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オペラを本当に楽しめるのは60歳過ぎてから

この秋、東京は大変な公演ラッシュで、ジョナサン・ノット指揮&東京交響楽団『サロメ』(コンサート形式)と、『May B』というフランスのヌーベル・ダンスの名作の公演に連日で出かける機会がありました。どちらも休憩なしの長丁場で、腰痛持ちの私はじっと座っているのが辛い。なんとか持ちこたえましたが、重い体を引きずって帰るときにふと「オペラを楽しめるのは60歳過ぎてから」という言葉を思い出しました。ときどき聞くフレーズです。

あれはどういう意味なのだろう? なんとなくオペラを見続けてきましたが改めてオペラ作品のテーマを少し思い出してみました。

『フィガロの結婚』はすでに廃れていた貴族の初夜権を振りかざす伯爵をかわす庶民の話。『タンホイザー』は愛欲に溺れた男が恋人である乙女の自己犠牲で魂を救われる話。『椿姫』は高級娼婦が本気で身分違いの恋をしてしまう話。『ヴォツェック』は妻の不倫で心を病んでしまう男の話。『コジ・ファン・トゥッテ』は男性2人が恋人を交換して女性の貞操を試す話。『アイーダ』『ノルマ』は三角関係の話。『ランメルモールのルチア』は政略結婚の犠牲になった貴族の娘の話……。

中世の伝説に取材したワーグナーの冒険譚、英雄物語などは傾向は薄いものの、ほとんどが思うようにならない男女の恋愛の話です。三文小説の題材と変わるところはない、とはよく言われますが、時代を問わず人々の関心を引く不変のテーマであるからでしょう。

ただ、現代と大きく異なるのは、厳しい階級社会に生きている人たちの物語であること、また、女性に自らの生き方を決定する権利がない時代の話であることです。ここが年齢を重ねればより深くオペラを理解できるようになるポイントなのではないかと思うのです。

ヴェルディのオペラの背景には、家父長制度に生きる男性の葛藤があります。家を守る、家柄を常に意識するといったことのほか、女性は政略結婚の道具とされますし、家同士のいがみあい、家臣の裏切り、父と息子の確執なども生まれる。自分が下した決定は本心ではないけれど家の名誉のためにはしかたがない、といったことなど社会人としてのキャリアを築いてきたシニア世代には共感できる部分が多いのではと推測します。

女性は、この現代においても性差による不平等な経験をしています。オペラに登場する女性に共感したり反発したりするわけですが、客観視する余裕もシニアであれば生まれるのでは。人は、子どもから大人になり、結婚し家庭を持ったり、子どもができたり、老いていく親のことを心配したり、病を得たり、愛する人を失ったりする。60歳にもなればそういった人生に起きる大きなイベントはほぼ経験してきているので、オペラで描かれる人物たちの心の機微がわかる、登場人物の誰をとっても若い観客より彼らの心情が理解できる、ということでしょうか。スター歌手が出演する、といった魅力だけでない、作品を「味わう」ことができるといえるでしょう。

また、シニアですから教養も深まっている(はず)。バロック・オペラはほとんどがギリシャ・ローマ神話がテーマです。特にヘンデルのオペラに特徴的なのですが、登場人物は作曲された当時の支配者を表していて、政治と王を風刺しています。あるいは、有名な話ですが、モーツァルトの『魔笛』はフリーメイソンを意識して作曲されています。そういう作品に隠された意味も60歳を過ぎれば解説がなくてもわかるということなのでしょうか。

そういう深読みしがいのある物語を、PAを通さずに迫力あるオーケストラの演奏で奏でられる美しいメロディにのせ、研鑽を積んだ声楽家が歌うのですから、鳥肌が立つほどおもしろいに決まっています。誕生してから長い時を経て今もなお上演されているわけで、作品の完成度の高さ、内容の奥深さはいうまでもありません。

人生で起こる楽しいことはもう経験してしまってこれから先は死ぬまで穏やかに生きるだけ、などと思っている方にこそ、オペラ鑑賞がお勧めです。「ああ、おもしろかった」にとどまらない余韻を楽しむことができるのです。となると「オペラを本当に楽しめるのは60歳過ぎてから」というのも納得できます。

体力の続く限り(芸術鑑賞は意外と体力を使います)、劇場に通い続けるぞ、と改めて思うのでした。

結城美穂子

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