えて、時に妙にリアルに接近しすぎている時があって、その異常なまでに追求されたリアリティーは人を傷つけている。傷まで含めて、リアリティーショーなのだ。これはただのショーではない。リアリティーショーなのである。

当たり前のことだけど、同意はいつも確実にとられなくてはならない。どんなにダサい取り方であっても、誰かに見せられたようなものでなくても。交渉こそが真の人間模様であり、それを行わないことは怠惰であるばかりでなく、人間としての品位の問題にかかわってくる。誰かがそこで被害に遭っているにもかかわらず、声をあげないでいることはわたしには難しい。わたしたちはどうやってリアリティーと戦っていくべきだろうか? どうかテラスハウスよ、それを教えてくれる番組であってくれ。そしてできればリアリティーの方向性を少しずつシフトさせていってくれ。

それでもやっぱり、わたしがあの人のことを好きだったことはほんとうのことだから。どんなに不完全でも未熟でも、わたしはやっぱり好きですよ。だから話し合いをやめたくないし。ねえ、あなた、聞こえていますか? これはショーではないけど、紛れもなくリアリティーの一部だ。わたしはこの人のことをいつか小説に書く気がする。わたしの人生には書きたかったけどうまく書けなかった人の記憶がいくつかぷかぷかと浮かんでいて、彼の記憶もその一つになっている。