【日記】お絵描きしながら後夜祭
今日は午後休いたらだいたので、遅ればせながら呑み書き参加します!こうや!後夜祭!ギリギリチョップスライディング(ずざーー
マリナさん、あきらとさん、いつもありがとうございます╰(*´︶`*)╯
可愛い猫さんサムネイルは、旅野そよかぜさんのお写真。可愛い。
今月も、そよかぜさんの画像に合わせて俳句や短歌をつくろうかなと思っていたのだけれど、間に合わなかった。ねこさんにまつわる作品。
でも、このかわいいねこ写真をサムネイルにどうしても使いたいと思って、今日お借りしましたよ。可愛い。
ねこ、祖父母が昔飼ってたなあ。可愛いからって撫でようとして、いつも引っ掻かれてた。すん。
↓今飲んでいるのはこれ↓
最近甘酒にはまっているんてず、です。特に米麹を使った系が好き。小さい頃は苦手だったはずのだけれど、今では朝ごはんの選択肢のひとつになってます。(ご飯かパンかシリアルか甘酒。)
さて。
最近の私は、書いたものを公開する頻度がグッと下がりました。ちょっと前までの一年は、毎日noteとにらめっこしながら何か書いては上げて、何か書けなくても上げてを繰り返していました。それを一年継続することで、自分に何が起こるのか知りたかったんですね。
長い文章が書ける日は1000字超え、書けない日は100字未満。結果は書けない日の方が多いまま一年が過ぎました。
当初の予想とちと違ってました。続ければ続けるほど、書ける日が増えると思っていたからです。
毎日続けても、長い文章を書く力がつくわけじゃないんだなあ。むしろ毎日締め切りがあるもんだから、日によってnoteに向き合う時間が取れなけりゃそりゃ書けるわけがねえ。
実はこのことには、毎日更新を始めてみて3ヶ月目くらいで気づいてしまっていた。それでも一年様子をみることにしたのは、こういう急カーブの曲線があるかどうかたしかめたかったはら、かはら、から。
でも、実際はこんなかんじだった。
図、見にくいなね。
ちょっとスッキリさせてみた。呑み書きだから、ふりーはんの、はんも、はんどだよ。
じゃあさ、この一年は全然、全部無駄だったのかと思いきや、そうではないらしい。
代わりにさ、あきらめ力が身についたのさ。継続力じゃない、あきらめ力。
あたちゃー、一発ガキ、一発書きはあかん。スペースがたりなくて「力」が肩身狭い!
一年継続したのに、身についたのはあきらめる力って、一見へんてこりんだし、オモロイ。やけど、例えば極端にいえばなんの意味も持たない「あ」の1文字を毎日投稿したってnoteは連続投稿したねえらいねって褒め褒めしてくれはるから、意外とへんてこりんでもないのかも。
そんでもって、完璧主義気味&腰が重めの私には、とんでもなく良い修行だった。
甘酒が空なったので、お茶もってくる。
お茶やお茶や〜
文字数などのノルマを課さしないで、続けることを最優先にして様子をみていた。すると、毎日やってくる期限までに、自分の理想100%を出せないことに気づくんだよね。
何かの出来事やその心の動きを丁寧に、でも掛ける時間はサクっと、1時間1000字くらいで書けたらなんて色々希望が出てきてしまうけど、実際私はそれが出来なくて。
(もちろん余裕で出来る人もいるだろう。そして文字数や時間にこだわる必要も実際はないんだろうけれど)
どうしようもないから、どれも50〜70%位の完成度で公開するか、つぶやきで小休止しつつ数日かけて100%を公開するか、途中経過の報告でジブリ、自分の頭の中を整理するか、で公開し続けることに。
アイディアが完璧な状態でアウトプット出来るまで頭の片隅に入れておくと見せかけて、段々と面倒になって永遠に日の目をみない、という事象がいままで多発していたんだけれど、そういうことがめっきり少なくなった。
さらにそれを毎日まいにち繰り返していると、段々、小休止のつぶやきすらアイディアの底をつきそうになる。誰も見ない個人の日記なら「あ」とか「疲れた」とか「シークワーサー」とか適当に書いて終わらせる(または日記自体を書かない)ことができるけど、見てくれている人の目があるここnoteで毎日書くとで、いい意味で緊張感をもつことができる。
「け」とか「きゅうりの味噌漬け」とか打って終わりにするんじゃなくて、140字の小休止つぶやきでも、推敲は100%やるとか、今まで頭の片隅で埃をかぶっていたアイディアを引っ張り出すとか、試行錯誤するようになっていく。自分の中の完璧についてはあきらめるけど、時間内になるべく力を出し切る工夫は惜しまないようになった。おもろい。
ああ、最近書く頻度が減ったことについて書こうとしていたのに、脱線しすぎた。あらら。でももう眠いからここらでおしまい。これもきっとあきらめ力。またね。
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