ジャック・ロンドン「赤死病」#15

「疫病の蔓延が始まったとき、わしはまだ二七歳だった。住んでいたのはここからサンフランシスコ湾を挟んだ向こう側、バークリーという場所だ。エドウィンは憶えとるだろ、コントラコスタの山を降りるとき、でかい石造りの建物がたくさんあったのを。わしはあそこで暮らしていたんだ。わしは英文学の教授をしていたからな」
 老人の話のあらかたは、少年らの頭の上をただ通り過ぎていくだけだった。とはいうものの、少年らも少しずつこの昔話を理解しようと試みた。
「その石の建物は何をするためにあるの?」ヘアリップが質問した。
「お前らは父さんに泳ぎ方を習ったのを憶えてとるか?」少年らは黙って頷いた。「いいぞ。カリフォルニア大学という場所で――それがその建物の名前なんだが――わしらは若者に物事の考え方を教えていたんだ。さっきわしがお前たちに砂と小石と甲羅で当時の人の数を教えたようにな。教えなければならないことは山のようにあった。わしらが教える若者は"学生"と呼ばれていて、大きな部屋で授業をしたんだ。一度に四、五〇人が相手だろうか、今お前たちに喋っているみたいに、わしは学生に向けて話をするんだ。昔書かれた本について語ったり、ときには現代の――」
「やってたのはそれだけ? ほんとに喋るだけでいいの?」フーフーが割って入った。「自分で食べる分の肉は誰が獲ったの? ヤギのミルクは? 魚捕りは?」
「フーフーよ、それは難しい質問だな。じつに難しい。少し前に教えたとおり、当時食べ物を得るのは造作もないことだった。わしら人間は賢い生き物で、ごく一部の人がその他大勢の人の食料を調達する仕組みを作ったんだ。だから大勢の人はその分何かべつのことができた。お前が言ったように、わしの仕事は喋ることだった。ずーっと喋っていたというのに、食事にありつくことができた。しかも美味しくて見た目も美しく、それをふんだんにだ。今となってはもう六〇年はそんな食事にありつけていない。おそらくこれから先も無理だろう。わしはときどき思うのだが、あの素晴らしき文明における最も偉大な達成は"食"なんだ。想像もつかないほど豊富な食料があり、無限のバラエティに富んだ食べ方があり、舌をうならす美味しさがあった。ああしかし孫たちよ、あんなに美味い食べ物があった時でさえ、人間には寿命というものがあった」

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