再び71.5km走るまでの1460日 〜髙村貴子が挑んだハセツネ4連覇〜
2021年10月、久しぶりに髙村貴子さんにメールを送り、インスタLIVEのゲストに来てくれないかとお願いした。
「え、私なんかでいいんですか・・・」
髙村さんから思いもしない返事。一体どうしたというのだ?
彼女は日本を代表するトップ選手。ハセツネCUPが開催中止になってしまったこのタイミングで話を聞きたい人はたくさんいるだろう。しかし、彼女の中にはこんな思いがあった。
「私なんて、もう過去の人だと思われているかもしれない・・・」
彼女は苦しみの中にいた。
“世界一”を目指す医大生
髙村貴子はレーサーだ。
レースに出て“ファンラン”などということはあり得ない。自分が思うベストパフォーマンスにできる限り近づき、勝つ。そのために、日々を費やしている。
「スカイランニングで世界一になりたい」
スカイランニングユース選手権で上田瑠偉とともに入賞したころから、世界の頂点に立ちたいと発言するようになった。日本のマウンテンランナーの中で「世界一になりたい」と公言する選手は多くはない。特に女性選手では稀なことだ。
高みを目指している分だけ、彼女の求めるものは高い。世界一を目指しているのだから、国内で負けるわけにはいかない。その意識の高さが彼女を苦しめた。
もともとクロスカントリースキーの選手だった髙村さんは、先輩に誘われて北海道のトレイルレースに出場し、その魅力にとりつかれ、レースに参戦するようになった。
クロスカントリースキーは、トレイルランと相性がいいといわれている。あっという間に頭角を表した彼女は、2015年、初めて出場したハセツネCUPで女子3位に入賞。16年、17年、18年は、優勝。櫻井教美の女子最速記録の更新にはいたらなかったが、3年連続優勝を果たした。その他、国内外のレースでも活躍し、“走れば勝つ”。20代半ばの彼女はそんな状態だった。
医師であり、アスリート
医大を卒業した彼女は、“二兎を追う”ことにした。長野県にある病院で研修医として働くことにしたのだ。幸いにも、スカイランニングのワールドシリーズや世界選手権に出場することに理解を示してくれる病院が見つかったのだ。長野であれば、トレーニングに適した山もある。
研修医の仕事は新たに覚えることが多く、自宅に帰ればクタクタということがよくあった。一人暮らしを選んだ彼女は、食事や生活のすべてを自分でこなさなければならなかった。世界を目指すアリスートでありながらも、コンディションを管理してくれるトレーナーもいない。二兎を追うと決めた決断は厳しい現実を彼女に突きつけてきた。
疲れていて、何を食べたらいいかわからない。でも、何か食べないと。
パフォーマンスを下げないために体重を増やしてはいけない。
金曜の夜、疲れが溜まった心身は重く、週末の練習に気が乗らない。でも、練習しなければならない。
こんな日々の繰り返しだった。
この時期を振り返って、髙村さんはこう言う。
「研修医1年目は、医大生時代にしていたトレーニングの貯金でなんとかいい結果が出せていました。でも、自分では、学生の頃よりトレーニングが積めていない、パフォーマンスも落ちてきているということに気づいていました」
過去の記憶と実際のパフォーマンスのギャップに気づきながらも、それを受け止められないでいた。
新型コロナウイルスに翻弄される日々
2020年1月、新型コロナウイルスが猛威を振るい出し、得体の知れないウイルスに世界中の人々が恐れおののいた。
増え続けるコロナの感染者に歯止めをかけるため、政府は「緊急事態宣言」を発令。都市部の人々の暮らしに様々な制限がかけられ、その他の地域の人々もコロナに怯える日々が始まった。
コロナ禍に入り、多くの人々が苦しい状況に追い込まれたが、それは髙村さんも例外ではなかった。目指していたレースの開催中止が続き、海外に行くには数週間の自主隔離が必要とされ、海外遠征に行くことは困難を極めた。その上、彼女は医療従事者だ。業務上、一般の人より更に感染に気をつけなければならない。海外遠征に行くことは諦めざるを得なかった。
レースは彼女にとって戦いの場ではあるが、同じ競技者たちに会えたり、その土地の美しい景色が見られたりする楽しみの場でもある。その機会が極端に減っていき、コロナ禍の閉塞感の中、世界一を目指す彼女はモチベーションを保つのが難しくなっていき、やがてトレイルランが楽しめなくなっていった。
「海外遠征している他の選手を見ると、羨ましく思いました。でも、同時に、レースがなくてほっとしている自分もいました」
コロナ禍の真っ只中、彼女は複雑な心境で時を過ごしていた。
トレイルランが楽しめない
2021年冬、彼女はクロスカントリースキーに打ち込んでいた。雪深い長野県では、冬場は走ることができなない。クロスカントリーはトレイルランナーにとって冬場のよいトレーニングになる。彼女にとっては、トレイルランに向き合わずに済む期間だった。
「パフォーマンスが落ちているのはわかっていましたが、自分の頭の中では医大生の頃のように走れるという感覚があり、現状から目を背けていました。だから、走ることが楽しくなくなり、冬場はクロカンばかりしていました」と髙村さん。
初夏からのレースに向けて走らなければならない。この時、レースに出るのは義務感のようなものだった。出場しないと、世の中に忘れ去られてしまう気がしていた。
クロカンからトレイルランに切り替え、レースまでのトレーニングを進めていったのだが・・・。
原因不明の痛みとの戦い。一から出直す気持ちで
2021年6月、右の股関節に痛みが現れた。レントゲンを撮ったが異常はなく、動かすことはできたので、骨折ではないと思った。その病院にはMRIがなかったことが、彼女をこのあと数か月苦しめることになる。
ランニング時などに鼠けい部に痛みが走る「グロインペイン症候群(鼠けい部痛症候群)」ではないかと診断され、その痛みを取るため、走るポジションを見直したり、新たに補強トレーニングを取り入れたりと、痛みを取り除くためのあらゆる対処をしたが、痛みが引くことはなかった。
しかし、それから2か月後、なんとか走れるようになってきたので、グロインペイン症候群はよくなってきたと思っていた。
研修医になって3年目。やっと気持ちが上がってきたところで、思い切り競技に打ち込みたい気持ちと裏腹に普通に走ることさえできない。
苦しみながらも、なんとか2022年のスカイランニング世界選手権の選考レース「志賀高原エクストリームトレイル」に出場。優勝こそ逃したが、2位につけることができた。
しかし、志賀高原のレース後、痛みを持っていた右脚の付け根だけでなく、左脚にも痛みが生じた。グロインペインの再発かと思っていたが、かなりの痛みで、走っても足を引きずるような状態だった。
2021年10月半ば、MIR検査をして発覚したことだが、左脚の付け根は疲労骨折していた。最初に痛みがあった右脚も骨折していた可能性もあった。
右脚の痛みをかばって左脚に負荷がかかり、左が疲労骨折に。疲労骨折の経験がない彼女は、骨折しているとは思わなかったのだ。
右脚の痛みはなぜ生じたのか? 髙村さんは当時このように話していた。
「2021年の1月から3月は、クロカンばかりで、走ることはしていませんでした。4月からレースに向けてランに切り替えて、走る筋肉が出来ていなかったことが故障につながったのではないかと思います。
クロカンで心肺機能は維持できていましたが、クロカンとランは足が受ける衝撃が全然違うので、準備ができていない体で今までのようなトレーニングを課したことがよくなかったのかもしれません。
疲労骨折がよくなるまで、ランニングどころか、階段を上ることさえ極力控えています。でも、6月から悩まされ続けてきた痛みの原因がわかったので、気持ち的にすっきりしました。これが治れば、また以前のように走れると信じて、今やれることをやるだけです」
3年ぶりに世界で戦う
2022年、彼女は再びスカイランニングワールドシリーズに参戦することを決意した。医師の仕事も続ける。
「思い切って海外に行ってよかったです。海外では、力の差を見せつけられたら、受け入れることができました。そして、自分に足りないところを見つめ直し、それを補うトレーニングをすることでパフォーマンスが上向いてきました」
順調に一番の目標であるスカイランニング世界選手権を目指していたところ、再びトラブルに見舞われる。
2022年8月、肋骨が折れていることが発覚。7月末にアンドラで開催されたスカイランニングレースで転倒したときに負傷してしまったのだ。
それでも彼女は諦めなかった。9月上旬のスカイランニング世界選手権に出場するため、でき得る限りの治療を施し、なんとかレースに参戦することができた。そして、見事5位を掴み取った。気持ちの強さで掴んだ勝利といえよう。
ハセツネから逃げるわけにはいかない
2022年10月。4年ぶりに「日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)」が開催される。
ハセツネに向け、体調があまり良いとはいえない状況。レース1週間前は頭痛に悩まされた。世界選手権の疲れが抜けきっていなかったし、ハセツネに対する周囲の人々の期待が重くのしかかっていた。
ハセツネ3連覇をしたのは4年前のこと。
4連覇の期待が高まる中、不甲斐ない走りはできない。
プレッシャーから、「もうハセツネを卒業してもいいのでないか」と思った。心の中には出場することが怖くて逃げたい気持ちがあった。
しかし、「ここで逃げたらアスリートとしてもう終わりだ」と自分を奮い立たせ、4度目の優勝目指して全力で走ることにした。
レース中、髙村さんのタイムは、男子選手と合わせた総合でもトップ10に迫る勢い。中盤から、2008年に櫻井教美が出した女子コースレコードの更新が見えてきた。彼女は優勝だけでなく、女子最速記録の更新も狙っていたのだ。
「圧倒的でいたい」。再び71.5kmを走るまでの4年間の思いをぶつけて走った。
髙村貴子は8時間41分49秒の女子コースレコードを更新し、優勝。4連覇を果たした。
結果だけ見れば、「髙村選手はやっぱり速い」と思うだろう。しかし、輝かしい勝利の記憶とともに、彼女が再びハセツネCUPを走るまでに何度も困難に直面しては、自分を信じてそれを乗り越えてきたことを知ってほしい。
2021年、疲労骨折をして、その治療のため走ることを控えていた時期に彼女はこう言った。
「今までの自分をなかったことにして、ゼロから始める気持ちで取り組んでいます。今できることを全力でやるだけです。ゼロからのスタートだとしても、昨日より成長したと思えればいい」
数々の勝利をおさめてきた自分を一度なかったことにする勇気をもった髙村貴子は、人としても成長し、さらに強くなったことだろう。そして、この経験は、スポーツドクターを目指す彼女にとって財産となる。
2023年はどんな走りを見せてくれるのだろうか。アスリートとしての活躍はもちろんだが、医師としての成長にも期待している。将来、スポーツドクター・髙村貴子に取材することを密かに楽しみにしている。
髙村貴子(たかむら・たかこ)
医師・トレイルランナー・スカイランナー
1993年生まれ。石川県出身。2019年に旭川医科大学を卒業。現在は、長野県を拠点に医師として働きながら、「世界一」を目指しマウンテンランナーとして活動している。
■2022年の主な戦績
2022年9月 スカイランニング世界選手権(イタリア) 5位
2022年10月 日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)優勝 《4連覇、女子コースレコード更新》
2022年11月 マウンテンランニング・トレイルランニング世界選手権 14位
写真・文=一瀬立子
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