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男性中心主義的社会と女性ポップアイコンについての覚書

 女性に対して天然と言われる場面をあまり見なくなったが、身振りとしてのそれはいまだに散見される。市井の一人としての経験ではメディアで使用されているのを見ることの方が実際の会話で使用するより頻度が多かった。意味を分解すると文脈とは異なった突拍子も無い発言をした女性に対して使う言葉だと認識している。会話の中で聞き手の側が合いの手的に突っ込むように使用していた。否定的に見ることも可能だが番組の中ではとても好意的に受け入れられているリアクションだ。可愛げのある女性として人気のあるタレントはこのような受け入れられ方をするパターンが多く見られた。突拍子も無い発言というのは子供っぽく、世間知らずであることや一般に広く知られているはずの知識がないことが自然と表れてしまうということだ。メディアでの受け取り方は実生活を送る上での社会とのずれを面白がる点で家事一般のことしか知らない主婦を世に出る男たちが嘲っている構図と近い。
 若くして表舞台に立つタレントやアイドルミュージシャンとして活躍する女性たちはむしろ嬉々としてそのような態度を男性観客に向けて仕事として振る舞っているようにも見える。何が喜ばれるかということをマネージメントする立場の人々から伝えられれば嫌であったとしてもやるのは仕方ないかもしれない。
 だからどれほど女性の権利が認められていたとしてもメディアで取り上げられ、好意的に見られるのは男性中心主義的な社会で受け入れられやすい女性像であると言っても良さそうだ。結局は女性は世間のことはわからず、教養もなく、幼稚な方が美しいと受け入れられていると言い換えてもいい。逆にみちょぱやゆうちゃみなどのギャルタレントやあのちゃんのような不思議な雰囲気を醸し出そうとするタレントが辛辣なコメントをしたとしてもある種「子供っぽくて世間知らずで教養がないから棘のある言い方も仕方ない」という男性優位の社会が前提としてあるが故の反対の側面で「天然」な女性の同根として許容されているように見える。
 要は、子供っぽくて世間知らずで教養のない女性をメディアで取り上げ続けられる限り男性中心主義的な社会は補填され続けてしまう。社会に受け入れられやすい女性の理想像が作り上げられてしまうからだ。むしろ女性であってもそうした振る舞いに倣うほうが社会で生きやすくなる。もともと男性優位な社会でなければ違うかもしれないが、今の日本ではそんなことはあり得ない。メディアがどれほどのものとは思いたいが現状ではどんなに社会的弱者への視点を持つように(これもメディアだが)促されていても人口に膾炙したとは言い難い。人は楽な道に行きたがるので元々の社会で是認されている習慣に従い続けるものだから変わるのは難しいとは思う。
 これは『混血列島論』で首狩族の英雄の話を読んで思っていたことだ。文化人類学的視点で首狩族の間ではより多く別のグループの首を狩ったものが称賛されるとあった。次の世代もそれに続き英雄になろうと多くの首を狩ろうと競い合う。では、今の社会ではどうか。スポーツについては女性も活躍することが多く見られるし、秀でた芸術作品が出てくることももはや経済的に豊かな国であるかどうかの指標に過ぎない。それはあくまで個人の秀でた能力があれば女性でも活躍できるのだ。人気のあるなしは別として数値や作品の出来は有無を言わさず評価出来る。より多くの人の目に晒され、組織的に演出される日本のポップアイコンについては子供っぽくて世間知らずで教養のない女性がとても活躍している。メディアやメディアを成立させる組織の倫理は男性中心主義的な社会を守ろうとしていると捉えざるを得ない。日本で民衆から支持を得る多くの女性の振る舞いについては前近代的なままで社会への無力さの無意識の表明になってしまっている。
 日本で自らの性に囚われず聡明で野心的である女性が称賛される日は来るのだろうか。ファスビンダーのマリア・ブラウンの結婚とシュミットの天使の影を観たあとにより一層絶望する。

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