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アサヒビールの生ジョッキ缶から考える知財戦略  ー知財戦略カスケードダウンへの当てはめー

2021年の4月にアサヒビールから缶ビールでありながら、サーバーから注いだ生ビールのように泡立つ生ジョッキ缶が販売されました。
アサヒビールは特許出願も行ったとのこともあり、このビールを個人的に購入してみたところ、開封直後の泡立ちはインパクトがあり、直感的に面白い商品だなと思いました。

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実際に、この生ジョッキ缶は注文が想定を上回り出荷を一時停止するほどの反響があったようです。このため、他のビールメーカーもこのような泡立ちの良い缶ビールの製造販売に追従する可能性があるのではないでしょうか。

そこで、私がパテント誌2021年4月号で提案している「知財戦略カスケードダウンと三方一選択」にアサヒビールが公開している生ジョッキ缶の技術内容を当てはめ、この生ジョッキ缶に対する知財戦略を数回に分けて考えてみたいと思います。

なお、このブログにおける見解は筆者個人の見解であり、アサヒビールとは何も関係ありません。従ってアサヒビールが「知財戦略カスケードダウンと三方一選択」を行ったものではありません。

参考:アサヒビール
アサヒビール社の今後の経営方針(2021年3月)
生ジョッキ缶ホムページ

<1.知財戦略カスケードダウンと三方一選択>

まず、知財戦略カスケードダウンと三方一選択について簡単に説明します。

三方一選択は、発明に対して権利化(特許出願等)、秘匿化、又は自由技術化を事業に基づいて選択することをいいます。

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知財戦略カスケードダウンは、事業を「事業目的」、「事業戦略」、「事業戦術」に段階的に考えます。同様に知財も「知財目的」、「知財戦略」、「知財戦術」とのように段階的に考えます。そして知財目的は事業戦術に基づいて決定され、知財戦略は知財目的に基づいて決定され、知財戦術は知財戦略に基づいて決定されます。

より具体的には知財戦略では、事業に使用する技術要素群(関連する複数の発明)毎に、知財目的に基づいて権利化、秘匿化、又は自由技術化が選択されます(三方一選択)。また、一つの技術要素群に含まれる発明であっても、知財戦略で決定した選択が合わない発明もあります。そこで、知財戦術では、個々の発明毎に権利化、秘匿化、又は自由技術化を選択します。

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このようなカスケードダウンによって、発明毎に事業に基づいて三方一選択が行われます。これが、知財戦略カスケードダウンと三方一選択の概要です。なお、この考え方の重要な点は、知財の大目的として「事業により得られる利益の最大化、又は企業価値の向上」があります。このため、知財戦略カスケードダウンと三方一選択には、単に発明届出が提出されたや、出願件数ノルマ達成のための特許出願等の「理由のない」権利化業務は含まれません。

<2.生ジョッキ缶に関する技術と想像される特許出願の内容>

アサヒビールは、生ジョッキ缶におけるビールを泡立たせる技術について既に多くを開示しています。そして、この技術は特許出願中とのことですので、明細書でも当業者が実施可能な程度に泡立たせる技術が開示されることとなります。なお、今現在、本出願の特許公開公報は発行されいないようなので、以下で説明する特許出願の内容はアサヒビールが現状で開示している技術情報に基づいて筆者が想像したものです。

下記は、アサヒビールの経営方針(p.6~p.7)から分かる生ジョッキ缶の技術内容です。
1.フルオープン缶
2.缶の内面にカルデラ状の凹凸
3.炭酸ガス圧が通常缶よりも高く、サーバーと同等の圧力

このうち、フルオープン缶は「食品缶詰等では採用実績はあるが、飲料缶では初採用」とのことです。また、グラス等の内面の凹凸により泡立ちの程度が変わることは周知のようです。さらに炭酸ガス圧によっても泡立ちの程度が変わることも周知のようです。
このように、1~3の一つずつを取ってみるとさほど新しいことなないようにも思えます。

しかしながら、特許権を取得するためには、新規性・進歩性が必要です。
では、何が新しいのか?
1~3(又は1と2)の技術を組み合わせて缶ビールに適用し、開封直後のビールの泡立ちが良いという効果が得られたということでしょう。なお、今までのビール缶では、泡立ちの良さよりも開封したときにビールの泡が缶からこぼれないようにすることが念頭に置かれていたとのことです。

一方で経験上、1~3の構成だけでは特許権を取得することは難しいように思えます。
特許権を取得するためには、おそらく、缶内面の凹凸の表面粗さの数値(下限値~上限値)、炭酸ガス圧力の数値(下限値~上限値)を請求項に入れる必要があるでしょう。いわゆる数値限定により、特許権が取得できると思われます。そして、この数値範囲は特許出願の明細書に記載されていることでしょう。

なお、この生ジョッキ缶に用いられている技術要素として不明なことは、凹凸を形成するための塗料の成分です。アルミに焼き付け処理を行うことによってビールに融解しない塗料のようですが、その成分はなにであるかは経営方針にも記載されていません。

このため、この塗料の成分は、特許明細書にも記載されていない可能性が考えられます。その理由は、缶の内面に凹凸が形成されていれば、泡立ちを実現できるためであり、例えば、アルミの表面加工により凹凸が実現できるかもしれません。すなわち、塗料による凹凸形成は、凹凸を形成するための複数の手段のうちの一つに過ぎないように思えます。そうであれば、わざわざ特許明細書に塗料の成分を記載する必要はないようにも思えます。

<3.特許権で技術を守れるのか?>

上記のように、特許権を取得するためには数値限定が必要に思えます。
数値限定は、その数値範囲が特許権に係る技術的範囲となります。このため、特許請求の範囲で示される数値範囲に含まれない形で他社が生ジョッキ缶を模倣した場合には、特許権の侵害にはなりません。

このことから、特許権を取得する数値範囲、特に缶内面の表面粗さの数値範囲が重要になるかと思います。もし、消費者に対して訴求力のある泡立ちを実現するための表面粗さの全域を特許権でカバーできれば、他社は生ジョッキ缶を製造販売することが難しくなるかもしれません。

一方で、多少泡立ちの度合いは小さいものの製品として許容できる範囲を特許権でカバーできなければ、他社は特許権でカバーされていない技術的範囲で製品を製造販売する可能性もあるでしょう。もしそうなれば、特許権では生ジョッキ缶の技術を十分には守れないこととなります。

<4.知財戦略カスケードダウンと三方一選択のあてはめ>

次に、筆者が提案している知財戦略カスケードダウンに生ジョッキ缶の戦略・戦術を当てはめます。このため、以下では生ジョッキ缶に関する事業を目的、戦略、及び戦術に細分化し、知財も目的、戦略、及び戦術に細分化します。なお、この細分化は、筆者がアサヒビールが開示している技術情報等に基づいて想像したものであり、実際にアサヒビールがこのように考えているものではなく、アサヒビールの事業戦略や知財戦略とは何ら関係はありません。

今回は、以下の3つのパターンを想定しました。
パターン1:生ジョッキ缶市場を独占する目的で、缶内面の凹凸等を特許出願
パターン2:生ジョッキ缶市場を独占する目的で、缶内面の凹凸等を秘匿化
パターン3:生ジョッキ缶市場を拡大する目的で、缶内面の凹凸等を特許出願

パターン1と2は、目的が同じであるものの、知財として実行手段が異なります。パターン3と1は、知財として実行手段が同じであるものの、目的が異なります。

<4-1.パターン1:生ジョッキ缶市場を独占する目的で、缶内面の凹凸等を特許化>

パターン1では、生ジョッキ缶市場の独占を事業戦術と仮定します。
生ジョッキ缶は、今までにない新しい缶ビールのジャンルとも思われ、素直に考えると、この新しいジャンルを独占することにより利益の向上が可能になると思われます。
そして、パターン1の知財としては、生ジョッキ缶に関する技術を権利化して排他的独占権を得ることで、市場の独占を実現することになります。
おそらく、このパターン1が、生ジョッキ缶の戦略としてアサヒビールが考えていることではないかと思います。

以下にパターン1における事業目的・戦術・戦略、これに基づく知財目的・戦略・戦術を記します。

事業目的:
 新規な製品により缶ビールの販売増
事業戦略:
 缶ビールでありながら、生ビールのような泡立ちを生じさせる製品の販売
事業戦術:
 フルオープン缶により沸きでるような泡立ちを再現
 泡立ちの原理(缶内面の凹凸)を公開することで技術力アピール
 生ジョッキ缶市場の独占    
 

知財目的:
 生ジョッキ缶市場の独占
知財戦略:
 公開した技術について特許権の取得
知財戦術:
 権利化(缶内面の凹凸や炭酸ガス圧の数値範囲、フルオープン缶の形状) 
    秘匿化(凹凸を形成する塗料の成分)

パターン1の知財戦術では、塗料の成分は秘匿化技術としました。
この理由は、上述したように、缶内面の凹凸を実施する方法として様々な方法があり、塗料による凹凸の形成はその一例にしかすぎず、凹凸の数値範囲で権利化を目指すのであれば、塗料の成分まで特許出願によって開示する必要はないと考えたためです。実際、アサヒビールの経営方針等でも、缶内面の凹凸の形成を塗料で実現することは開示していますが、その成分までは開示していません。

<生ジョッキ缶市場の独占に対する特許出願の妥当性>

ここで、生ジョッキ缶の事業戦術及び知財目的として「生ジョッキ缶市場の独占」を仮定した場合、特許出願を行うことが妥当でかを検討します。

特許出願する場合には、その明細書に当業者が発明を実施可能な程度に記載する必要があります。すなわち、生ジョッキ缶に関する技術の多くが特許明細書に記載されています。
そして、上述したように、缶内面の凹凸の数値範囲や炭酸ガス圧の数値範囲で特許権を取得したとしても、他社はその数値範囲に含まれない技術を実施可能です。

確かに、缶内面の凹凸によってビールの泡立ちが良くなるという技術は興味深く、製品の宣伝にも使えるかと思います。現に、生ジョッキ缶を紹介する報道においても、缶内面の凹凸に言及したものが多数あります。
しかしながら、缶内面の凹凸の数値範囲で特許権を取得したとしても、その技術的範囲を回避することは比較的容易と思えます。また、炭酸ガス圧の数値範囲を特許化したとしても、特許権に含まれる技術的範囲の回避は容易でしょう。
そうすると、缶内面の凹凸や炭酸ガス圧に関する技術を特許化したとしても、生ジョッキ缶の市場を独占することできないかもしれません。

では、フルオープン缶の形状の権利化はどうでしょうか。
アサヒビールは、経営方針において「高価格帯の食品缶詰等で採用実績はあるが、飲料缶では初採用。」と述べていますが、権利化については言及していません。

ここで、通常の缶ビールで採用されているプルタブ缶では、フルオープン缶で実現できる泡立ちのインパクトは得られません。このため、フルオープン缶は生ジョッキ缶において必須の技術要素とも考えられます。しかも、フルオープン缶はビール缶の飲み口である上面を全開にするという単純な技術です。もしフルオープン缶を権利化できた場合、この回避技術の開発は難しいようにも思えます。
そうであれば、フルオープン缶の権利化によって、生ジョッキ缶市場への他社の参入を阻害できるとも考えられます。しかしながら、フルオープン缶は既に食品缶詰等で用いられているので、特許出願しても進歩性をクリアできず、特許権を取得できない可能性が高いと思われます。

一方で、実用新案や意匠による権利化はどうでしょうか?
実用新案であれば、進歩性の判断基準が特許に比べて低いため、フルオープン缶をビール缶に適用したという点をもって、技術評価書で”進歩性あり”と判断される可能性もあるかもしれません(実用新案は無審査で登録されますが、技術評価書を提示して警告した後に権利行使が可能となります。)。また、意匠であれば、創作非容易性の判断基準が特許の進歩性に比べて低いため、これも登録となる可能性があるかもしれません。
このようにフルオープン缶の形状を実用新案登録又は意匠登録できれば、他社による生ジョッキ缶の製造販売を十分に阻害でき、市場を独占できる可能性もあると考えます。

以上のように、缶内面の凹凸等を特許化したとしても、その特許権の技術的範囲の回避が容易であれば、特許化は生ジョッキ缶市場の独占という目的には有効ではないように思えます。もし、フルオープン缶の形状を権利化できない場合には(実際にはこの可能性の方が高いかもしれません。)、缶内面の凹凸等の特許出願によって技術を他社に開示したに過ぎない結果になるかもしれません。
もし、そのような結果になれば、事業戦術及び知財目的である生ジョッキ缶市場の独占どころか、特許出願による技術開示が市場独占の真逆である他社参入を促すことになりかねません。

<4-2.パターン2:生ジョッキ缶市場を独占する目的で、缶内面の凹凸等を秘匿化>

では、缶内面の凹凸等を特許出願せずに秘匿化、すなわち企業秘密としたらどうでしょうか?それがパターン2です。

ここで、あらためて、特許等の権利化と秘匿化の違いについて簡単に説明します。
特許等の権利化には技術の開示が必須ですので他社に技術を知られます。これが権利化のリスク(公開リスク)となります。一方で、秘匿化はその名の通り技術を開示しないので、他社に技術を知られません。
しかしながら、特許は独占排他権ですので、他社が自社の特許権の技術的範囲に含まれる技術を実施していたら、この他社は当該特許権の権利侵害となります。もし、他社が自社の特許権を知らずに、同じ技術を自社で独自開発したとしてもです。一方で、秘匿化した自社の技術は、独占排他権ではないので同じ技術を他社が実施していても他社は権利侵害とはならず、自由に実施できます。
このように秘匿化は、特許のように自社の技術を開示しないので公開リスクはありませんが、同じ技術を他社が独自開発しても何もできません。これが秘匿化のリスク(秘匿化リスク)となります。

以下にパターン2における事業目的・戦術・戦略、これに基づく知財目的・戦略・戦術を記します。

事業目的:
 新規な製品により缶ビールの販売増
事業戦略:
 缶ビールでありながら、生ビールのような泡立ちを生じさせる製品の販売
事業戦術:
 フルオープン缶により沸きでるような泡立ちを再現
 生ジョッキ缶市場の独占     

知財目的:
 生ジョッキ缶市場の独占
知財戦略:
 公開した技術について特許権の取得
知財戦術:
 権利化(フルオープン缶の形状)
 秘匿化(缶内面の凹凸や炭酸ガス圧の数値範囲、塗料の成分)

パターン2では、缶内面の凹凸等を秘匿化するので、事業戦術として技術アピールは行いません。このため、他社は生ジョッキ缶が開封時に泡立つ原理を容易には知り得ません。

フルオープン缶の形状は、パターン1でも述べたように見た目で容易に理解できるので、秘匿化はできません。このため、フルオープン缶の形状は、パターン1と同様に権利化を目指します。
パターン1でもパターン2でも、フルオープン缶の形状を権利化できれば、他社による生ジョッキ缶市場の参入に対して、大きな阻害要因となると思えます。しかしながら、プルオープン缶の形状を権利化できない可能性もあります。
すなわち、フルオープン缶の形状を権利化できなかった場合、もしくは権利化をしなかった場合に、パターン1とパターン2とでは市場の独占可能性について大きな違いが出てくると考えます。

<缶内面の凹凸等に対するリバースエンジニアリングの可否>

技術の秘匿化を検討する場合、当該技術を使用した製品をリバースエンジニアリングすることで、他社が当該技術を容易に知り得るか否かが重要になります。
リバースエンジニアリングによって容易に知り得る技術は、公開リスクが実質的にないとも考えられ、積極的に権利化のための出願を行ってもよいでしょう。この考えに基づいたものが、フルオープン缶の形状の権利化です。

では、缶内面の凹凸等が容易にリバースエンジニアリングが可能であるか検討してみましょう。
下記写真のように缶内面の凹凸は視認により確認できず、指で触っても凹凸を感じることはできませんでした。

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そのため、缶内面の凹凸の技術が秘匿化されると、泡立ちの仕組みが缶内面の凹凸にあることを容易に知ることはできないようにも思えます。従って、他社は泡立ちの仕組みを試行錯誤して自ら知り得る必要があります。
そのためには、他社は、生ジョッキ缶の内面をSEM等で観察することで凹凸に気づき、さらに内面に凹凸を形成した缶ビールを製造し、アサヒビールの製品のように泡立ちが発生するか否かを確認する必要があるでしょう。
なお、凹凸が泡立ちに影響を与えることは周知のようですので、缶内面の凹凸が秘匿化されても、他社が生ジョッキ缶の凹凸がその仕組みであることには気付くかもしれません。しかし、凹凸が泡立ちの仕組みであることの確信は実際に凹凸を形成した缶ビールを製造するまでは得られないでしょう。

また、他社は凹凸を確認しても、それを再現する方法も試行錯誤する必要があります。いったいどうやって缶内面に凹凸を形成するのか?缶内面には、缶の内容物であるビールに悪影響を与える処理は行えません。アサヒビールは、この技術的な課題を、焼き付け塗装によって解決しました。
凹凸の形成方法は幾つもあるでしょうが、アサヒビールからの技術開示が無ければ、他社は独自で凹凸の形成方法を見つけ出さねばなりません。生ジョッキ缶を製造するためには、これが一番難しいでしょう。
もしかすると、缶内面の凹凸が泡立ちの仕組みであることに気が付いたとしても、焼き付け塗装による凹凸の形成という技術に気が付かず、生ジョッキ缶の再現ができない他社もあるかもしれません。

次に、炭酸ガス圧についてですが、これはどうでしょうか?
アサヒビールの生ジョッキ缶の炭酸ガス圧を、直接的に測定することは難しいのではないでしょうか?その理由は、炭酸ガス圧を測定するためには、生ジョッキ缶を開封する必要があるでしょうが、開封すると同時に炭酸ガスは大気中に開放されるので、生ジョッキ缶内の炭酸ガス圧を測定することは困難なように思えます。
しかしながら、炭酸ガス圧が泡立ちに影響を与えることも周知のようですので、炭酸ガス圧の調整にも他社は気が付くかと思います。

以上のように、アサヒビールが缶内面の凹凸等の技術情報を秘匿化しても、他社はリバースエンジニアリングと試行錯誤により、生ジョッキ缶に使用している技術を知り、生ジョッキ缶を再現するできる可能性があるかと思います。しかしながら、他社が実際に試作品を作るまでには、直感的に数か月~1年以上の期間が必要なのではないでしょうか?そして、販売に至るまでにはさらに時間を要するでしょう。
さらに、言うまでもなく、生ジョッキ缶の技術を再現できない他社は生ジョッキ缶への参入ができません。

<特許出願した場合と秘匿化した場合との違い>
パターン1でも述べたように、缶内面の凹凸を特許出願することにより、他社は生ジョッキ缶を製造するための技術情報を得ることができます。しかしながら、特許権の技術的範囲が他社の市場参入を阻害できるほど広ければ、アサヒビールが市場を長期間に渡って独占できる可能性が高いでしょう。
一方で、特許権の技術的範囲が狭く回避が容易であれば、当該特許権は他社による市場参入の阻害要因となりません。さらに、フルオープン缶の権利を取得できなかった場合には、他社による市場参入の阻害要因はほとんどないようにも思えます。

このように、缶内面の凹凸等の情報を特許化できれば市場を独占できる可能性もありますが、その権利範囲が狭ければ参入障壁とはならないばかりか、開示した技術によって他社参入を促すことにもなり得ます。なお、権利範囲が狭くても、他社が生ジョッキ缶市場に参入するまでは相応の時間を必要とするので、権利範囲が狭くてもある程度の期間は市場を独占できると思われます。

一方、上記のように缶内面の凹凸等の技術を秘匿化したとしても、他社も生ジョッキ缶を再現して製造販売できる可能性はあるかと思います。しかしながら、他社が生ジョッキ缶を試作するまでに要する時間は相当程度必要で、販売するまでには年単位で時間がかかるようにも思えます。すなわち、狭い権利範囲の特許権を取得した場合に比べて、その独占の期間は長くなると考えられます。

生ジョッキ缶

以上のように、権利化は審査があるので権利を取得できたとしても、その技術的範囲によっては、市場の独占という当初の目的を達成できない可能性があります。一方で、技術を秘匿化した場合、他社は自力で生ジョッキ缶を再現する必要があります。生ジョッキ缶を再現するための技術の中でも、缶内面の凹凸を形成するための技術開発は難しいことが予想されます。
そのため、たとえ他社が生ジョッキ缶を再現できたとしても、それ相応の期間で市場の独占が可能となるでしょう。もし、生ジョッキ缶を再現できる他社がなければ、半永久的に市場を独占できるかもしれません。

<4-3.パターン3:生ジョッキ缶市場を拡大する目的で、缶内面の凹凸等を特許出願>

ここまでは、”生ジョッキ缶の市場独占”を事業戦術として選択する場合を想定しました。
一方、自社だけでは生ジョッキ缶市場の拡大が難しいと考え、他社に生ジョッキ缶市場の参入を促すことで市場の拡大を図ることを事業戦術とする可能性もあるでしょう。市場拡大によって他社との競争が発生しますが、他社に対して自社の優位性を保つことで、市場独占よりも大きな売り上げの増加を狙います。これがパターン3です。

以下にパターン3における事業目的・戦術・戦略、これに基づく知財目的・戦略・戦術を記します。

事業目的:
 新規な製品により缶ビールの販売増
事業戦略:
 缶ビールでありながら、生ビールのような泡立ちを生じさせる製品の販売
事業戦術:
 フルオープン缶により沸きでるような泡立ちを再現
 泡立ちの原理(缶内面の凹凸)を公開することで技術力アピール
 他社の市場参入を促し、生ジョッキ缶市場の拡大     

知財目的:
 他社の市場参入を促し、生ジョッキ缶市場の拡大
知財戦略:
 技術を公開しつつ、自社の優位性を保てる技術は特許権を取得
知財戦術:
 自由技術化(フルオープン缶の形状、炭酸ガス圧の数値範囲)
 権利化(缶内面の凹凸の優位性を保てる数値範囲)

他社の参入を促して市場を拡大するためには、知財戦略として発明の”自由技術化”が選択されるでしょう。自由技術化は、換言すると権利化を伴わない技術の開示です。
技術の開示は、経営方針に記載されているような開示やホームページによる開示、自社が発行する技術文献による開示があります。また、特許出願による開示もあります。

特許出願は特許権を取得するために行うものですが、特許請求の範囲の技術的範囲に含まれない技術は他社が自由に実施可能な技術となります。そうすると、自社製品が他社製品に対して優位性を保てる技術の特許権を取得する一方で、他社が当該製品を製造可能な程度の技術は権利取得しないという選択もあります。
これにより、他社による当該製品の市場参入を促す一方で、自社製品の優位性を保つ技術を権利化して他社製品との差別化を行い、市場拡大による自社利益の最大化に貢献できると考えられます。

これを生ジョッキ缶に当てはめるて考えます。
まず、フルオープン缶の形状は、生ジョッキ缶に必須の形状であると考えられます。これを権利化してしまうと、他社は生ジョッキ缶市場へ参入し難くなるため、権利化は行わずに自由技術化とします。

そして、特許出願によりアサヒビールは自社が他社に対して優位性を保てると考える”缶内面の凹凸の数値範囲”、具体的にはより効果的に泡立ちを発生させることができる数値範囲で特許権を取得することを目指します。
一方で、特許請求の範囲に含まれない数値範囲、すなわちそれなりに泡立たせることができる凹凸の数値範囲は権利化しないことで自由技術とし、他社による生ジョッキ缶の市場参入を促します。また、炭酸ガス圧や凹凸を形成するための塗料の組成や焼き付けに関する技術も開示し、より他社が実施し易いようにすることも考えられます。

以上のように、新規な製品カテゴリ(新ジャンル)であれば、敢えて技術情報の一部(他社の市場参入を促す技術情報)を自由技術化することで市場の拡大を図ることが考えられるでしょう。そして、拡大した市場の中で優位性を保てる技術を権利化することで、当該市場に占めるシェアを大きくし、その結果、市場を独占する場合よりも大きな利益を得ることを目指すという知財戦術も考えられます。

なお、このような発明の自由技術化は市場の拡大に役立つと考えられる一方で、他社が自社よりも良い製品を販売することで、自社のシェアが大きくならず、結果的に市場を独占した場合よりも利益が小さくなる可能性も想定されます。このため、自社の技術力及びブランド力等も鑑みて、市場独占又は市場拡大を選択することになるかと思います。

<5.まとめ>

上記のようにアサヒビールの生ジョッキ缶に対して、市場独占のための特許化、市場独占のための秘匿化、市場拡大のための自由技術化と特許化、とのように3パターンの知財戦術を検討しました。

ここで、発明を特許出願して独占排他権を得ることができれば、事業に対して非常に有益です。しかしながら、特許出願は技術を公開することになるので公開リスクがあります。もし、安易な特許出願を行うと他社に技術を教えることになり、事業戦術(知財目的)とは異なった結果を招く可能性もあります。

一方で、発明を秘密にすることも十分な検討が必要です。自社製品をリバースエンジニアリングすることで容易に知り得る技術は実質的に秘密にできません。また、他社が比較的容易に思い付きそうな発明は他社に特許権を取得される可能性があります。そのような発明に対しては秘匿化よりも権利化(特許化)のほうが良いでしょう。

さらに、自由技術化は発明を世に広めるためには良いですが、自社開発技術を他社に自由に使用させることになるので、最も慎重になる必要があります。なお、自由技術化にしても、権利を取得したうえで、権利行使を行わないことを宣言することで実質的に自由技術化することもできます。

このように、発明を知財として扱う場合には、権利化、秘匿化、又は自由技術化の3種類しか選択肢はありませんが、その選択を事業に基づいて適切に決定するというものが、筆者が提案している知財戦略カスケードダウンです。

ここで、生ジョッキ缶に対する知財戦略・戦術としては、個人的にはパターン2のようなものが適しているのではないかと思います。
アサヒビールの生ジョッキ缶は話題性も高く、すぐに販売中止となるような人気です。おそらく、アサヒビール以外の他社も生ジョッキ缶と同様の製品の販売を目指すことになるでしょう。
その場合、既にアサヒビールが開示している缶内面の凹凸等の技術情報や、今後発行される特許公開公報で開示される技術情報は最も参考になる資料となります。
ところが、特許権は審査を経て取得されるものですので、最終的にどのような権利を得ることが出来るのかわかりません。そのため取得した特許権が思ったような技術的範囲とならない可能性もあります。その場合、上述のように、特許権では生ジョッキ缶の技術を守るどころか、他社に生ジョッキ缶の技術情報を与える結果になりかねません。

一方で、生ジョッキ缶の凹凸に関する情報を秘匿化しても、遅かれ早かれ他社も同じ技術に達する可能性は高いと思いますが、販売までにそれ相応の時間を要すると思います。このため、他社が同様の製品を販売するまでの間に、”生ジョッキ缶=アサヒビール”とのようなイメージを消費者に植え付け、自社製品の優位性を高めた状態にし、他社が参入したとしても高いシェアを維持するという戦術が取れると思います。
すなわち、生ジョッキ缶で高い利益を維持することを目的として、”技術的優位性”から”ブランド優位性”に知財戦略・戦術を変化させる時間的余裕を得ることができるでしょう。

以上のようにアサヒビールの生ジョッキ缶は、技術的にも興味深いものであり、缶ビールの新しいジャンルとも捉えることができる面白い題材であるので、知財戦略カスケードダウンに当てはめて検討しました。
アサヒビールの生ジョッキ缶に対する知財戦略・戦術が一体どのようなものであるのかはわかりませんが、今後、特許公開公報が発行されることで、どのような技術の権利化を狙っているのかが分かり、生ジョッキ缶に対する知財戦略・戦術を理解できるかもしれません。また、他社が生ジョッキ缶と同様の製品を製造販売するか否か、それに特許がどのような影響を与えているのかも分かるでしょう。

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