恋愛の顔をした暴力の恐ろしさ:『ジェニーの記憶』

重い作品。でも、観てよかった。観ないといけないと思った。間接的だけど性暴力描写がある作品の話になるので、フラッシュバックの恐れがある方は注意してください。

(あらすじ)

40代のドキュメンタリー映像作家・ジェニファー(愛称:ジェニー)は、仕事も順調で恋人とも結婚の準備を進めており、充実した日々を送っている。

しかしある日、実家の母親から慌てた様子で電話がかかってくる。あなたが少女時代に書いた作文をみつけて読んだら驚いたわ、すぐに話したい、と。

恋人にどうしたのか尋ねられたジェニーは、「10代の頃、ちょっと年上の人と付き合っていたんだけど、当時はそのことを親に内緒にしていたの。だから母が大袈裟に騒いでるのよ」と答えるが、自分でも少しひっかかりを覚える。

当時のジェニーは13歳、「恋人」だった馬術のコーチは40歳前後だった。
「それって…相手はほとんど今の俺と同じ年じゃないか?」とうろたえる恋人。

とはいえ、13歳って、それなりに大人じゃない?と思っていたジェニー。でも当時の彼女を知る人たちは、「あなたって私たちの中で特に幼かったわよね」と口々に語る。13歳の頃のアルバムを開くと、ジェニーがイメージしていたのとはまるきり違う、あどけない少女が写っている。

馬術合宿の時の友達や先輩、他のコーチと会って話をしながら、当時の記憶を思い出していくジェニー。「あれは恋愛だった。双方の合意の上でのことだった」という印象が、少しずつ、はがされていく…。

※便宜上結構強引なまとめをしておりますので、時系列のつなぎが正確じゃないところもあるんですが…すみません…!

私がこれを観たきっかけは、藤見よいこさんのこちらのツイートだった。

藤見さんが描かれている通り、主人公が自分の心を守るために無意識に「歪曲させて」いた記憶が徐々に修正されていく様子が、すごかった…。

現在、日本でも性交同意年齢の引き上げについて議論されているわけだけど、「成人と中学生が真剣に交際して、中学生が同意してる場合でも、性交しちゃだめってわけ?」という反対意見がたびたび見られる。勉強会に出席している政治家からでさえも。

(結局、「例えば50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」と発言した国会議員・本多氏は議員辞職することになったわけだが↓、これは氷山の一角に過ぎないよね。問題の本質的なところは今でもまったく理解されていないと思われるし…)

(早速ちょっと脱線するけど、記事の中で紹介されている本多氏のコメント「例えば、来年から成人年齢18歳ですから、18歳と15歳の恋愛関係に基づく行為で18歳を問答無用で重く処罰する、これでよいのかというのが私の問題意識の中心でした」について。これにはまた別の問題があると思っている。10代同士の異性間性行為で女性が妊娠すると、その後特に女性がキャリアを立て直すのが難しいという不平等な状況がある(どの年齢でもその傾向はあると思うけど、10代は特に。(小説『朝が来る』を皆様ぜひ読んでくだされ)。10代の性行為の話については、避妊についてみんながちゃんと学べる環境&女性の意志で無料・安価に避妊ができる仕組みを整えるということを最優先で考えなきゃいけないと思うけど、「性行為する自由」の話ばっかりになってて危険じゃない?)

性交同意年齢引き上げ「反対派」の人の言い分は、主に「10代の子が大人と恋愛することを禁じるっていうこと?それって10代の子の意志を否定してない?」というもの。うん、恋をする権利はたしかにある。でも、そのゴールに必ず性交がなきゃいけないわけじゃない。それに、たとえ両想いでも、成人とローティーンのカップルは絶対に平等じゃない。もし、10代の子が恋愛関係を断ち切って、もう二度と相手に会いたくないと思っても、大人の保護下で生きている子供たちが住む場所を自分で変えることは基本的にできない(つまり、相手が強引に家の近くに来ちゃっても逃げられない)。相手が教師やコーチだった場合、恋愛関係を切ることで負うリスクを恐れることだってある。

ここまでは、映画を観る前でも想像できた。

『ジェニーの記憶』を観て新たにわかったのは、「10代の子(あるいは元10代の子)にとって、自分がされていたことを被害だと認めるのは、時にとても難しい」ということだ。

映画の中では、大人になったジェニーが、記憶の中の10代のジェニーに「あなたが遭ったのは被害なのよ」というように話しかけるシーンがあるが、これを記憶の中のジェニーは認めようとしない。

これはきっと、自分が遭ったのは暴力だったと自分で認めてしまったら、これまで通り穏やかな気持ちで生きることができなくなるからだろう。未成年の性暴力を扱った関連作品としてあとで紹介する『言えないことをしたのは誰?』の中でも、性暴力に遭った記憶を忘れてしまった少女の話が出てくるんだけど、これも同じことで、「自分の心を守るために」そうしている。自分が被害者だと認めてしまったら、自分が弱くて情けない存在だと感じてしまうかもしれないし、男の人が全員怖くなってしまうかもしれないし(←もちろん性暴力加害者が全員男性というわけではないのだけど、今回取り上げた作品では加害者が男性なのでこう書く)、同意の上での性行為まで気持ち悪くなってしまうかもしれない。

でも、今の日本の社会ではこのことが利用されてしまっている。「ほら、当人だって恋愛だって言ってるんだから。外野が口出しすることはできないでしょう?」って、10代の子への性加害が容認されてしまっている。

ぜひこの作品を観て、大人と子供の恋愛関係がほんとうに対等に存在し得るかを、もう1回考えてみてほしい。成人男性とまだあどけない女の子が一緒のベッドに入っている様子、実写で観ると不気味さが凄まじいから…。(※映画の撮影は、裸のシーンは少女を成人女性と入れ替えるなど、少女の心にダメージを与えないような工夫がされている)

あと、暴力と言うと殴られたり、泣き叫ぶのを無視して…ってイメージが一番に来る気がするけど、「ロマンチックなムードの中の」性暴力シーンが描かれているのも重要なことだと思った。「ロマンチックだったからあれは性暴力じゃなかった」と認識している被害者の人、いっぱいいると思うから。どんなにロマンチックなムードをつくっていたとしても、相手の心に傷が残ることをかえりみず、相手の恐怖心を一切無視して性行為に及ぶことは、やっぱり暴力だよ…。

監督自身の体験をもとにつくられた、この作品。
エンドロールと一緒に古びた写真も流れていくのだけど、これはきっと、監督自身が被害に遭った頃の写真だと思う。

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関連作品としておすすめしたいのが、こちら(↓)の漫画。

(期間限定で1巻無料のようだけど、リンク切れちゃったらすみません…)

学校で起こっている教師から生徒への性暴力の真相をなんとかつきとめようとする、養護教員の女性の話。

「お前の心が弱いからだ、これは心を鍛えるためにするんだ」って言い聞かせて加害者が性暴力行為に及ぶところなど『ジェニーの記憶』との共通点もいろいろあるのだけど(こういう「苦労に耐えるのが美徳」的教育は百害あって一利ないよな)、日本の学校ならではの事情について知り、考えることができる。例えば、たびたび教師の忙しさが描写されているところなど。ストレスがたまると弱い立場の人に絶対流れるから、暴力を減らすには、まずみんなが無理なく心身を休ませながら働けるようにしないといけないよな…。教育現場では、人的リソースが増やせないから一人一人の労働時間を増やそうって方向になっちゃいがち、それが美しいとされちゃいがちだけど、よくないことだ…。

また、被害者を守る体制があまりにも脆弱であること、被害者を守ろうとする人が孤独に陥っちゃう可能性があることなどは、公的支援が貧弱な日本のいろんな分野に共通する問題点と言えそう。

最近、「じゃあどうすればいいのか?」について、いろいろ考えている…。(ということで、今休み休み読んでるのがこれ↓)







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