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上手にゾンビにする

※これは、これから仕上げる予定(例によっていつ書き終えられるかはわからない)の小説、「あったかい国の木」の、あとがきになる予定のものですが、先に書き終わったので公開します。

基本的に私は音声情報をうまく記憶できない(文字にしないと覚えられない)のだけれど、
「赤司さんはいつ子供を生みたい?」と聞かれたことは覚えている。

それから、小説の冒頭と同じに、
「子供を生むのはいいよ。おすすめだよ」と言われたことも。

「ああ、この人たちは、すべての女が子供を生みたいと真っ直ぐに思っている、と信じているのだ」と、
深い深い断絶を感じたから。

私は、子供を生みたくないわけではなく、
そのことを想像する権利が
自分にあることがまるで確信できないので、
このような質問の素朴さが恐ろしい。
率直に言って、血の気が引く。

私のような沸点の低い血を持つ者を
世の中に増やすことが、
こんなに苦しい世の中で苦しむ者を
もう一人増やしてしまうことが、

そういう、身の丈に合わない巨大な力を
知らない間に授けられてしまっていることが、

私は、とても怖い。

そして、こういう怖さとは
無関係に生きている人がいることを、
どうしようもなく不公平だと感じる。


子供を生みたいと想像することは、
森の奥の神殿の、
外側の木枠の間から
薄目で覗くことくらいがギリギリ許されてる、
というくらいの距離感にあるもので、
白日のもとに
ぽんと置いてよいものではない。

冒頭の話をしてきた二人は
とても優しい人たちだけれど、
この台詞を聞いてから、
どうにも心が開けなくなった。


どんなに言葉を尽くしても、
私の気持ちは、
彼女らには永遠に伝わらないと思う。

本当の国境より、
頭の中の国境は、太くて、力強くて、
あの人たちは、
完全に違う国の人たちだと感じる。


メタ思考が習慣化している私なので、

ほんとうに気持ちを燃やすべき対象は彼女たちなのか?
と自分にすぐさま問いかけて、

(いや、違うだろう)
と答えだって出せる。

結論なら、出ている。

でも、このくすぶる気持ちをなかったことには、できない。


だから、書くのだ。


別に何もすっきりはしないだろうけれど(表現することがほんとうに気持ちのはけ口になるから、色っぽい映画を撮ってる監督がセクハラで捕まったりはしない)、このように行き場のない思いを今日、平成31年の私は抱えていたのだということを記録しておくのは、よいことだと思う。

だって、小学生や中学生のときあんなに辛かったことが、今の私にはもううまく思い出せないのだ。

それは幸せなことなのかもしれない、人間はそういうふうに出来ているから生きていかれるのかもしれない、

でも、大森靖子ちゃんは、「ころしたいきもちだってころされたらいたいし」と書いてたし、私もそう思うし、だから、

完ぺきにころすんじゃなくて、上手にゾンビにしようって、

そう思ったのだった。

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