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小説「対抗運動」第3章1 バンダナ・シバ

舞ちゃん「おいさん、戦争始まってしもたね。くやしいね。」

おいさん「舞ちゃん、これからや、対抗運動は。デモも続けんといかん。昨日もおいさんらは東京タワーの下から出発したよ。二手に分かれて歩いたんよ。ワールド・ピース・ナウの人は5万人いうたけど、警察発表は1万880人やった。次は渋谷じゃけん皆わかるよ、どっちが本当か。毎日やっとるアメリカ大使館前への訴えは、警察の交通規制がきつくて集まれんみたいや。戦争を支持しとる企業のボイコットも主張し続けていかんとね。ピース・チョイスいうとこが大規模にチラシ配り始めたよ。名指しされた企業の人はお門違いじゃと抗議しよるみたいじゃけどね。そうやったら、戦争反対を表明してくれたらええんじゃけど。情報公開が一番大事じゃけんね。そういうところが出てくるのを皆待っとるんじゃ。そこで喜んで買えるけんね。ボイコットがこれから浸透していくためには、どんどん戦争反対を表明する企業が出てきてくれんとね。そういう情報を協力して集める事が今は重要な対抗運動じゃね。」

舞ちゃん「おいさん、田舎ではそうもできんけん、大豆トラスト運動始めたよ。他で買ういうことが、モンサントのつくりだすもんを買わんいうことじゃけんね。これじゃったら田舎でもできそうなよ。」

おいさん「舞ちゃん、今日バンダナ・シバが東京に着いたよ。」

舞ちゃん「バンダナ・シバ?」

おいさん「インドのものすごいおばさんじゃ。もう30年も対抗運動続けとる。シバさんは、学生時代はチプコ運動いうてね、ひとり一人が乱伐されそうになった森の木の前に立って、〈木を切るのなら、私たちは木に抱きついて守る〉というんをやっとったそうじゃ。成功した時は、3000人もの女のひとが木の前に立ったもんじゃけん、業者はあきらめて引き返したんじゃと。インドの対抗運動はガンジーの流れをくむのんが多いね。いや、対抗運動の創始者はガンジーやけんね。インドの独立運動の柱は、イギリス製品の不買運動や。ガンジーは、糸をつむぎながらやったんや。皆が糸を紡いで、布を織って、それらを流通させる生産―消費協同組合をつくりながら、イギリスの紡績製品のボイコットを訴えていった。あの有名な非暴力でね。おっと、話がそれたね。バンダナ・シバさんじゃった。シバさんは年末の朝日新聞に載ったインタビューでこう言うとる。〈多国籍企業がインドに来て、農民に「収穫が増える」という触れ込みで、遺伝子組み換えなどの新しい種子を売りつける。こういう種子は大量の化学肥料と農薬を必要とする。農民は借金地獄に陥るのです。〉」

舞ちゃん「おいさん、それモンサントのことじゃろ。うちその人に会いたいなあ。」

おいさん「東京の講演は25日じゃったけど、26日は京都でやるらしいよ。思い切って行きよ!おいさんは水田トラスト運動の阿部さんや今年から茨城で始めた平野さん見よってね、おばさんはすごいな思いよるよ。できることから始めよるけんね。シバさんはこうも言うとった。〈インドの農民の女性が持つ生態系への知識、洞察力が科学者や役人をはるかにしのぐ例を、私はいくつも見てきた。専門家とは何だろう、と思うのですよ〉」

続く
執筆:飛彈ゴロウ、2003年3月23日

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