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ペットロスとともに生きる

15年2か月の間、毎日のように一緒に寝て、「おはよう」と挨拶していたきなこと別れて1か月が経った。昨年末に歩けなくなったきなこの介護をするため仕事を控えていたが、きなこが亡くなって間もなくして新しい仕事が決まったので、今は忙しいし、新しい仕事の進め方を覚えなければならないから、仕事一色みたいな生活をしていて、メソメソしている時間なんてない。だからといってペットロスではないかといえば、それは違う。
私はペットロスに苦しんでいる。

きなこの写真や動画を見たら、会いたくて、触りたくて、においを嗅ぎたくて、泣いてしまう。写真や動画を見なくても、考えただけで涙が込み上げてくる。仕事中は泣くことはないが、それ以外の時間は電車の中など、どこでも泣いている。側から見たらおかしな人だろうが仕方ない。私はペットロスなのだ。

ペットロスは、悲しみに明け暮れ、何も手につかなような状況を指すのだと思っていたけど、普通に仕事をして、ご飯を食べて、笑っている人でもペットロスの状態であるのだと、自分で経験してみて初めてわかった。

きなこは私にとって「愛犬」以上の存在であったことは間違いない。生きていていろいろと辛い状況に直面したけれど、いつも私のそばいて、疲れや傷を癒してくれ、私を笑顔にしてくれた。いなくなって初めて、あの小さな命にこんなにも支えられて生きてきたのだとやっと気づいた。
よく「きなこちゃんのおかあさん」と言われたけれど、私はきなこのおかあさんだったことはない。甘えていたのは私の方だ。きなこは世界で一番の友達で、年上のおねえさんのような存在だった。

大切な存在を失った悲しみは、常に身体にじわじわと染み渡っている。仕事のときだけ無理やりスイッチを入れ替えているだけで、基本的に悲しみに包まれている。

今も泣きながら書いているが、それでいいと思っている。あんなに大切な存在を失って元気なはずがない。でも、仕事をして、ご飯を食べて、寝て、生きなければならない。
悲しみながら生きている。
悲しみとともに生きることを学んでいる。

ペットロスは無理に克服しなくていいと思う。泣いてもいいときは泣けばいいし、やる気が出ないときは何もしなくていい。最低限、人に迷惑かけないようにできたらそれでもうエライと思う。

いつペットロスを脱せるかはわからない。「あ、私、もう大丈夫だな」と思ったときがペットロスの終わりなのだろう。その感覚は人それぞれだと思うから、基本的な生活ができているのなら、「もう大丈夫」と自分で自然に思えるようになるまでは、ペットロスのままでいいんじゃないかな。

今日、なぜこの記事を書いたかわからないけど、やっと自分の気持ちを書けたことを良いことだと認めてあげよう。きなこも褒めてくれるかな。




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