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扇風機の観光


猫も、杓子も、クーラー、クーラー。扇風機はムッとして、仕事を辞めて旅に出ることにした。

いつも、冬は暗くて狭い場所にいた。せっかく初めての開放的な冬だから、とびきり綺麗なところに行きたくって、そうだ、ウィーンなんてどうだろう、と扇風機は考えた。

なのに、どうだろう。ウィーンまで来てみたら、毎日毎日、曇りか雨か雪。


結局暗いじゃないか!


気分転換に来たのにストレスばっかり溜まるから、扇風機は道をゆきながら、もう一度ムッとした。

やけ酒を飲む口も、地団駄を踏む足も、扇風機にはなくって、それでもう一回ムッとして、


だから、「強」で風を吹かすことにした。


黄色い落ち葉が盛大に舞い上がって、散歩中の若者がヒッ、と言う。

得意になった扇風機は、もっと人が来ないかなあ、と周囲を眺めた。

すると、ちょうどいいところにカップルが来るじゃないか。

扇風機は、煽るように風速を上げてみるけれど、カップルは目の前の黄色いハリケーンを見つめるばかり。

「踊ろうか」
「踊ろうよ」

扇風機の知らない言葉で二人は言って、互いの手を取り、回り始める。

面白くない扇風機は金切り声をあげるけれど、生じるのは音じゃなく、たった、風。カップルは一層景気よく、ぐるんぐるんと回るので、扇風機も意地になって、もげるほど首を振る。


すると、練習帰りの楽団のメンバーが、楽器を背負って通りかかる。

「ねえ、なにか弾いてよ」
カップルの一人が、息を切らしながら言う。

「そうよね、今こそ音楽ね」
バイオリン弾きは、にやにや笑って、ケースを開ける。


おい!


と扇風機は思う。


今は、幸せな気分なんて、1ミクロンも通さないぞ!


このときの扇風機の顔と言ったらとんでもない傑作だったけど、バイオリン弾きとフルート吹きと歌うたいにとっては見えるものより聞こえるものの方がずっと大切で、彼らは堂々と扇風機を無視して、午後の歓びを高らかに放った。


するとどうだろう、カレーの匂いでも嗅ぎつけたごとく、野次馬じゃじゃ馬しゃしゃり出て、黄色いハリケーンの周りには大変な人だかり。


出店には綿菓子とぶどう酒が並び、
指笛が駆け抜けた。

産気づく女がいて、
探偵が通り過ぎていった。



そしてとうとう、
真っ赤な顔で働き続ける扇風機の姿は、
群衆の中に消えてしまった。



子供が笑う、

老婆が跳ねる、

どんどん怒って、風が吹く。



高まる音楽、

波打つ踊り、

黄色い祭りは、おわらない。


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