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まさかまさかの新型コロナウイルス感染と闘病の日々

今年7月、母が脳梗塞を起こして85歳で亡くなりました。

母の四十九日法要兼納骨を行う予定だった8月29日は、東京都の4回目の緊急事態宣言(7月12日~9月30日)の真っ最中。家族や親戚を感染させてはいけないと、弟と私の2人だけで営むことにして、1週間前の22日に実家に集まり、打ち合わせをしました。皮肉なことに、このときに弟から新型コロナウイルスに感染してしまったのです。弟は妻(義妹)からの感染でした。

義妹は医療従事者ではないのですが、医療関連の団体に勤務していて、ワクチンは2回とも接種済み。そのため症状も軽く、数日前からの体調不良と微熱を夏風邪だと思い込んでいたそうです。5日前の8月17日に1回目のワクチン接種を終えたばかりの私と未接種の弟は、念のため、マスク着用のまま打ち合わせを行い、マスクを外したのは1メートル以上空けて斜め向かいに座り、昼食用に買ってきたお弁当を食べたときだけでした。

打ち合わせの翌日、弟が発熱。PCR検査を受け、24日の夜に陽性だったと電話がありました。その後、弟に促されてしぶしぶPCR検査を受けた義妹も陽性と判明。いわゆるブレイクスルー感染(2回のワクチン接種を終え、免疫を獲得したあとにウイルスに感染すること)でした。

24日の時点では無症状だった私も、慌てて25日に近所の病院で抗原検査を受けました(無症状の人は自費で検査を受けることになるので、高額のPCR検査よりも安価・短時間で結果がわかる抗原検査を勧められます。症状がある場合は抗原検査、PCR検査とも公費負担となり、無料)。30分後に陰性と診断され、ホッとしたのも束の間、その夜、38℃の熱が出ました。

改めて翌26日に同じ病院でPCR検査を受けると、27日に陽性と電話があり、保健所からの連絡を待ちながら自宅療養するように言われました。すでに第5波のピークと言われていた時期で、保健所の業務はひっ迫。連絡があるまでに5日から1週間ぐらいかかると聞きました。本来は保健所が感染者に聞き取り調査を行い、濃厚接触者を特定して連絡するのですが、とても間に合わないので感染者自身が発症の数日前から接触した人に直接連絡を入れてほしいとのことでした。

すでに熱と咳だけでなく、膝、肩、背中の痛みもあり、PCR検査と一緒に受けた胸部のCTスキャンの結果は中等症Ⅰの肺炎という診断でしたが、すでに病院は満床で、医師には「入院できるのは中等症Ⅱから」と言われました。病院が作成した検査後の生活マニュアル3枚と自治体が作成した自宅療養マニュアル6枚を渡されて、自主隔離生活が始まりました。

「隔離部屋」に自分で布団や衣類、PC(納期が近い案件もありました)などを持ち込んで、食事や必要なものは家族内LINEで頼んで部屋の前に置いてもらい、誰もいなくなってからドアを素早く開けて中に入れるようにしました。夏の終わりでまだまだ暑かったので、エアコンをかけながら窓も開けて換気。室内でも常にマスクをつけ、部屋から出るのはトイレと洗面所と浴室を使うときだけでした。

トイレや洗面所、浴室を使ったあとはドアノブ、スイッチ、蛇口など触った箇所をすべてウェットティッシュで拭き、アルコールスプレーをかけて消毒。家族と共用だった洗面所のタオルは個人別にし、トイレのタオルは水に流せるタイプのペーパータオルに替えました。歯磨き用のコップも自分用のコップを用意し、歯ブラシや歯磨き粉と共にジップロックに入れて、家族とは別の場所に置くようにしました。

新型コロナウイルスが物の表面上で生息できる期間については諸説ありますが、ガラスの表面で4日、木材で2日、プラスチックやステンレスで2~3日、ダンボールで24時間、殺菌・抗菌効果があるとされる銅で4時間、紙やティッシュで3時間という研究例があり、ゴミも家族とは袋を別にしてまとめておき、収集の日には使い捨てのゴム手袋をした家族に出してもらいました。https://www.b-future.jp/bf-news/2020-08-26/

私が陽性と判明した時点ですでに夫(未接種)も感染していて、喉に痛みを感じた2日後には発熱。週末で病院が休みだったため、私がもらってきた解熱剤カロナールを飲ませ、週明けにPCR検査を受けてもらいました。先に罹患した私には胃のむかつきや食事が塩辛く感じる味覚異常が生じ、解熱剤を飲んでも熱が下がりにくくなっていました。

解熱剤を飲んでも38℃台の熱が続く

30日には発症以来、毎日パルスオキシメーターで測っていた酸素飽和度(正常値は96~99%)が95%(95%未満は呼吸不全)にまで下がり、咳だけでなく、息苦しさ、食欲不振、倦怠感、こめかみと後頭部の痛みもあり、夕方には生まれて初めて40.2℃の熱を出しました。

私自身は記憶がないのですが、翌31日の朝、隔離部屋から出てきたとたん、意識を失って倒れ、けいれんを起こしたそうです。慌てた家族が救急車を呼びましたが、救急隊員がバイタルチェック(体温、血圧、脈拍、呼吸などのバイタルサインの測定)をして保健所と相談した結果、「入院するほどのレベルではない」と判断。「もう少し自宅療養を続けてください」と言われ、目の前が真っ暗になりました。

それでも、当時電話すらつながりにくくなっていた保健所と救急隊が連携してくれたおかげで、ホテル療養が検討されて翌9月1日に空きが出たホテルに移ることになりました。迎えの車でホテルに到着後、病状に関するアンケートに肺炎のことを書くと、医療スタッフから「中等症Ⅰとはいえ、肺炎の人は治療が必要なため、ホテル療養は本来できないのですが、なんとかします」と言われました。検査をした病院から保健所に「コロナ陽性」の連絡は届いていましたが、肺炎のことは伝わっていなかったのです。

ホテル療養のアドバイザーになっている感染症専門医による電話診療で、客室(個室)で酸素濃縮装置を使うことになりました。酸素吸入を始めると呼吸がだいぶラクになり、頭痛も軽くなりました。さらに、翌日からこの医師が処方してくれたステロイド剤プレドニンを服用した結果、熱も36℃台に落ち着きました。ただし、ステロイド剤は投与のタイミングが難しく、症状が悪化する可能性や副作用もあり、血糖値も上げてしまうので食事の管理も必要だということを知ったのは後日、病院に移ってからでした。

ホテル療養の5日間は小型のスーツケース大の酸素濃縮装置につながれたまま

ホテル療養の食事は朝昼晩ともお弁当で、常駐の医療スタッフ数十名もホテルに泊まり込んで同じものを食べていると聞きました。かなりボリュームのあるお弁当でしたが、男性スタッフには足りないそうです。療養者の具合が悪いと昼夜問わず駆けつけてくれる彼ら彼女らのハードワークぶりには頭が下がりました。

健康だったらおいしく食べられたはずのボリュームのあるお弁当

ホテル療養の目的は感染者を隔離することにあり、検査や積極的な治療はできないということで入院を勧められ、ようやく空きが出た自宅近くの総合病院に移ることができたのは9月6日のことでした。私がホテル療養に入った直後に症状が悪化した夫は、ひと足先にこの病院に空きが出て入院治療を受けており、9日に退院していきました。運命はタイミングに左右される、とつくづく思いました。

病院に到着するなりX線、CT、血液検査が行われ、やはり肺炎の白い影が見られるということで、ステロイド剤と並行して5日間にわたる治療薬レムデシビルの点滴静脈注射が始まりました。それでも酸素飽和度はなかなか上がらず、10日に下りるはずだった退院許可も酸素飽和度が87にまで下がって延期。改めて許可が下りたのは3日後の13日――およそ3週間にわたる闘病生活でした。

弱った身体には薄味の病院食がおいしく感じられた

退院直後は肺炎の後遺症と、寝たきりが続いたことによる筋力低下で、歩くのも1日3000歩がやっと。すぐに息苦しくなったり、膝や脛が痛くなったりしていましたが、3カ月近く経った現在は1万歩前後歩けるようになりました。弟はいまだに匂いの一部を感じない嗅覚異常が残っているそうです。

コロナ禍のこの2年、実家には高齢の両親、自宅には基礎疾患のある家族がいたため、実家との往復以外は友人にも会わず、自宅に引きこもって仕事をする生活をしてきました。そんな自分が新型コロナウイルスに感染するとは、まさかのまさか。想像を超えていました。

夫は感染したのに娘たちが感染しなかったのは、彼女たちの知識と情報集めの成果だったと思います。管理栄養士の資格をもつ次女(未接種)には大学で学んだ公衆衛生学の知識や、老人ホームでの実習で身につけた感染症対策などの経験がありました。

さらに、次女の友人には昨年母親が新型コロナウイルスに感染したけれども家族は感染しなかった事例があり、情報技術者の長女(モデルナ製2回接種済み)の同僚には実際に感染してホテル療養を経験した人もいて、それぞれにZoomやメールでアドバイスを仰ぎ、あっという間に消毒グッズやホテル療養にもっていくと便利なグッズを集め、家の中での徹底した感染予防に努めてくれました。

肺炎と診断されてから、この息苦しさは以前経験した覚えがある……とずっと感じていて、それがいつのことだったか、退院後にようやく思い出しました。妊娠後期、お腹の中の赤ん坊が大きくなるにつれて横隔膜が圧迫されて息苦しくなり、仰向けで眠れなかったときの記憶でした。妊娠時は体の向きを変えると和らぎましたが、新型コロナウイルスによる肺炎の場合、そのような息苦しさがずっと続くのです。

妊娠当時、「息を大きく吸ってから、長くゆっくりと吐いていく」ヨガの呼吸法も使ってしのいでいたのを思い出し、今回も、この呼吸法を試しているうちに治療薬が効いてきて、肺のほうも徐々に回復していきました。

この話を次女にしたところ、「なるほど。じゃあ、女の人は経験したことがあるかもしれないけど、男の人は今回の肺炎が初めてだろうから、きっとパニックだろうね」と言い出しました。たしかに、弟も夫も未体験の息苦しさに戸惑っていたようでした。

また、「メタボな人のほうがコロナ重症化のリスクが増す」というのはどうやら本当のようです。アメリカであれほど死者が多かったのも、太りすぎの人が多いことが一因ではないでしょうか。

夫は禁煙こそ成功したのは最近ですが、ここ10年、ランニングやウォーキングを欠かさず、標準体重を保ってきました。病室(4人部屋)では他の男性患者さんたちが医師からメタボによる重症化リスクを指摘されていたのに、自分は何も言われなかったと自慢げに語っていました。

入院患者の傾向も、男性の患者さんは入院が長期化するケースが多いようでしたが、女性の患者さんはその逆。小さな子どもや高齢の家族を感染から守ろうと、症状がひどくて家事や家族の世話ができない数日間だけ病院で過ごし、すぐに退院していく人がほとんどでした。

幸い、夫も娘たちも各自ができることを精いっぱいやってくれました。私がホテル療養に入った数日後に長女から「咳と微熱があり、胃腸の調子が悪い」とLINEがあったときには「絶体絶命のピンチ」と思いましたが、抗原検査も、数日後に受けたPCR検査も陰性。激務のリモートワークによる急性の胃腸炎だったようで、私が退院した頃にはすっかり元気になっていました。長女は自宅待機期間をリモートワークと有給休暇にあてることによって、お給料も満額もらえたそうです。

結局、終始一貫して元気で家族のために奮闘してくれたのは、基礎疾患があるため、感染を最も恐れていた次女でした。リモートワークが不可能な職種のため、母、父の相次ぐ感染に濃厚接触者として会社を3週間欠勤せざるを得ず、お給料は普段の4分の1。とばっちりを受けて気の毒でしたが、姉と2人きりの生活では自分の食べたい料理(時にはデザートも)を作り、夜はTVの野球中継を見て、割と楽しく過ごしていたと言ってくれました。

ひとつ間違えば家族全員が感染して大変なことになっていたのに、そうならずに済んで幸いでした。今回、娘たちの行動力や思いやりを目の当たりにして、その成長を感じ、頼もしく思いました。

ちなみに、「新型コロナウイルスに感染し、治療を終えた人は、ワクチンを接種すべきかどうか」ですが、ウイルスに感染する前には未接種だった弟と夫はそれぞれ医師と相談の上、退院後に2回、1回接種済みだった私は1回、受けました(いずれもファイザー製)。

医師によれば、感染後と接種後では抗体の量と質に差があるとのこと。https://www.u-toyama.ac.jp/news-education/26317/

感染して完治したあとに再び感染する人もいるのでそれを防ぐため、感染経験者にも2回接種が推奨されているそうです。また、感染経験者が接種を受けると、ブースター接種(3回目の接種)のような効果を発揮するとも言われています。
https://miura-medical.clinic/blog/archives/390/

無期延期になっていた母の四十九日兼納骨も、11月になってようやく済ませることができました。

最後に、母の死去から仕事復帰までの数カ月間、訳者さんをはじめ関係者の方々にはご迷惑をおかけして本当に申し訳ございませんでした。そして、仕事を引き継いでくださった方々、温かいお言葉をかけてくださった方々には心よりお礼を申し上げます。

第5波が収束してしばらくは平穏な日々が続きましたが、11月下旬から新たな変異株オミクロン株の感染拡大が報道されるようになりました。2回のワクチン接種を受けた日本人の割合は11月末現在で76.72%。ブレイクスルー感染をしないよう、気をつけましょう。

隣町の公園を目指して1万歩、歩く

コーディネーターA


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