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六方美人:『A子さんの恋人』

「八方美人」は、顔を向ける人の視点からみた言葉だけど、向けられる八方からその人を眺めたら、たぶん、よくても「六方美人」くらいなんじゃないかね。

A子さんの恋人は、「二方ぶす」も丁寧に描いている作品で、だから私は好きだと思う。もっと言えば、「六方ぶす」も「一方ぶす」も、色々出てきて、それぞれがきちんと描かれているから、好きだと思う。

例えばA太郎という人が出てくる。この人、モテる。恋愛だけじゃなくてね。人好きのする、っていうか。
モテる人の特徴よりも、モテない人の特徴の方が話しやすいよね。素直至上主義、って人は基本的にモテない。宵越しの意見は持たない、ってタイプの人ね。「本当は言いたくないんだけど…」って恋人の嫌いなところを滔々と述べる人は、100%恋人のためじゃなくて自分のスッキリのためにそれをしてるからね。時には嘘なり沈黙なりが美徳となるってことを知らない・実行できない人は、悪い意味で子どもで、モテないんだよね(自分自身に刺さりまくるトゲ)。A太郎はその対極にいる人。思いの丈、ここぞってときにしかぶつけないで、あとは気持ちを出さずに笑っている。

彼の嘘なり沈黙は、必ずしも美徳じゃないかもしれないけど。そういう「余白」で彼のことを好いてる人もいそうな感じがある。人の懐に入るのがうまくて、でも冷めている、このバランスに惹かれてしまう人が。私は、こういう人は苦手だけどね。心を開いている人と心を開いてるっぽい空気を醸すのがうまい人って、見分けにくいけど実は張り付けてる表情が全然違ったりして、超怖くない?

この物語の主人公、A子さんも、数少ない「A太郎好き好きじゃない派」の人間だ(一応二人は元恋人)。それは、A太郎が悪い人間だからじゃなくて、A太郎が彼女にとって悪い人間だからだ(「悪い人間だと思おうと努力して眺めている対象だから」とするほうが、たぶん正確)。A太郎はいい人なんじゃない、A太郎をいい人だと思いたい人たちの前でだけ、彼はいい人として存在するのだ。下田美咲さんも書いていたけれど、いい人かどうかは相手との関係性の中で決まるのであって、基本的には、その人の性質が善人や悪人に振り分けられるのではない。

これを読んで、私が美人でいたいと思う一方にやっぱり美人でいてもらえたら、なんか、それでいいかもね、って思うようになったから、私もそれなりには大人になれたんだろうし、順調に疲れたんだろう。

PS
私、嫌いな人のいいところを見たって好きになるってことほとんどないけど、「この人の配偶者の人は、この人のどういうところをいいと思ったのかなあ」って想像するのは、結構好きです。


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