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ウィークエンドけそ(第15回/2020.11.27号)

くずざんぽー、けそです。
皆さんは、どちらで、いかがお過ごしでしょうか?

作業をしばらくしたあと、睡眠以外で頭スッキリさせる方法はないのかな~と悩んでる最近の私。研究の一環として、先日、この本(↓)を読んでたんですよ(Kindle Unlimited対象だったから)。

そしたら、以下のような話が載ってたんですね。
・ある心理学者が、日給10万円で「何もない部屋で何もしない(三食付き)」実験の被験者を募集。
・寝てもぼーっとしていてもいいが、本等、外から何か持ち込むことは厳禁。
・1日続けられた被験者は少数、3日続けられた被験者はゼロだった。

この実験…私がエクアドルでコロナの疑いで隔離されてたときとほぼ条件同じじゃん…!

あの時は、紙とボールペンがあってほんとに助かりました…。考えるだけでは持たなかった…。

(ちなみに同書は、「だから取り組みたいもの以外何もない場所を用意すれば自然と集中力は高まるよ!」って話に進むんだけど、その論の組み立てにはちょっと納得いかなかった笑。頭スッキリさせる方法については、いくつかヒントが得られたが…)

書ける喜びを噛みしめながら、今日もいってみよう~!

この番組は、今週けそがビビビと来た、SNSの話題・ラジオで聴いたもの・YouTubeで観たもの等の中から、特に皆さんにお伝えしたいものを紹介していくテキストラジオです!

ということで、今週の最初の部門。

※今日はいつもとちょっと趣向を変えて、読み物としてのWikipediaの話。この人をモデルに物語が書きたくなるな~!という、ある人物の話。
(ということで以下は、Wikipediaの関連ページからまとめてます。ここ事実と違ってるぞ!ってのあったらこっそり指摘してくだされ…)

刑罰の話が出てくるので、そういうの苦手な方は注意して進んでくださいませ。

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医者兼死刑執行人―シャルル=アンリ・サンソン

(また、「おもしろ」の言葉でくくっていいのかってテーマなんですけどね…興味深かったので「おもしろ」で行きますよ…)

この間ふと、Wikipediaで世界の刑罰について読んでたんですね。
※上のリンク先、残酷な表現もあるので気をつけてください!

こう書くととても不謹慎な感じもするけど…、刑罰って、それが適用される場所の文化とか価値観が色濃く反映されるので面白いんです。

例えば、かつて欧州とアメリカでは、受刑者に精神的ダメージを与えるために「受刑者の全身にタールを塗り、ニワトリの羽を振りかけて羽だらけにし、見せしめに」する「タール羽の刑」ってのがあったらしいです(今聞くととても滑稽な感じがするけど…)。

関連リンクも読んでいった時、特に気になった人物がいました。
パリの死刑執行人、シャルル=アンリ・サンソンです。
彼は、ルイ16世やマリー・アントワネットの処刑にかかわっています。

彼の人柄についての説明を読んだら、もうそこだけでぐいっと惹かれてしまいました…。

人物
信心深く、自らを厳しく律する人物だったと言われている。また、当時としては異例なほど身分の分け隔てなく、どの身分にも偏見を抱かない平等論者だったといわれるが、これは死刑執行人が社会の最底辺であり最も偏見を受けながら貴族並みの暮らしをしているという自身の立場によるところが大きいと言われている。

サンソンは死刑執行人という立場でありながら、熱心な死刑廃止論者だった。何度も死刑廃止の嘆願書を出しているが実現することはなく、逆に人類史上2番目に多くの死刑を執行する結果になっている。死刑制度が廃止になることが死刑執行人という職から自分が解放される唯一の方法であると考えていたと手記に書き残している。
(Wikipedia「シャルル=アンリ・サンソン」より引用。本文中の太字はけそによるもの)

私はこういう、「ある面では特権を持っているけど、ある面では蔑まれている」という人の話に、惹かれて仕方ないんですよ…!引き裂かれるような立場の人の人生に、興味がある。

死刑執行人だけど死刑廃止の嘆願書を何度も出していたサンソン(シャルル=アンリ・サンソンを、この記事ではそう呼ぶよ)。生まれた家の運命から逃れること、きっと当時は今よりずっと難しかっただろうしな…。それで結局「恐怖政治の時期だけで二千七百数十名を処刑した(上記Wikipediaより)」っていうのがさ…。うっうっ…。

中世においては首を切り落とす斬首刑が用いられていた。人間の首を刃物で一気に切断するという作業は熟練を要し、専門的な職人を必要とした。このため、斬首刑を専門に行う法務官が誕生したのが公職としての死刑執行人の始まりだと言われている。
首都であるパリの処刑人はムッシュ・ド・パリ(Monsieur de Paris)の称号で呼ばれ、フランス全土に160人いる死刑執行人の頭領になっていた。1870年11月以降は死刑執行人がフランス全土で1人になり、ムッシュ・ド・パリは事実上、死刑執行人の称号となった。

フランスの死刑執行人は社会的にも経済的にも恵まれていなかった。サンソン家は医師としての副業でそれなりに資産を築いていたが、経済的に困窮したことも多かった。社会的にも偏見と侮蔑の目で見られ、決して名誉とされることはなかった。経済的には政府から給金をもらっていたが十分な額とは言えず、結局のところ、シャルル・サンソン・ド・ロンヴァルからマルセル・シュヴァリエまで300年余り、副業をして生計を支えていた。
組織
フランスの死刑執行人は同業者組合のような組織を構成しておりフランス全土の死刑執行人とその死刑執行人助手が加盟していて、ムッシュ・ド・パリが組織の代表者だった。 死刑執行人は一般人から忌避されていたため結婚はこの組合の中で行われていた。 一般の学校に通うことが出来ない死刑執行人の子供達への教育機関としての役目も持っていて、その教育水準は当時の一般的な学校を上回るほどで、フランス語とラテン語の読み書き、法学、医学、剣術にまで及んでいた。 

(以上、すべてWikipediaの「死刑執行人」の「フランス」の説明より引用。太字は原文ママ)

シャルル=アンリ・サンソンはサンソン家の4代目当主。お父さんが病に倒れたことから、なんと15歳で死刑執行人代理を務めることになったそうです!(さらに驚きなのは、お父さんもたった7歳で死刑執行人代理になっているということ….。7歳からすべての処刑に立ち会ったらしい…)

■この人が気になるポイントその①
死刑執行人だけど、腕利きの医者だった

医師として

サンソン家は死刑執行人の本業を持つ一方で医師としての仕事も行っていた。収入は医師としての収入が大半を占めていたと言われている。医師としての技術は当時のヨーロッパの平均的な水準を上回っていたと言われており、貴族から庶民まで幅広く治療したと言われている。父のジャン・バチストも死刑執行人の傍ら医師として庶民を診察しており、家業を息子に引き継いだ後も病の身でありながら診察を行っていた。息子のシャルル=アンリ・サンソンの時代に詳細な医学書が書き起こされ、のちのサンソン家の子孫に医療技術が受け継がれたとされる。

サンソン家の医学は当時の大学などで教えられていた医学とは異なる独自の体系を持っていた。そもそも、死刑執行人の一族は学校に通うことができず、医者に診て貰うこともできなかったため正規の教育を受けることができなかった。そんな中で独自に編み出された医術を用いていた。死刑執行人につきまとう不気味なイメージから、周りからは呪術的な医術と思われていたようである。しかし、その医療技術は徹底して現実主義的なものであり、当時の医学界で主流だったオカルト的な、現代医学からみて非科学的な治療は行わなかった。実際に、医師に見放された難病の治療に成功した事例が数多く伝えられている

当時の死刑執行人は死体の保管も行っており、サンソン家では死体を解剖して研究を行っていた。また、死刑執行人は鞭打ちなどの刑罰も行っており、人間の身体をどこまで傷つけても死なないか、後遺症が残らないか詳細に知っていたという。身体に穴を開けると言った刑罰ではどこに穴を開ければ後遺症が少ないか徹底的に研究しており、サンソン家に刑罰を受けた人間はその後の存命率が高かったと言われている。サンソンは刑罰で自分が傷つけた相手の治療を熱心に行っていた

(Wikipedia「シャルル=アンリ・サンソン」より引用。本文中の太字はけそによるもの)

たぶんさ…サンソンはさ…「ごめん」って思いながら処刑することが多かったと思うんだよ…!治療しながら「お前がつけた傷だ」とか相手に責められたりとかしながらさ…それでも治療していたんだよ…。

「誰かの命を奪う代わりに、誰かの命を救いたい」っていう気持ちを持っていたんじゃないかなあ…。

■この人が気になるポイントその②
処刑したルイ16世のことを、熱心に崇拝していた

皮肉にも彼自身は王党派であった。ルイ16世を熱心に崇拝しており、自分が処刑するという結果になってしまったことを生涯悔いていた。フランス革命当時はルイ16世のためにミサを捧げることは死刑になるほどの重罪でありながら、神父を匿って秘密ミサを上げていたという。
(Wikipedia「シャルル=アンリ・サンソン」より引用)

Wikipedia には、彼がルイ16世の首を持って大衆に見せる絵も載ってるんだけどさ…。心をどこかに置いていかないとできないよね、そんなこと…。

■この人が気になるポイントその③
元恋人を処刑しなくちゃいけなくなった

また、デュ・バリー夫人とは青年時代に恋人であった時期があるが、当時の王族関係者の例にもれず、サンソンの手で処刑された。

老年の夫人は他の受刑者達とは違い泣き叫び大声で命乞いをしたため、夫人を処刑することに処刑人と民衆は大いに狼狽したらしく、「みんなデュ・バリー夫人のように泣き叫び命乞いをすればよかったのだ。そうすれば、人々も事の重大さに気付き、恐怖政治も早く終わっていたのではないだろうか」とサンソンは日誌に書き記している。

(Wikipedia「シャルル=アンリ・サンソン」より引用)

「フランス革命に関する回顧録は数多くあるが、デュ・バリー夫人に関しては、ルブラン夫人によるものがある。それによれば、革命裁判所で死刑を宣告され、命を落とした多くの女性たちの中で、断頭台を直視できなかったのは、デュ・バリー夫人だけだったという(by Wikipedia「デュ・バリー夫人」)」とのこと。サンソンは、ただでさえなるべく心を無にして仕事をしていただろうから、苦しかっただろうな…。
(王族が処刑される流れには理由があったとしても、「恐怖よりも誇りを大事にして、死の目前でも怖い気持ちを表に出さなかった受刑者たち…すごいな…」という気持ち)

サンソン関係の話に戻ると、Wikipediaのデュ・バリー夫人のページでは、先に引用したのと違う内容が記されてます。

この時の死刑執行人のサンソンと知己であった彼女は、泣いて彼に命乞いをした。しかし、これに耐えきれなかったサンソンは息子に刑の執行を委ね、結局デュ・バリー夫人は処刑された。
(Wikipedia「デュ・バリー夫人」より引用。

他のエピソードを踏まえると、息子に刑の執行をお願いした、ってほうがなんか…ありそうですが…(根拠を集めずに自分が信じたいものを信じるってよくない面もあるから気を付けないといけないけど、想像をめぐらすのは面白いよね…)

ちなみに、デュ・バリー夫人はルイ15世の公妾だった人で、マリー・アントワネットと対立していたらしい。

青年時代に付き合ってた人と年老いてから再会して、しかも泣き叫ぶその人を処刑しなくちゃいけないってさ…。どんな辛さなんだ…。「デュ・バリー夫人は朗らかで愛嬌がある親しみやすい性格で、宮廷の貴族たちからは好かれていたという(by Wikipedia「デュ・バリー夫人」)」とのことで、たぶんサンソンとは気が合いそうだなあとか思っちゃうね…。

サンソンの人生、たとえば医師としての仕事の中とかに、幸せな瞬間もなるべくたくさんあったのならいいなって、思っている…。

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<今日の話に関連するものいろいろ>

日本(江戸時代)の死刑執行人、山田浅右衛門のページも面白いです。

※個人の名前じゃなくて、刀剣の試し斬りを務めた山田家当主が、代々この名称だったそう(当時、人間を斬るのが刀剣の試し斬りに一番よいと考えられていたらしい)。
(浅右衛門は、処刑した罪人の体をもらいうけることができたので)「人間の肝臓や脳や胆嚢や胆汁等を原料とし、労咳に効くといわれる丸薬を製造していた」(by 上記Wikipedia)とか、エピソード強すぎ…。

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どうやら、ジョジョシリーズの第7部『スティール・ボール・ラン』の中にもシャルル=アンリ・サンソンをモデルにした人物がいるらしく、とても気になっています…。


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こちらは、「Wikipedia」つながり。
TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の2019年7月3日の放送で、Wikipediaとの向き合い方について特集されてたので、こちらもよろしければぜひ(たぶん、iPhoneとかiPadから開かないと再生がうまくいかない気がしますが…)


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続いては

ウィークエンドミュージック

のコーナー。

ちょっと気分を変えて、軽やかにいきましょうね…(まだサンソンのことをちょっと引きずっている)

華やかだけどおしゃれで儚くて…。このバランス、今聴いてもしびれる。

カヒミ・カリィ『ハミングがきこえる』

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最後の部門!

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なんとなく、昔流行ったバナナケースのことを思い出した…。

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今週の『ウィークエンドけそ』、いかがでしたでしょうか?

この番組では、皆様からけそへの、褒め言葉・人生相談・質問をお受けしております。

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11月も終わりますね~。
さらに乾燥してきた今日この頃、クリーム塗りまくって、潤っていきましょ!!

それでは、また来週!

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