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誰でもいい、では、誰も恋人にならない

生まれてから一度も恋人ができず、30歳を迎えた知人がいます。
「誰でもいいんだけどね…俺のことを好きになってくれるなら…なんでかなあ…」という、彼。

別に、何歳で恋人がいたことあるとかないとか、これまで何人とつきあったとか、そういうことはどうでもいい。でも、めちゃめちゃ頭のいい彼がなんで「誰でもいいんだから、恋人はつくりやすいはず」と考えているのか、そこが不思議だ…と私は思いました。

本人には、「とりあえず『すべてはモテるためである』を読んでくれ…」と伝えましたが(絶対読んでなさそうだぜ)、今日はこの件について考えてみたいと思います。

「とにかくエロいことがしたい」とか「アクセサリーとして見た目のいいパートナーがほしい」とか色々例外はあるかと思いますが、基本的に人間が恋人を求めるのは「後天的かつオーダーメイドな愛を、自分に注いでくれる人がほしい!それによって自分の価値をたしかめたい!」という気持ちからだと思います。

「後天的かつオーダーメイド」とは何かを考えるために、そうじゃないところから考えてみましょうか。

「先天的な愛」の代表は、家族です。なんで家族に愛されるだけじゃ満たされた気持ちになれないのか考えたのですが、それは「当たり前」(※)だからではないかと思います。「ただ存在を肯定してもらえる」ってとてもありがたいですが、家族は「たまたまここに生まれたから、存在を肯定してくれている」人たちに思われ、つまり「私じゃない人がこの家に生まれていたとしても、その人は家族という理由でやっぱり愛されてたんだろうな」と思われ、それだと、私は私自身に価値があるとは思いづらいです。

(※)いや、うちの家族は私のことなんて愛してくれなかった…そんなの当たり前じゃなかったっていう方、いっぱいいると思います。わかります。超わかります。私もそういう思いを持っているから。

でも、なんで家族に受け入れてもらえなかったことが苦しいと思うかって、「家族は家族を愛するのが当たり前だ」という「価値観」を、それが体感できなかった人であってもやっぱり共有してるからじゃないかと思います。得られるはずだったものが得られなかった、みんなは持ってるものを私はもらえなかった、って感じるから、より苦しいんだと思うんです。

続いて「レディメイドな愛」の代表は、「一般論」です。

数年前、駅に貼られていたポスターに書いてあった言葉(たぶん、いのちの電話のポスターとか)、「凹んだら、きっと誰かが空気を入れてくれるから。人間って、そういうこと。」が、私、すごく嫌いでした。

「誰か」や「きっと」じゃなくって、
今、空気入れてくれる人をくれよ!!!
不確かで無責任な予告をするなよな!!

「人のいのちって、大事」と言われることは、「ほかでもないゲスト様に、私の1億円をもらってほしいのです」って書いてある迷惑メールと同じ。全然、私じゃなきゃいけない感、ない。

それでは、私は救われない。

で、「後天的かつオーダーメイドな愛」ですよ。

そういう愛がもらえるって、つまり、「あなただったから、好きなんです」と言ってもらえること、余人をもって代えがたい宣言をしてもらえること、じゃないでしょうか。

この快感が大きいから、人は恋愛に夢中になるのだと思うんですよね。

だから、「気になる人はちょくちょくできるのにずっと恋人ができないことを悩んでる人」は、相手のどんなところが自分にとって特別で素敵だと思うか、ちゃんと伝えたほうがいいと思います。

その言葉自体が独特である必要はないです。
「優しいところが素敵です」とか、「笑った顔、かっこいいですね」とかでいいです。そういうジャブを、こまめに打つ(その組み合わせがオリジナルであれば、相手にとって唯一無二の褒め言葉になる)。誠実に、打つ(思ってもないことを言うのは、説得力なくて意味ないので)。

たまたまそばにいた家族じゃなくて、
他の何千何万人にも(そのうちの誰の人となりも知らないくせに)同じ言葉を放ってるポスターじゃなくて、
「様々な選択肢がある中から、あえて自分といることを選んでくれた人」が、接する中で感じたことを言ってくれるというのは、とっても嬉しいことだと思います。言葉が、力を持つと思います。

そして、「こうやって私を嬉しくしてくれる人には、自分からも何かを返したい!」と、思ってくれる人がいると思います。


※…と書いておきながら、実際には、恋人ポジションもある程度「代替可能」だ、というのが私の持論です。運命の人、って信じてません(書いてて悲しくはなるけど)。

でも、ある程度代替可能な中で、それでもこの人とだから生まれる時間、化学というか、そういうのはやっぱりあって、というか、そんなあやふやなものを信じさせるだけの熱を恋というのは持っていて、だから私は、なるべく恋をしている時間が長い人生を送りたいな、と思います。

この、「この人は運命の人じゃないとは思う、けど、もしかしたこの瞬間は代替可能じゃないかもしれない、唯一絶対の尊いものかもしれない」と思わせる映画が『悪人』です(というか、宇多丸さんのラジオ映画評を聴いてそう思いました)。

※あと、何千人何万人に届けるものでも、「これは私に届けられた言葉だ」っていうのは、ありますよね。「ポスターの言葉」そのものを否定したいのではないので、そこは補足しておきます。

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