インターネットの利用はアルゴリズムへの服従、無償の労働である
突然ですが、インターネットの利用で疲労感を感じていませんか。今回は、その疲労感の原因のひとつと考えられる、「アルゴリズム」についてざっくばらんに説明します。
アルゴリズムは未完成の技術
アルゴリズム(レコメンデーションエンジン)はいたるところに浸透していて、YouTube のおすすめ、Amazon の商品ページ、Google の Discover(ユーザーの興味関心に関連するコンテンツを表示する機能)などで幅広く実装されています。
そのようなアルゴリズムの目的は、「ユーザー一人一人に合わせたコンテンツを提供する」ということなのですが、それはあくまでも目的であり、アルゴリズムがやろうとしていることです。
この、パーソナライズされたコンテンツを提供する、という目的はまだ未達で、たとえば:
Google 検索の結果はユーザーが求める答えの候補のリストであり、どれが欲しいかはユーザーが選択する
YouTube のおすすめに表示させるサムネイルは、視聴者が興味を持つかもしれないコンテンツを並べたもので、どれを視聴するかはユーザーが選択する
ということなどからわかるように、ユーザーが何かを選択する必要性はかならず存在します。「あなたにとって最適なコンテンツはこれです、ハイどうぞ」という状態になっているとは到底いえません。
実際、Google が BARD というサービスを開発していることからもわかるように、彼らの目的は、ユーザーの入力に対応する、「たったひとつのベストな答え」を提供することです。その状態にはまだ到底及ばずの状態で、そうなるまでにはまだ長い時間を要するでしょう。
アルゴリズムの開発には大量のマイクロタスクが必要
前置きが長くなりましたが、ここまでで、アルゴリズムはまだ完成にほど遠いことを説明しました。
そのため、アルゴリズムを育てる必要があるのですが、これには、人間による労働(マイクロタスク)が必要です。マイクロタスクは具体的には、AとBのどちらがいいか選択するとか、あるコンテンツに対して5段階で評価するとかなどの単純作業であり、本来であればアルバイトのように有償で発注されるべきものです。
ただ実体としては、その労働を担っているのは、アルゴリズムが組み込まれたサービスを利用するユーザーであり、しかもただ働きになっています。ショート動画をスワイプして視聴する行為は、たのしい動画を視聴してエンジョイするというより、自分の関心や好みをアルゴリズムにフィードバックして、自分に似た属性のユーザーが好みそうなコンテンツの学習に貢献する、という労働です。
アルゴリズムっぽくないサービスが減っている
今では、アルゴリズムっぽくない情報やサービスをネットで見つけるのが困難になっていますが、これが冒頭で述べた、インターネットからくる疲労感の一要因になっていると僕は考えています。すでに述べたようにアルゴリズム的なサービスの利用は疲れる労働ですから、世の中がアルゴリズムだらけになるのはあまり歓迎される風潮ではありません。
たとえば今では、熱心な専門家がつくった良質なホームページではなく、アルゴリズムを意識したSEOファーストでしょうもないウェブページが上位表示されるようになっています。また、写真だけみて楽しむクリーンなサービスであった Instagram も、今ではアルゴリズムにすっかり汚染されています。
アルゴリズムに依存しない方が健全
僕は、情報を探すなら目立たない場所や一次情報から探すべき、という意見を持っていますが、これは、みんながいいと思ったものをヒューリスティック的にいいねと感じる感覚とは正反対のアプローチであり、またアルゴリズム的な性格の薄いアプローチです。
たしかに、一次情報を探るには現場に行ったりするなどの手間がかかりますし、意味や価値を見出すのにも手間はかかります。ただ、他人の価値観のトレースではない知見を得たり、誰かの意見の焼き増しではない、一次情報に基づいた意見を確立できるようになります。
一次情報を得ることの重要性については、こちらの記事とこちらの記事の中で触れています。
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