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プルースト 失われた時を求めて

森茉莉さんの 『貧乏サヴァラン』(ちくま文庫)の中に

「有平糖(あるへいとう)は私のプティット・マドゥレェヌである」「お菓子の話」p70

とプルーストの紅茶とマドレーヌについての記述がある。

茉莉さんは父、鴎外とのエピソードが有名だけれど母や祖母との思い出もとてもいい。今でいうシスターフッドとも呼べるような家父長制の中に生きる女性を敬愛と同情と慈しみを持って描いており、清潔な悲しみがある。

わたしは自分の紅茶マドレーヌは、祖母と作った「よもぎ餅」かなとなんとなく思ってせっせと娘にも伝えてきたのだけど、この有平糖を茉莉さんの母親が1回分半紙に包んでくれたという箇所を読み、あぁ、わたしにもそうして、「1回分のおやつを祖母が半紙に包んでもたせてくれた。その包みを大事に持っていた」と思った。

思い出そうとすると消えてゆくほど儚く、夢の中のことのようでいてそれでも手に乗せてもらった重さ、よろこびがよみがえり全身をつつみこむようだった。

あの包み紙は何紙だっだろうかと母に聞くと、「障子屋さんからでる端切れか、祖父の書き物の半紙の端切れではないか」という。藁半紙よりは上質で、懐紙よりも日常的なきれいな紙だった。

わたしの本好きは、おそらくその記憶とも相まって、包み紙を開くと宝物が入っているという幼い時のよろこびを反芻しているのかもしれない。

その後はまたたくまにプラスチックの小分けされたお菓子になり、ジプロックになり、私も気付かぬうちにそうした文化も「失われて」いた。

「あのころはこうだった、ああだったと思い浮かべるのは、平坦な過去の羅列にすぎない。ほんとうの過去は、匂いや風味など、失われた感覚のなかに潜んでいて、ふとそれに遭遇したとき、はじめて深い詩情とともによみがえる。これがプルーストのくり返し描いた無意識的記憶現象で、いちばん有名なのは、紅茶に浸したマドレーヌの風味から少年時代の田舎町コンプレーがよみがえる挿話である。」『失われた時を求めて 訳者あとがき』

手のひらに乗せられた1回分のお菓子の質感。

皺のある祖母の手が四角いアルミ缶の中から取り出す飴やチョコレート、小さなおせんべい。

「古い過去から何一つ残らず、人々が死に絶え、さまざまなものが破壊されたあとにも、ただひとり、はるかに脆弱なのに生命力にあふれ、はるかに非物質的なのに永続性があり忠実なものとは匂いと風味である。」p116 スワン家の方へⅠ (コンプレー1)

サルトルの木の根や、プルーストの紅茶は、いちばん言葉にしにくいことを言語化しているので、ありありと伝わってくるときには素晴らしい体験となるが、紅茶と同じく二杯目には薄れ何度でもあるものでもなく「訪れる」よろこび、としか言いようがない。

プルースト
失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)
吉川一義 訳

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