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QRコードの普及から考える知財戦略  ー知財戦略カスケードダウンへの当てはめー

(株)デンソーが開発した2次元コードであるQRコードを使ったことがない、若しくは見たことがないという人はいないでしょう。それくらい、QRコードは広く普及している情報コードです。
参考:デンソーウェーブホームページ
   QRコードドットコム

このQRコードの普及に関して、「QRコードの開発と普及-読み取りを追求したコード開発とオープン戦略による市場形成-」という論文が発表されています。以下ではこの論文を「QRコード論文」といいます。
今回は、QRコードに関する知財戦略について、QRコード論文を参照して知財戦略カスケードダウンに当てはめてみたいと思います。なお、知財戦略カスケードダウンの概要については、パテント誌2021年4月号に掲載の「知財戦略カスケードダウンと三方一選択」に記載しています。

<1.QRコードの事業戦略>

QRコードの戦略について、その概要が経済産業省のHP「標準化ビジネス戦略検討スキル学習用資料」にある「標準化をビジネスで⽤いるための戦略」の12ページに下記のように端的に記載されています。

・ (株)デンソー(現︓(株)デンソーウェーブ)は、物品流通管理の社内標準であったQRコードを普及させるため、基本仕様をISO化。必須特許はライセンス料無償で提供することで市場を拡⼤。
・QRコードの認識やデコード部分を差別化領域とし、QRコードリーダ(読み取り機)やソフトウェアを有償で販売し、QRコードリーダーでは国内シェアトップを獲得。
・QRコード⾃体が普及すれば収益が上がるビジネスモデルを確⽴。
QRコードは、その読取装置とセットになって初めて機能するものです。

そこで、デンソーは、QRコードを自由技術化し、読取装置の販売等によって利益を挙げるというビジネスモデルを選択しました。このような戦略を実現するために、デンソーはQRコードや読取装置に関する特許権を取得しています。下記の特許権がそれらの基本特許であると思われます。

<QRコード>
特許第2938338号
(出願日:平成6年(1994)3月14日)

【請求項1】 二進コードで表されるデータをセル化して、二次元のマトリックス上にパターンとして配置した二次元コードにおいて、前記マトリックス内の、少なくとも2個所の所定位置に、各々中心をあらゆる角度で横切る走査線において同じ周波数成分比が得られるパターンの位置決め用シンボルを配置したことを特徴とする二次元コード。

QRコード

<読取装置>
特許第2867904号
(出願日:平成6年(1994)12月26日)

【請求項1】 2進コードで表されるデータをセル化して、2次元のマトリックス上にパターンとして配置し、マトリックス内の、少なくとも2個所の所定位置に、各々中心をあらゆる角度で横切る走査線において同じ周波数成分比が得られるパターンからなる位置決め用シンボルを配置した2次元コードを読み取るための2次元コード読取装置であって、・・・

読取装置

その他のQRコードに関する特許:QRコードドットコム

このように、QRコードに関する「技術要素」(「知財戦略カスケードダウンと三方一選択」でその概念を説明しています。)として「QRコード」そのものと「読取装置」のように2つあることが理解できます。
そして、QRコードは、特許権を取得したものの誰でも使えるように自由技術化(オープン)する一方、読取装置は収益をあげるために権利化及び秘匿化(クローズ)しています。このように、QRコードの普及とそれに伴う収益を目的として、オープン・クローズ戦略をデンソーは行いました。

QRコードの普及と収益に関するオープンクローズ戦略は、何もないところからいきなり現れたわけではありません。そこには、事業としてのアイデアがあり、そのアイデアを実現するためにオープンクローズ戦略が選択され、発明に対して権利化、秘匿化、自由技術化(三方一選択)が行われたのでしょう。

その流れがまさに知財戦略カスケードダウンであり、以下ではQRコードの知財戦略をこれに当てはめます。

図_05

まずは、事業についてです。
QRコード論文におけるp.20左欄の「3.1 開発コンセプトと開発目標」には以下の記載があります。

どのようなに優れたコードを開発しても、社会に広く実用化されなければ企業としては成功と言えない。そので、QRコードを世界中に普及させる目標を持ち、以下のコンセプトでQRコードを開発した。

このことから「QRコードを世界中に普及させる」ことが事業目的となるでしょう。

また、QRコード論文のp.21右欄の「3.3 普及のシナリオ」には以下の記載があります。

どんなに良いコードを開発しても、インフラが整備され、誰もが自由に安心して使えなければ普及しない。特にインフラ整備は当社だけでは困難であり、また普及に時間が掛かると他の2次元コードや新しい技術が浸透する可能性がある。そこで、普及フェーズでは多くの企業にQR市場への参入を促し、インフラ整備に協力してもらい、早期にQR市場を形成させることが鍵になると考えた。

このことから「誰もが自由に安心して使えるようにすると共に、早期にQR市場を形成させる」ことが事業戦略となるでしょう。

そして、QRコード論文の「3.3 普及のシナリオ」と「3.4 事業化のシナリオ」から事業戦術は下記の3つであると考えます。
(1)業界標準を取得し、業界からISOの規格化を要請してもらう。
(2)誰もが自由に安心して使える環境作り
(3)事業収益は慣れ親しんだ読取装置・サービスをQR市場に提供

デンソーは、この事業戦術のうち(2)と(3)に対して知財を用いることでより良い形で実現したと思います。

以下にQRコードの事業目的、事業戦略、事業戦術をまとめます。

<事業目的>
  QRコードを世界中に普及させる。
<事業戦略>
  誰もが自由に安心して使えるようにすると共に、早期にQR市場を形成させる。
<事業戦術>
 (1)業界標準を取得し、業界からISOの規格化を要請してもらう。
 (2)誰もが自由に安心して使える環境作り
 (3)事業収益は慣れ親しんだ読取装置・サービスをQR市場に提供

<2.「QRコードそのもの」の知財戦略>

QRコードの技術要素には「QRコードそのもの」と「読取装置」があることを上述しました。そこで、まず「QRコードそのもの」の知財戦略を知財戦略カスケードダウンに当てはめて考えます。なお、以下では「QRコードそのもの」を単に「QRコード」といいます。

ここではQRコードの事業戦術のうち(2)である「誰もが自由に安心して使える環境作り」がQRコードの知財目的になると考えます。

では、この知財目的を達成するための知財戦略をどのようになるでしょうか。
QRコード論文における「3.3 普及のシナリオ」のp.22には下記のように記載されています。

誰もが自由に安心して使える環境作りで、上記以外にQRコードの特許を以下のように活用した。QRコードの利用者には特許権利をオープンにし、QRコードの模倣品や不正用途に関しては特許権利を行使して、市場から排除する方針を採った。

上記記載には、QRコードの特許権取得までが記載されていますが、これは後述する知財戦術にあたると考えます。知財戦術として特許権の取得するに至る考えが知財戦略であり、上記記載からは知財戦略として下記の2点が考えられます。

(1)利用者にはQRコードをオープンにする。
(2)QRコードの模倣品や不正用途を排除する 。

これにより、知財目的である「誰もが自由に安心して使える環境作り」を達成することとなります。なお上記(1)と(2)は一見して相反するものとも思えますが、これを達成するための具体的な方策がQRコードに対する知財戦術となり、既に述べているように「QRコードの特許権取得」となります。なお、知財戦術としては、独占排他権を得るためにQRコードの特許権を取得するのではなく、基本的には他者に対して権利行使を行わない旨の宣言が含まれます。

ここでQRコードの特許権取得は、「QRコードをオープンにする」という知財戦略からすると、特許出願に対する労力や費用、さらに特許権の維持コストを鑑みるとデンソーにとっては無駄なようにも思えます。単に技術をオープンにするのであれば、特許権取得は不要であり、かつ技術をオープンにするだけでは当該技術から直接的な収益を挙げることはできないためです。しかしながら、QRコード論文の記載の続きには下記のように記載されています。

また、特許権を取得したことで、他の特許侵害で訴えられない証明となり、ユーザが自由に安心して使える環境を提供した。

このように、デンソーが特許権を取得し、かつその使用をオープンとすることでユーザは安心してQRコードを使用することができるようになります。ある意味で、デンソーがユーザを守ることとなり、QRコードの特許権取得は知財目的である「誰もが自由に安心して使える環境作り」の達成に寄与します。

さらに、QRコードの模倣品や不正用途に対しては、特許権を行使することで排除することが可能となります。これは、知財戦略の「(2)QRコードの模倣品や不正用途を排除する 。」を達成することとなります。このようなデンソーによる特許権行使は、QRコードを正しく利用しているユーザにとっても、より安心感のある情報コードという信頼を守ることとなります。このことは、まさにQRコードのブランドを守ることになるでしょう。

なお、QRコード論文のp.27の議論2に下記記載があり、デンソーは実際に特許権を用いてQRコードの模倣品排除を行っていたようです。

模倣品や不正用途を発見した場合は、当社の特許権利を侵害していると警告し、警告しても止めなければ権利行使することにしていました。これまでに、模倣品で1件だけ警告したことがあります。

すなわち、QRコードの特許権取得は、QRコードの自由技術化を促すと共に、デンソーの意図しない使用を行った者を侵害者として排除することでQRコードのブランドを維持する、という2つの目的を達成するための選択と言えます。
また、QRコードの特許権を取得する一方で、基本的には権利行使を行わないという戦術は、事業戦術における「(1)業界標準を取得し、業界からISOの規格化を要請してもらう。」とも親和性が高い知財戦術であると言えるでしょう。なお、QRコードは下記のホームページにあるように、JISやISO等複数の機関による規格化が行われています。

参考:QRコードドットコム QRコードの規格化・標準化

以上説明したように、デンソーはQRコードの特許権を取得しました。そして、特許権取得の目的が明確であるため、権利行使を行う相手も明確となっています。
もし、特許権取得の目的が明確になっていなかったら、又は特許権取得の目的を理解していなかったQRコードの普及はどうなっていたでしょうか?同じ特許権の取得であっても、その目的が明確になっている場合とそうでない場合には、その事業が全く異なる結果になるかもしれません。

以下に「QRコードそのもの」の知財目的、知財戦略、知財戦術をまとめます。

<知財目的>
  誰もが自由に安心して使える環境作り。
<知財戦略>
(1)利用者にはQRコードをオープンにする。
(2)QRコードの模倣品や不正用途を排除する 。

<知財戦術>
 「QRコードそのもの」の特許権取得
  (基本的に権利行使しない。)

図_05

<3.「読取装置」の知財戦略>

次にQRコードの技術要素である「読取装置」の知財戦略を知財戦略カスケードダウンに当てはめて考えます。

ここではQRコードの事業戦術のうち(3)である「QR市場に提供することで事業収益を得る」が読取装置の知財目的になると考えます。
すなわち、デンソーは、QRコードそのものを無償で誰でも使用できる環境を作る一方で、その読取装置に関しては無償とはせずに、デンソーが有償で提供することで収益を挙げるという事業戦術を立案しました。

では、この知財目的を達成するための知財戦略をどのようになるでしょうか。QRコード論文における「3.4 事業化のシナリオ」のp.22には下記のように記載されています。

事業収益は慣れ親しんだ読取装置・サービスをQR市場に提供することにし、QRコードの読み取り装置をクローズにした。

事業収益を得るためには、やはり、QRコードそのもののように読取装置の技術をオープンにすることはできません。 他社が同様の読取装置の製造販売を行い、その結果、QRコードが普及したとしてもデンソーは十分な利益を挙げることができない可能性があるためです。
そうすると、「読取装置の技術をクローズとする」これが読取装置の知財戦略となるでしょう。

ここで、技術情報のクローズ化には二通りのやり方があります。すなわち特許化と秘匿化です。読取装置の技術と一言で言っても、様々なものがあります。どのようの技術を特許化又は秘匿化するのか、この選択が知財戦術となります。

これに関連して、QRコード論文における「3.4 事業化のシナリオ」のp.22には下記のように記載されています。

読み取り装置の核となる画像認識技術は特許出願せずに秘匿化し、それ以外の読み取り装置に関しては特許を取得してライセンス提供する方針を採った。

このことから、読取装置の知財戦術として下記の2つが選択されたことが分かります。
(1)読取装置の画像認識技術は秘匿化
(2)画像認識技術以外はラインセンスを目的とした特許出願

このように、デンソーは読取装置の技術を見極め、かつ収益の源泉を想定して、読取装置の技術毎に権利化、秘匿化を選択しました。特に読取装置の技術は、プログラムに関するものであり、他社によりリバースエンジニアリングが難しいので秘匿化には大きな意味があります。

ここで、プログラムであっても自社で開発した新規技術の多くを特許化するという方法を選択する企業があります。そのときの知財担当者は、特許化したところで他社による侵害発見が困難であることを認識しています。しかしながら、他社に同じ技術を特許化されると困るという理由で特許出願します。その結果、単に自社開発技術を公開しているに過ぎない場合も多いでしょう。
一方で、QRコードの読取装置に関して、デンソーは事業の収益を挙げることを目的として、技術内容に応じて特許化と秘匿化とを選択しており、正に事業を意識した知財といえるでしょう。

また、面白いことに、デンソーは特許化した技術をライセンスするという戦術を選択しています。QRコードそのもを無償としているのであれば、読取装置は自社のみが市場に提供することでより多くの収益を挙げることを選択しそうなものです。

しかしながら、デンソーは読取装置の特許をライセンスしています。なぜでしょうか?
ここからは想像なのですが、読取装置をデンソーのみが製造販売するという市場を形成してしまうと、他社はQRコード市場で収益を挙げることができません。
そこで、QRコードのような2次元コードの優位性を認識した他社は、QRコードとは異なる独自の二次元コードを開発する可能性があると思われます。そうすると、2次元コードの市場がQRコードと他のコードに分裂し、結果的にQRコードの市場が十分に拡大しないということをデンソーは懸念したのではないでしょうか?
一方で、読取装置の特許をライセンスすることで、他社もQRコードの読取装置を製造販売して収益を挙げることができます。そうすると、他社はQRコードとは異なる2次元コードを開発するよりも、デンソーからライセンスを受けることでQRコードの市場に参入する方が低いリスクで収益を挙げることができます。
この結果、2次元コード=QRコードという市場が確立し、QRコードはより普及の度合いを高めることができ、結果的に、デンソーは読取装置による収益増を得られるという、事業戦略だったのではないでしょうか?

また、デンソーは画像認識技術を特許化、すなわちライセンスの対象とせずに秘匿化しています。この画像認識技術は、デンソーが他社に比べて優位性を保つことができる技術という位置付けでしょう。
すなわち、特許化した読取装置の技術は、QRコードを読み取るための最低限の技術であり、ライセンスを受けた他社はデンソーの読取装置よりも優れた読取装置を製造販売することは難しいでしょう。
そうすると、より精度高くQRコードを読み取りたい顧客企業はデンソー製の読取装置を選択することになります。この結果、デンソー製の読取装置は他社製の読取装置と差別化でき、収益にも貢献するのでしょう。

このように、デンソーは、QRコードの読取装置に関して、特許化、秘匿化を巧みに選択し、かつ他社へのライセンスにより読取装置で得られる利益の最大化を図ったと考えられます。

以下に「読取装置」の知財目的、知財戦略、知財戦術をまとめます。

<知財目的>
  QR市場に提供することで事業収益を得る
<知財戦略>
読取装置の技術をクローズとする。
<知財戦術>
 (1)読取装置の画像認識技術は秘匿化。
(2)画像認識技術以外はラインセンスを目的とした特許出願。

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<4.まとめ>

以上のようにQRコードについて、知財戦略カスケードダウンに当てはめて考察しました。その結果、QRコードに対して、どのような技術情報を権利化、秘匿化、又は自由技術化するべきであるかを、事業に基づいて決定するというプロセスを知財戦略カスケードダウンで説明することができました。
このことは、知財が事業を理解して、技術情報の権利化、秘匿化、自由技術化の選択である「三方一選択」を適切に実行したことにより、QRコードの普及びQRコードによる利益を得ることができたのだと考えられます。

すなわち、自社開発した技術を知財とする場合、知財戦略カスケードダウンの考え方、換言すると、事業に基づいた知財の三方一選択を行うことで、事業に知財を活かし、知財によって事業を強くすることができるという一例をこのQRコードへの当てはめで説明できました。

さらに、知財戦略カスケードダウンでは、特許出願ノルマという概念は一切なく、上記のように事業にとって価値(目的)が明確な特許出願のみが実行されることとなります。このことは、「何のために特許出願を行うのか?」、「特許出願に価値はあるのか?」という疑問に対する説明を明確に行うことができます。
その結果、例えば企業の経営陣等に特許出願の価値を理解させることができ、さらには特許に関する予算の削減等の抑止力としても働くことになるでしょう。

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