営業秘密の帰属について
特許に関しては、特許法35条(職務発明)の法改正が度々行われ、特許を受ける権利は誰に帰属するのかや、発明者の権利保護が明確になっています。
しかしながら、営業秘密の帰属については、営業秘密保護の規定がある不正競争防止法においてもその規定はなく、未だ法的に明確になっていません。そして、営業秘密の帰属については、主に不正競争防止法2条1項7号の解釈が問題になります。
不正競争防止法2条1項7号
営業秘密を保有する事業者(以下「保有者」という。)からその営業秘密を示された場合において、不正の利益を得る目的で、又はその保有者に損害を加える目的で、その営業秘密を使用し、又は開示する行為
雇用の流動化が益々進む今後、営業秘密侵害の刑事事件、刑事事件において営業秘密の帰属が争点となる可能性は高まるでしょう。このため、企業は、営業秘密が誰に帰属するのかという論点を認識する必要があるかと思います。
「営業秘密を保有者から示された者」の解釈
不競法2条1項7号における侵害行為と認められる場合には「保有者からその営業秘密を示された場合において、」との要件を満たす必要があります。また、同様の要件として営業秘密の刑事罰を規定した不競法21条1項三号等には「営業秘密を保有者から示された者」との要件があります。
ここで、自ら営業秘密を創出した従業員は「営業秘密を保有者から示された者」に該当するのでしょうか。
例えば、発明であれば従業員が一人で創出する場合もあり、このような場合には当該発明にかかる情報はまず従業員が自身が業務で用いるパソコンにデータとして記憶させたり、アイデアをノートに記述等することで自らが発明を保有し、その後、従業員から企業(具体的には上司等)へ当該発明を示すことになります。
すなわち、このような場合において発明を自ら創出した従業員と創出者との関係では「営業秘密を保有者から示された者」は、従業員ではなく企業となります。
この解釈のとおりだとすると、たとえ企業が従業員から示された発明を秘密管理したとしても、当該従業員が他の企業に転職して転職先企業において当該発明を開示することは不競法違反にはあたりません。この従業員は不競法2条1項7号等における「営業秘密を保有者から示された者」との要件を満たさないためです。
営業秘密が規定された当時の逐条解説の記載
営業秘密は1990年(平成2年)から不正競争防止法において民事的保護が規定されました。
このタイミングで通商産業省(現経済産業省)知的財産政策室が監修した「営業秘密ー逐条解説 改正不正競争防止法ー」が発行されています。 すなわち、この書籍の記載は営業秘密が定められた当初における行政の法解釈であると理解できます。
ここで、本書の87ページの「保有者ヨリ示サレタル営業秘密」には以下のように営業秘密の帰属について記載されています。
例えば企業に所属する従業員が職務上営業秘密を開発した場合に、当該営業秘密の本源的保有者は企業と従業員のいずれにかるのか、即ちいずれに帰属するのかという点が問題となる。
このように、営業秘密の民事的保護が規定された1990年において既に営業秘密の帰属に対する問題提起がなされていました。
そして、これに対して本書では「個々の営業秘密の性格、当該営業秘密の作成に際しての発案者や従業員の貢献度等、作成がなされる状況に応じてその帰属を判断することになるものと考えられる。」とし、下記のように例示しています。
例えば企業Aで働く従業員Bが自ら営業秘密を開発しそれがBに帰属する場合にはAから示された営業秘密ではないため、Bが転職して競業企業Cにおいて当該営業秘密を使用したり開示したりする場合であっても、本号に掲げる不正行為には該当しない。・・・契約によってBからAに帰属を移した営業秘密をBが転職して競業企業Cにおいて利用したり開示したりする行為は、本号の適用を受けないとしても債務不履行責任を負うことは当然である。(営業秘密ー逐条解説 改正不正競争防止法ー p.87~p.88)
すなわち、本書では、営業秘密が従業員Bに帰属する場合には当該営業秘密を他社等に開示しても不競法2条1項7号違反にはならないものの、契約によって営業秘密の帰属を企業に移していたら債務不履行となる、と解釈しているようです。
なお、本書の93ページの注意書き(4)には下記のように営業秘密の帰属に対する判断基準が示されています。
営業秘密の帰属については、
①企画、発案したのは誰か、
②営業秘密作成の際の資金、資材の提供者は誰か、
③営業秘密作成の際の当該従業員の貢献度
等の要因を勘案しながら、判断することが適切であると考えられる。
ー裁判例ー 技術情報に係る営業秘密の帰属
技術情報に係る営業秘密の帰属を判断した裁判例として、フッ素樹脂ライニング事件(大阪地裁平成10年12月22日判決 事件番号:平成五年(ワ)第八三一四号)が挙げられます。
本事件は、原告会社が営業秘密であると主張するフッ素樹脂シートの溶接技術に関するノウハウ(本件ノウハウ)を、原告会社を退職して被告会社の取締役に就任した被告A(個人)び被告B(個人)が持ち出したというものです。
本事件において、被告会社らは本件ノウハウに秘密性が認められたとしても、本件ノウハウは被告Bが一人で考案し、実用化したものであるから、その権利は被告Bに帰属すると主張しました。
これに対し、裁判所は以下のように判断し、本件ノウハウが被告Bに帰属するという被告の主張を認めませんでした。
本件ノウハウの確立等に当たって被告Bの役割が大きかったとしても、それは原告会社における業務の一環としてなされたものであり、しかも、同被告が一人で考案したものとまで認めるに足りる証拠はないから、本件ノウハウ自体は原告会社に帰属するものというべきであり、被告B個人に帰属するものとは認められない。
ー裁判例ー 営業情報に係る営業秘密の帰属
営業情報に係る営業秘密の帰属を判断した裁判例として、医薬品顧客情報流出事件(大阪地裁平成30年3月5日判決 事件番号:平成28年(ワ)第648号)が挙げられます。
本事件では、被告ら3名(明星薬品を退職して被告会社を設立及び入社)は、自らが顧客情報を集積していたのであって、明星薬品を退職するまで明星薬品とともに被告ら3名も顧客情報の保有者であったと主張しました。なお、原告企業は、明星薬品から医薬品の配置販売業の事業譲渡を受けた企業です。
上記被告の主張に対して、裁判所の判断は以下のようなものであり、当該顧客情報は被告らに帰属せず、明星薬品に帰属していたと判断しています。
被告ら3名は,明星薬品の従業員として稼働していた者であり,明星薬品の営業として顧客を開拓し,医薬品等の販売を行うことによって明星薬品から給与を得ていたものであり,被告ら3名が営業部員として集めた情報は,明星薬品に報告され,明星薬品の事務員がデータ入力して一括管理していたのである。そうすると,実際に顧客を開拓し,顧客情報を集積したのは被告ら3名であっても,それは,被告ら3名が明星薬品の従業員としての立場で,明星薬品の手足として行っていたものにすぎないから,被告ら3名が集積した顧客情報は,明星薬品に帰属すべきものというべきであり,被告ら3名が独自に顧客情報の保有者となり得る地位にあったとは認められない。
したがって,・・・,被告P1自身が集積した顧客情報を含む明星薬品の懸場帳そのものについても,被告ら3名の保有する情報ではなく,明星薬品から示された情報というべきである。
裁判例の考察
医薬品顧客情報流出事件では顧客情報の作成に対して被告の貢献度が高いと思われるにもかかわらず、裁判所は顧客情報の帰属は会社にあると判断しました。
ここで、上述のように「営業秘密-逐条解説 改正不正競争防止法」(1990年) には、営業秘密の帰属についての判断基準の例として下記①~③等の要因を勘案しながら判断することが示されています。
①企画、発案したのは誰か
②営業秘密作成の際の資金、資材の提供者は誰か
③営業秘密作成の際の当該従業員の貢献度
すなわち、医薬品顧客情報流出事件において裁判所は、被告三人が顧客情報を集積したことを認めたものの、顧客情報に関して従業員の貢献度(上記③)を勘案せず、上記①,②に相当すると考えられる事実を勘案してその帰属を判断したと解されます。
このように、営業情報については、たとえ、その作成にあたり従業員の貢献度が高かったとしても、当該営業情報は従業員に帰属するとは認められにくく、その帰属は会社に帰属すると判断され易いとも思われます。
一方、技術情報についてはどうでしょうか。
フッ素樹脂ライニング事件において裁判所は「同被告が一人で考案したものとまで認めるに足りる証拠はない」と認定していますが、この認定は、裏を返せば、本件ノウハウが被告一人で考案した証拠があれば、本件ノウハウは被告に帰属する可能性を示唆しているとも思われます。
ここで「営業秘密-逐条解説 改正不正競争防止法」(1990年) p.93には「特許法においては、発明をなすという行為は個人の発想に基づくところ大であり、属人的性格が強い」との記載があり、近年の特許法35条の度重なる改正等により特許の発明者の権利も強く認められています。
そうであるならば、同じ技術情報であっても特許出願した場合には発明者としての従業員の権利が認められる一方、営業秘密化した場合には従業員の権利が認められないとなるとバランスを欠くとも思われます。
このように考えると、技術情報を営業秘密とした場合、当該技術情報の創出の寄与が高かった従業員が当該技術情報を会社に許可なく持ち出す等しても、当該技術情報は当該従業員に“も”帰属していると判断され、不競法違反に問うことは難しい可能性も考えられるのではないでしょうか。
すなわち、不競法の2条1項7号等における「営業秘密を保有者から示された者」に対してのみ違法行為を問うという、文言通りの解釈がなされる可能性があると考えられます。
では、企業としてはどうすればよいのでしょうか。
「営業秘密ー逐条解説 改正不正競争防止法ー」に記載されているように、企業は、技術情報の創出の寄与が高かった従業員に対して秘密保持契約を結ぶべきでしょう。これにより、もし従業員が当該技術情報を持ち出した場合、不競法違反に問えなくても秘密保持義務違反を問うことは可能となります。
なお、秘密保持義契約を締結する場合には、当該技術情報を特許出願した場合と同様に企業は当該従業員に対して相当の利益を与えるべきとの裁判例もあります。このため、営業秘密を創出した従業員との間で秘密保持契約を締結した企業は、当該営業秘密を独占して使用することになるため、当該従業員に対して相当の利益を与える必要があるでしょう。
知財高裁平成27年7月30日判決(平成26年(ネ)第10126号)
使用者等は,職務発明について無償の法定通常実施権を有するから(特許法35条1項),相当対価の算定の基礎となる使用者等が受けるべき利益の額は,特許権を受ける権利を承継したことにより,他者を排除し,使用者等のみが当該特許権に係る発明を実施できるという利益,すなわち,独占的利益の額である。この独占的利益は,法律上のものに限らず,事実上のものも含まれるから,発明が特許権として成立しておらず,営業秘密又はノウハウとして保持されている場合であっても,生じ得る。
ただし、このようにして持ち出された技術情報を当該従業員から開示された他社(例えば当該従業員の転職先企業)が使用した場合には、当該他社は不競法2条1項8号又は9号違反により営業秘密の侵害になります。
すなわち、秘密保持契約が締結されている技術情報の許諾のない開示は、不競法2条1項8号又は9号の「その営業秘密について不正開示行為(秘密を守る法律上の義務に違反してその営業秘密を開示する行為)」に該当すると考えられるためです。