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映画『はりぼて』オンライントークショー内容メモ(2020.10.11)

10月11日、吉祥寺アップリンクで映画『はりぼて』を観ました。

映画の概要:


“有権者に占める自民党員の割合が10年連続日本一”である保守王国、富山県。2016年8月、平成に開局した若いローカル局「チューリップテレビ」のニュース番組が「自民党会派の富山市議 政務活動費事実と異なる報告」とスクープ報道をした。この市議は“富山市議会のドン”といわれていた自民党の重鎮で、その後、自らの不正を認め議員辞職。これを皮切りに議員たちの不正が次々と発覚し、半年の間に14人の議員が辞職していった。

その反省をもとに、富山市議会は政務活動費の使い方について「全国一厳しい」といわれる条例を制定したが、3年半が経過した2020年、不正が発覚しても議員たちは辞職せず居座るようになっていった。記者たちは議員たちを取材するにつれ、政治家の非常識な姿や人間味のある滑稽さ、「はりぼて」を目のあたりにしていく。しかし、「はりぼて」は記者たちのそばにもあった。

映画「はりぼて」公式サイト 解説より引用)


政治に関するドキュメンタリー映画を観て、こんなに怒って笑ったことなかったので(というかそもそも、政治に関するドキュメンタリー映画ってほとんど観たことない)、感想もいつか書きたいのですが、この記事では同日行われたオンライントークショーの内容を抜粋してご紹介したいと思います。
※トップの写真も、イベントの際に撮影したものです。

私のメモ力は僅少につき、発言された方や内容のニュアンス等間違っている個所があるかもしれませんが、ご参考までにお読みいただけたら…!

登壇者:
五百旗頭幸男さん(本作監督。チューリップテレビで記者・キャスターを勤めていたが、その後退職)
砂沢智史さん(本作監督。チューリップテレビ元報道記者。その後社長室へ異動)
森達也さん(映画監督)

司会:
鎌田香奈さん(フリーアナウンサー。元チューリップテレビアナウンサー)

ーーここから、トークショーの内容紹介ですーー

森監督:
報道には、調査報道と、発表報道がある。
前者は、記者がもっと知りたいこと・追ったほうがいいと考える内容を取材するという性質のもので、本作はこちらを扱っている。
今、アップリンクで同時期に上映されている『わたしは金正男を殺してない』も調査報道の映画だ。

(けその横やり:同じ日に『金正男…』も観たんですが、これもとっても力のある映画でした…)

本作はニュースバリューが注目されやすい作品だが、テレビと映画のドキュメンタリーの違い等の話ができる作品でもある。
最後のシーンが入ったことで、本作は「映画」になった。

(本作の両監督へ)映画製作にあたって苦労したことは何か?

五百旗頭監督:
苦労した点については意識していないが、同業他社からは、森監督が言及していた最後のシーンについて、「悲観的に見せすぎではないか」「演出ではないか」との否定意見が多かった。
しかしあのシーンは、観客に引っかかりをつくりたく入れたもの。
劇場を出たあとも、考え続けてほしい。

報道関係者が観た場合、ローカル局所属・キー局所属・フリージャーナリストでは、それぞれ観方が変わるだろうと思う。

砂沢監督:
本作のうち、市議14名が辞職するところまでは調査報道が多かったが、そこからは発表報道になっていった。
発表報道になってから、勢いが弱まったように思う。
世論が作れず、議員が居座るのを許してしまったかもしれないと感じている。

森監督:
テレビが発表報道になっていっても、視聴者は覚えていない。
ローカルのみでなくキー局についても、報道特集くらいでしか調査報道ができていない。
ノウハウも減ってきており、致命的なことだ。

使われていた音楽について

森監督:
前々から笑点の曲をメインテーマにしたドキュメンタリーをつくりたいと思っていたが、本作を観て「やられた!」と思った。
(※けそ注:本作で挿入されている音楽は、笑点のメインテーマの雰囲気を思わせるひょうきんな曲である)

五百旗頭監督:
本作をテレビドキュメンタリーとして観てほしかった。
撮影した、滑稽で面白い素材を活かしたかった。
「きっとこの作品はコメディだと思う」と音楽プロデューサーにも伝え、作曲してもらった。
曲をつくったのは20代の女性だが、映画を観た人からは「伊丹十三を髣髴とさせる」との意見も聞く。プロデューサー、音楽家に意図をしっかり読み取ってもらえた。
同じ曲をリピートすることでも、意味を持たせた。

編集について

森監督:
本作は、編集の文法が報道ともTVとも違った。
まず、音がないカットが、2,3秒と長い時間取られている。
カラスや鶏のショットも入っている。

テレビは足し算のメディアだ。
チャンネルを変えられてはいけないと、足さないと不安になってしまうメディア。
本当は引き算すべきで、映画ならそれができる。
観客はすでにチケットを購入しているし、めったなことでは席を立たないわけだから。

そして引き算された結果、映画を観た者はカットやフレームの外側に思いを馳せることになる。観た者も作品の中に参加するのが、映画というメディアだ。
だからこの作品は、「映画」になった。

いい意味であざとい編集がされている。

五百旗頭監督:
SNSでは、「編集が下手だ」という反応もあり、「みんなテレビの編集にならされている」と感じる。 
無音の時間等は違和感や考えを深めることを狙って入れているが、そこまでわかる人はどこまでいるだろうか。

森監督:
中川勇議員の自宅前で撮影されたシーンで、開かれたドアの向こうに本人が自分の(選挙の)ポスターを部屋に貼っているのが見える。
それについて思いを馳せたりする余白、もし気づかなかったとしても、無意識に入り込んでくる豊かさが、映画にはある。

五百旗頭監督:
豊かさを味わってほしいと思っているが、(観客は)テレビに毒されているかもしれないと感じる。
「所詮ローカル局」「『さよならテレビ』(けそ注:東海テレビのドキュメンタリー映画)と比べて編集が下手」等の意見もあった。

森監督:
「さよならテレビ」もあざとい編集だったけど…。

(砂沢監督から森監督への質問)ラストシーンについてどのように思ったか?

森監督:
文脈としては大切。
あのシーンを入れるのは賛成だけど、編集は下手だった。

初見だと、気持ちが追い付く前に話が終わってしまうと感じた。
上司の服部さん(けそ注:市議会のスクープ当時、チューリップテレビの報道制作局長だった方)が考えこんでいるシーンを入れるとか、周りの反応がわかるとよかった。

五百旗頭監督:
(五百旗頭監督自身が)退職説明をする場面にカメラ入れることは、当初諦めていた。
いくら映画を製作してるとはいえ、自分が長年世話になってきた同僚たちの前で大事な話をする場面にカメラを入れるのか、と。
しかし、砂沢監督も(編集の)西田さんも、「組織ジャーナリズムの苦悩を描きたい映画なのだから、まずはカメラを入れるべきだろう」と。自身も、映画製作者としてそう思った。
誰か一人でも反対する者がいればカメラは入れない、という条件で撮影した。
映画公開ができる、ギリギリのラインで編集して、あのシーンを入れた。

森監督:
砂沢監督がなんで(報道ではない部署に)飛ばされたのか?なんで五百旗頭監督が辞職したのか?
上層部はどこで萎縮していたのか?どんな監視を受けていたのか?
こうした点について、伏線でもいいから何か入れられていれば、最後のシーンで意味を持っただろう。

本当は、テレビと映画の違いはグラデーションではっきり分けられるものではないけれど、ドキュメンタリー映画であれば、(本作のように)記者やディレクターの「主体」を置くべきだろう。

おわりの挨拶

森監督:
今はマスメディア以外の僕らもメディアだ、発信できる。
この作品を観た感想等も、なんでも構わないから、ぜひ発信してほしい。

砂沢監督:
富山市では、今月31日から本作が上映される。
富山市民は、本作の当事者だとも考えている。
どんな反応があるか?舞台挨拶も予定されているが、何を話すか?不安もある。
(これまでの観客に映画の感想を発信してもらったり)応援があると、心強い。

五百旗頭監督:
この映画で考えてもらいたいのは、無関心・無関心を装うこと・あきらめること・「組織や政治家ってこんなもんだよ」というスタンスが、この国の問題を産んでいる、ということ。
本作では富山県の話を扱っているが、国の縮図でもあると思う。

観た人に、思うことを書いてもらえたら嬉しい。
世の中が一気に変わるとは思わないが、何か変化が生まれたら嬉しい。

ーー内容紹介終わりーー

あまりにもバカみたいな不正がたくさん出てきて、言い訳も子供ぽくって、ほんとうにこれが大人がしている仕事なのか?と怒りがこみあげてくる映画ですが、観てよかったです。五百旗頭さんが話されていたように、まったく対岸の火事ではないと思うから…。

おすすめです。

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