ジャック・ロンドン「赤死病」#9

「無常の世界は泡のように消え去る」老人は何かの引用らしき言葉をつぶやいた。(訳注:アメリカの作家George Sterlingの詩"The Testimony of the Suns"からの引用)「そう――消え去るのだ、しかもはかなく。この世の人間があくせく頑張ったところで、それはしょせん泡のようなものにすぎない。人間はこれまで自分たちに有益な動物を家畜とし、反対に無益な動物を絶滅させ、野生の草木が茂る土地を切り開いてきた。そして人類は一度死に絶え、それまでの努力を一度無にして、まったき原始の生活に逆戻りした。雑草と木々はふたたび人間の土地に生い茂り、猛獣どもは人間の財産であった羊の群れを食い尽くした。そして今となってはクリフハウスビーチにオオカミがうろついている」老人は自分の科白にあらためて驚いたふうだった。「かつて四〇〇万の人が遊んだこの場所を今は野生のオオカミが我が物顔でうろつき、一方未開人たる人間の子孫が原始の武器で牙をもった動物から身を守らんとしている。なんてことだ! そしてそのすべては赤死病、スカーレット・デスによる――」
 その形容詞がヘアリップの耳をひいた。
「なんかいっつも言ってるけど」と彼はエドウィンに言った。「スカーレットってどういう意味なの?」
「スカーレットのカエデが私の心を震わせる。まるでそばを通り過ぎるラッパのように」老人はまた何かの引用をした。(訳注:カナダの詩人 Bliss Carman の”A Vagabond Song”からの引用)
「赤だよ」エドウィンが質問に答えた。「知らないのはお前がチョーファ族の出だからだな。奴らはほんとうに何にもものを知らない。スカーレットは赤って意味な」
「でも赤はレッドでしょ」ヘアリップはぼやいた。「そんな気取った言い方して、なんか理由でもあるの?」
「じいさん、誰も知らない言葉ばっかり使うのはどういうわけ?」ヘアリップは老人に問いかけた。「スカーレットなんて言わなくたって、赤はレッドでしょ。どうしてレッドじゃ駄目なの?」
「レッドでは正しくないんだ」老人はこう答えた。「あの疫病はスカーレット、つまり緋色だった。一時間もしないうちに顔も全身も緋色になってしまうんだ。わしも知らないんじゃないかって? 自分の目で見たことないんじゃないかだと? わざわざ緋色だったというのは、それがたしかに緋色だったことをこの目で見たからだ。そのほかの言葉では言い表せない」
「僕はべつにレッドでいいけどね」とヘアリップは意固地につぶやいた。「父さんもレッドレッドって言ってるからその病気のこと知ってるはずだ。みんなレッド・デスで死んじまった、って言ってるもの」
「お前の父さんはいい奴だ。なにせいい奴の子供だからな」老人は興奮気味に切りかえした。「わしがチョーファ家の始まりを知らないとでも思ってるのか? お前の祖父さんはお抱えの運転手、つまり教育のない使用人だ。主人に奉仕するのが仕事だからな。反対に祖母さんは良家の出だったが、子供たちがそっちに似ることはなかった。最初にあの一家に会ったときのことはよく覚えている。テメスカル湖で釣りをしているときだった」

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