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カメラのシャッターを切るたび、不安だった。

「写真」は自分の存在意義が確認できる、自己肯定ができる大切なツールだった。特に、「誰かの笑顔」を撮るのにこだわっていた。

誰かの笑顔を撮ることで、その誰かにとって少なくとも嫌われていない存在になれる。しかも、その人が喜んでくれれば自分の存在意義が生まれる。
だから、カメラのシャッターを切るたび不安でいっぱいだった。
「自分と一緒にいて笑顔が生まれなかったらどうしよう。うまく撮れてなくて喜んでくれなかったらどうしよう。」そんな気持ちでいっぱいだった。

そんな私が奄美一人旅で、「シャッターを切るたび、わくわくする」ようになった話。

そもそも笑顔の写真を撮るのは「好き」だからではなく「安心」のため。

高校3年生から写真を撮ることにハマった。
もちろん、作品のようなきれいな写真を撮ることもすごく素敵だけど、やっぱり笑顔にこだわって撮っていた。

昔からやや自己肯定感低めでやらせてもらっているが、人の笑顔を撮っていると「少なくとも笑顔を向けてくれているこの人には嫌われていない」と安心する。そして、みんなの素敵な笑顔を撮っていれば「自分はその場所にいる価値がある」と自分で判断できる。
だから、自分を肯定するために、存在意義を認識するために笑顔の写真を撮っていた。

「一緒に映ってる写真が好きだな」と言ってくれた人。

そんな私が、一人旅で泊まらせていただいたゲストハウスで様々な人と交流した。8泊したが、合計15人以上の人と交流しただろうか。
話の流れで写真を見せると、どの人も私の写真をお世辞ではなく心から褒めてくれた。そう伝わる伝え方だった。
だから、嬉しくなってみんなの笑顔の写真を沢山撮っていた。

すると、ある一人の友達が「撮るのもいいけど一緒に映ろうよ」と言ってくれた。二人で笑顔で撮って写真を見せたら「やっぱり一緒に映っている写真が好きだなぁ。これ私たち凄く良い笑顔だよね(笑)」と伝えてくれた。些細な一言だが、そんなこと初めて言われて物凄く自分にとっては嬉しかったし自分のことが肯定された気がした。

それが凄く嬉しくて、色んな人と一緒に笑顔の写真を撮った。

「私」と「大好きな人たち」映っている「私が」撮った「笑顔の」写真で、「私」も嬉しいし「大好きな人たち」が心から喜んでくれている。

そんな光景を見て、

「あぁ。誰かの笑顔を撮るのも好きだけど、それ以上に自分と大好きな人たちが笑顔でいる写真が一番好きだな。これからもそんな写真を撮りたいな」と強く感じた。

前は「誰か」にとっての存在意義を見出したくてシャッターを切るたび不安だった。早く喜んだ顔を見て、安心したかった。
でも、今はシャッターを切るたびに、わくわくする。
そんな風に私の写真を心から沢山肯定してくれたゲストハウスで出会った皆さんには感謝しかない。






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