高校生編

皆さんおはようございます、こんにちは、こんばんは。出藏です。
前回の記事はいかがだったでしょうか。前回の記事はスマホで書いたんですよね。
パソコンで今まで文字を打ってたんですけど、やっぱりスマホの方が文字を打ちやすいですね。気がついたら5000文字も書いてました。こんなに自分文字かけるんだなとびっくりしております。

陸上部に入部

さて、今回は高校時代の話をしたいと思います。
前回とその前の回も脱線が過ぎで、呼んでくれる人の集中が切れてしまったのではないかと思ったので、なるべく脱線は避けていきたいと思っております。

中学校で色々と落ち込むわけですが、それでも陸上はやっていきたいなと思ったので、入学してすぐ入部届けを出しに行きました。なんなら入学前にもう陸上部の練習に顔を出していたくらいですね。もう陸上部に入る気満々です。

顧問の先生との出会い


そこで出会った顧問の先生が本当にいい先生で、今でも大尊敬している先生ですね。とにかく、なんでも話を聞いてくれるんです。アドバイスも色々してくれるんです。そしてちゃんと怒ってくれるんです。

僕自身最初の入部したてのころ、あんまりモチベーションが上がっていなかったんですよね。中学の最後の方は全然走れなかったので、体力がゲキ落ちくんだったからですね。本当に練習で走れなかったんですよ。
だから、最初の1ヶ月くらいは練習が辛くて、モチベーションが上がらなかったです。
でもある時、練習をいつも通りやっていました。先輩が決めたメニューをメニュー通りにやっていたら、先生に質問をされました。

「その練習はなんのためにやってるの?」と。

僕はハッとしました。答えられないんですよ。この質問に。

なぜか、

何も考えずにメニューをやっていたからです。

僕はその簡単な質問に答えられませんでした。その自分が情けなくて悔しかったですね。
そこから自分はなんのために練習するのか、なんのための練習なのかを自分なりに理解してメニューに取り組もうと思うようになりました。

こうして気づかせてくれたおかげで、入部して2ヶ月後くらいの試合で1500mで自己ベストを更新することができたんですよ。そこでまたモチベーションが爆上がりしました。先生のお陰ですね。
そこからどんどんタイムが伸びていって、部活もめちゃめちゃ楽しくなっていきました。

いろんな種目に挑戦

もともと僕は3000mもやっていたので長距離選手なんですよね。だから5000mも試しに試合に出てみました。そうしたらどうなったと思います?


18分以上もかかって大爆死ですよ。

もう2度と5000mは走りたくないって思いました。

だから、1500m一本で頑張ろうと思ったわけです。
ただ、それだと少し寂しいのでいろんな競技を試してみました。3000scとか、800mとか。

3000scは酷かったですね。僕の伝説が一つあって、3000scに初出場した時に、1レースで2回も水濠にダイブしましたからね。

いやこれまじですよ?ゼッケンが背中にビッタリくっついてましたからね。1人だけシャワーを浴びながら走ってるのかと思われてましたよ。
もう3000scは辛くて辛くて仕方なかったですね。
ただ、いい経験になりました。僕には3000scは合っていないということがわかりましたからね。いい経験です。


800mは走っててすごい楽しかったですね。なので1500mと800mで一年目は頑張ることにしました。
そして2年目になると冬練習でタバタ式トレーニングという地獄のトレーニングを積んだおかげで乳酸系の能力が高くなったんですよね。
2年の初めのシーズンの800に出てベストを5秒くらい更新したんですよね。そこでもう800楽しい!!ということで800にどハマりするわけです。いつものどハマりです。

ほんまに単純な男。チョロすぎです。


そこから800に特化したトレーニングを始めるんですね。
でも800のトレーニングて難しいんですよね。スピードも鍛えなければならない。ましてスピードに振りすぎると、体力がもたない。バランスを取るのがすごい難しかったですね。

でもそれ以上にあのベストを出した時の高揚感が忘れられないんですよね。だからこそ800でもっと結果を出したいと思ったわけです。
きつい練習いっぱいしましたね、何度練習中に胃液を戻したか。今思うとなんでこの競技を選んだんだろうと思います。よほどのドMだったんだなと思いますね。

いつも通りの怪我の試練

しかしまたここで自分の不治の病である怪我との戦いが高校でも始まります。何故だかはだんだん分かってきました。自分は痛みに鈍感でした。ある程度の痛みなら我慢して走れてしまったんですよね。その痛みのセンサーが弱いせいで気がついたらもう遅い。もう生まれ持った怪我体質。アスリートとしては失格ですよね。

もうこうなると、怪我の治し方もなんとなく理解していきます。治療院に行って治療して、理学療法士の方にリハビリしてもらったり。復帰の道筋を立てられるようになってきたんですよね。

最初は怪我というものはすごくマイナスなイメージを持ってました。でもそれは怪我を重ねるごとに変わっていきます。僕が心に残ってる言葉でこんな言葉があります。

「怪我して走れないのは辛い、でもリハビリは走るための最高の充電期間」

この言葉で僕は救われたような気がしました。
そうか、今充電してるんだ。そう思いました。
今まで使い切ったエネルギーを回復させているのだと。
そう思えるようになって、リハビリやトレーニングが楽しくなってきたのを覚えています。
そして怪我に対するイメージがマイナスからプラスに変えることが出来ました。
なるべく怪我はしない方がいいですけど、捉えようによっては成長の糧になることもあると思うんですよね。

怪我で悩んでる人がいたら、

今成長するか、しないかの分岐点だなと思ってもらえたらいいのかなと思います。

できたら僕は成長の方に舵を切って欲しいかなと思っております。

また、この怪我をしている時に、顧問の先生とたくさん話をしたのを覚えていますね。本当にたくさんの相談であったり、不安とかを聞いてもらっていました。顧問の先生にはたくさん支えてもらいましたね。
いつしか先生みたいな大人になりたいなとも思ったほど、憧れましたね。先生のように悩み苦しんでいる人の支えられるような人になりたい。そう思いましたね。

はい、ということで今回はこんな感じで終わりたいと思います。
僕の中で顧問の先生の存在デカ過ぎです笑

今後の僕人生を左右するような人ですからね、今後も先生の話はしていきたいと思います。
てな感じで今回も読んで頂きありがとうございました。
最後の最後にハートマーク押してくれると、モチベーションが上がるので是非押してあげてください笑

では次回もお楽しみに、シーユー。

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