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雨宿りの後に罪悪感を覚える

 最寄駅の改札を抜けて出口へと続く階段を上ってゆくと、降りはじめの雨の匂いに包まれた。階段の先に見える空は一面オフホワイトの雲で覆われていて、雨がどのくらい強く降っているのかいまいち分からない。

 地上に出て小さな屋根の下から外の様子を伺う。今はまだ小雨のようだ。真っ直ぐ伸びるアスファルトの地面は水たまりさえ見当たらないが、落ちてきた雨水をまんべんなく吸いこんで色が濃くなっている。
 こういう日に限って折りたたみ傘を家に置いてきてしまうのが私らしいが、近くのコンビニで新たに買う必要はなさそうだ。ファスナーのない肩がけトートバッグの中身が濡れないようにとタオルハンカチをかぶせ、手提げのパソコンケースは両手で抱え、背を丸めながら家まで早歩きすることにした。最寄駅から自宅まで約十分。雨がこれより強くならなければ大丈夫。
 
 駅から真っ直ぐ歩き、二つ目の横断歩道の青を待つ。押しボタン式信号機の真下にはヒメジョオンが咲いていて、雨粒を受けてゆらゆらとしている。その動きをぼんやり眺めていると、ふいに首筋から背中にかけて雨粒が一筋流れてぞくりとした。やや雨脚が強くなったか。パソコンを守るために五分程背中を丸めただけなのになんだか疲れてしまった。

 横断歩道の先には背の高い街路樹が並んでいる。のびのびと広がる枝から豊かに生えた葉が雨を受け止めてくれているおかげで、樹の真下だけは雨水を吸収していない地面の色をしている。私は信号機が青になるやいなや街路樹の真下へ小走りした。

 街路樹の真下は快適だった。さっきまでぽつぽつと後頭部に振る雨粒の感覚が無くなったおかげで、不快感が一気に消えた。丸めていた背中を思い切り伸ばし、右肩に重くのしかかっていた鞄の紐を左肩に掛け直す。
 ありがたい。ここに木が植えてあってよかった。雨宿りするのに丁度良い。
 ――そう思った瞬間、自分自身に対して嫌悪感が湧いた。この街路樹は私が雨宿りできるように植えられた訳でも何でもないのだ。私が勝手に利用しているだけなのに、図々しいにも程がある。雨が降っていない日には、この街路樹に目も向けていないくせに。空と雲そして木、という感じで背景の一部としか捉えていないくせに。  

 ふと、中学時代のある思い出が蘇る。隣の席の子にやたらとシャープペンシルの芯一本だとかルーズリーフ一枚だとかを借りていた思い出。罪悪感を抱きつつも、忘れ物をする度にその子に借りた。「返さなくていいよ」の言葉に甘えて、結局貰っただけの状態で卒業した。思い出すだけであの頃の自分に嫌気が差して気分が悪くなる。でも何も変わらないじゃん。シャープペンシルの芯を借りるといいつつ貰っていた過去の自分と、勝手に雨宿りをしている今の自分。
 
 さっきまでまるでオアシスだったその空間は、急に寒々しく感じられた。パソコンを再び両手で抱え、背中を丸めて、そっと木の真下から離れた。駆け足で自宅まで向かう。もう今後、折りたたみ傘をうっかり家に置き忘れることはしたくない。もし忘れてまた雨宿りした時には、また大変な罪悪感と自分自身に対する嫌悪感で疲弊することになる。

 自宅の玄関の鍵を急いで開けて、中に入って内鍵をかけ、玄関に放置されていた折りたたみ傘を無造作にトートバッグにしまった。これで明日は大丈夫。でも明後日は? 明々後日は――?
 万が一うっかり傘を忘れてしまって、丁度俄雨に遭ってしまったら、未来の私はどうするだろうか。罪悪感と嫌悪感に駆られながらも、結局は雨宿りしてしまわないだろうか。申し訳なく思いながらも何度もシャープペンシルの芯を貰ったように、そこにある恩恵に甘えてしまわないだろうか。
 今の私には分かる。きっと未来の私も変わらない。はっきりとした答えに気分が沈んでゆく。こういう時に限って、自己啓発本で得たノウハウが役に立たない。社会人たるもの、こういう風に落ち込んでいる暇があるならば、即座に傾向と対策を立てて、二度と同じことが起きないように行動しなくてはいけないのに。ヒヤリハットだとか、PDCAだとか、そういうものを駆使して、未来の自分を変えなくてはいけないのに。小難しい用語ばかり覚えるばかりで実際の行動に落とし込めてない自分にまた嫌気がさして、この嫌な自分の一面を綺麗に削ぎ落としてそれを重しにくくりつけて、深い海底に沈めることが出来たらいいのになどと考えてしまう。

 自宅まで大事に抱えたパソコンケースが雨で濡れていないことを確認して、それをリビングの床にそっと置いた。自分自身にまとわりついた雨と罪悪感と嫌悪感を洗い流すべく、身を引き摺りながらゆっくりと風呂場へ向かった。

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