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加害者が加害者になるまで:映画『ヒメアノ~ル』の感想

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』でおすすめされてるのを聴いてからずーっとずーっと観たかった作品が、ようやくNetflixに来たので視聴。最初はラブコメに見せかけて、後半容赦ない暴力まみれになっていく、ノワール映画。


一部の点を除いて(←それについても後述します)すごーくすごーくよかった!

ということで、感想をば。
※多少ネタバレになっちゃうところもあるので、ご注意ください。

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あらすじは、こんな感じ。

捕食者と被食者。この世界には、2通りの人間しか存在しない。

「なにも起こらない日々」に焦りを感じながら、ビル清掃会社のパートタイマーとして働く岡田。同僚の安藤に、想いを寄せるユカとの恋のキューピッド役を頼まれて、ユカが働くカフェに向かうと、そこで高校時代の同級生・森田正一と出会う。

ユカから、森田にストーキングされていると知らされた岡田は、高校時代、過酷ないじめを受けていた森田に対して、不穏な気持ちを抱くが・・・。

Amazonのあらすじより引用。便宜上、適宜私(けそ)が改行しています。

ある地点から映画のトーンが一気に暗くなってラブコメ要素が減っていくのだけど(この、切り替え地点が、またゾクゾクするんだわ)、ラブコメパートからノワールパートまで、ずっと面白かった。

「岡田」を濱田岳さん、「安藤」をムロツヨシさん、「ユカ」を佐津川愛美さん、そして、「森田」をV6・森田剛さんが演じている。(森田は、演者さんも役名も同じなので紛らわしいな!)

特に男性陣の演技が素晴らしかった。
(佐津川さんの演技については、監督の指示もあるんだと思うけど、バランスがちょっと変だと思った、やや過剰にキャラ化されちゃっている印象)

まず、前半のラブコメパートの「コミュニケーションがうまくできない、じれったさから生じるおかしみ」がすごい。ムロさん力(りょく)がすさまじい。でも、あとから考えると、ここは笑っていいのだろうか…と思うところでもあって…(詳しくは後述する)。濱田さんも細かな演技の入れ方(例えば手とか目線とか)が素晴らしい。

で、ノワールパート。
もう予告編でも出ている内容なのでここまではネタバレしてしまうと…、

凄惨ないじめを受けていた「森田」が、ある出来事をきっかけに攻撃を受けるだけの側でいることから脱し、ついには目的のためには躊躇なく包丁を突き立てる殺人鬼になってしまっていた、という話に展開していく。

森田剛さんは、インタビューでこう語っていた。

Q:森田に人を殺すはっきりとした動機がないから余計に怖さを感じたんですけど、そこは何か意識されたんでしょうか?

“やってます”という感じを出さないようにしました。監督が「人間なんて何を考えているのか自分でもわからないし、いま考えていたこともすぐ忘れちゃうぐらい集中力が持たない。さっきまで殺していた人も普通にメシを食うし、それが普通だと思う」っておっしゃったんです。

〔中略〕

Q:やっていくうちに出来るようになったんでしょうか?

どうなんですかね。ただ、人を殺めているところを第三者に見られたときって険しい表情をしたくなると思うんですけど、なるべく関係ない表情をするようにしました。普通にお店に入っていって、「今日、やってますか?」みたいな感じで人を殺すというか、そういう気持ち悪さが出ればいいなと思ったし、普通の人だったら、「あっ、これ以上やったら危ないな」っていうところも、森田はわからないというか。ストップがきかない危なさを、監督も計算されていたと思います。

シネマトゥデイ『ヒメアノ~ル』森田剛インタビュー より引用。太字はけそによるもの)



この、「普通に人を殺す」感じがとても怖い映画だった。
森田はプロの殺し屋じゃないので手際が悪くて、殺すことに躊躇はないんだけど(「間髪入れず」という言葉がぴったりなほど、攻撃に至るまでの時間が短い)、死に至らせるまでには時間がかかる。なかなか刺さらなくて念入りに包丁を体にねじ込んだり、初めて発砲したとき「…うっせー…」と、発砲音に自分がびっくりしたり。現実世界の延長に殺人事件があるとひりひりと感じられ、こんなに痛そうな映画はなかなかない…。

でも、この映画は、ただ、「理解不能殺人マシーン」として森田を描いているわけじゃない。「森田って最初からモンスターだったわけじゃない」「森田って、今だって100%モンスターじゃない」ってところをちゃんと描いていて、「どうして彼はここまでたどり着いちゃったんだろう」って考えさせるつくりになっている。

たとえば、「安藤」というキャラクターが置かれているところからもそれが感じられる。

この作品に出てくる人物は基本的にみんなコミュニケーションが不器用なんだけど、その中でも特に、森田と安藤のコミュニケーション下手さは丁寧に描かれている。

例えば、二人とも、「臨機応変な会話が苦手」という点が描かれる。

森田 → 路上喫煙禁止区域でタバコを吸っていたところ、清掃をしている高齢男性に優しく注意される。男性に何を言われても、森田は「もう吸ってないですから」というような言葉だけを繰り返す。

安藤 → 片想いの相手・ユカちゃんに、「自分は日本酒はそこそこ詳しくて、おいしいお店も知ってるんだけど、ユカちゃんは日本酒好き?」と聞いたところ、「日本酒は飲まない」と返答があった…のに、「じゃあ、今度そのお店に行かない?」と会話を続ける。

(安藤とユカの会話は、間のとり方も絶妙で笑ってしまったんだけど、「うまくコミュニケーションが取れない」ことをただ笑うのは、どんどん誰かを孤独にしちゃうよね。たぶん、森田も安藤さんも、「これ以上傷つきたくない」という気持ちを(潜在的にかもしれないけど)持っているからこうなっているんだろうし)

「相手が自分の思い通りにならないなら、殺しちゃおっかな?」って頭によぎるところも、同じ。

安藤と森田の違いって、「結局、だれも自分のことは見てくれないんだろうな」って結論にたどり着いちゃってるかどうか、でしかないんだと思う。安藤にはまだ少しだけ人への期待が残っていて、そしてその期待に(まあギリギリのラインでではあるんだけど)応えてくれる・見捨てずにいてくれる岡田がいる。やり取りしながらギブ&テイクの量とか中身を調整していくのが健康的な人間関係だと私は思っていて(つまりどちらかが一方的にどちらかの期待に応え続ける関係は不健全、ということ)、安藤もいつかそれを学んでいかないと受け止める側の岡田がきついよな…続かないよな…と思うのだけど、映画ではそれができそうな予感が示されていて少し希望を感じた。でもそれを学ぼうと思えるようなるためには、まず自分を受け入れてくれる・自分が安心だと思える場所がないと、無理だよなあ。森田はどうしたらよかったんだろうな…。

一緒に観ていた恋人とも話したんだけど、こういう、加害者の背景について思いを馳せるようなつくりになっているところが、最近ネットで話題になっていた漫画『ルックバック』に足りなかった点じゃないかな、と思う。

テーマとしては、漫画『無敵』にも似ている。

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よくないと思った点

ということでとても感動した映画ではあったんだけど、いくつか気になったところもあって…。

まず第一に、女性の描き方がちょっと、納得いかない。

これは原作からあった問題点なのかもしれないが、女性キャラの描き方で「人生を救ってくれる美女 VS 笑いの対象のブス」とされているように思われる部分があって、そこに腹が立った。

「ヒロインは女神ではなく、生身の人間」っていうのを描こうとしている努力は若干感じるものの、やっぱり「ねー、ほんと男ってばかですよねー。女心の、こんなこともわかんなくってさー」っていう茶化しというかずらしというか、結局女を対等にみてないよね?という姿勢がにじみ出ていて嫌だった。

(女性を神格化していた男性が、女性を「人間」として見られるようになる物語としては、マンガ『付き合ってあげてもいいかな』と映画『勝手にふるえてろ』をおすすめします。付き合って…は↓に書籍のリンクを貼っていますが、アプリの「マンガワン」で(初回登録だったらそのときもらえるポイントで)ほぼ全部無料で読めます)

映画のよくなかった点の話に戻る。

第二に、「ハードなシーン、ちゃんと俳優さんの心身のケアはされてるのか?」というのが疑問だった。

監督がただの「いい子ちゃん」である必要はないと思う。下手に「いい子ちゃん」になっちゃうとハードな現実が中途半端にマイルドにされちゃって観ている側に「なーんだ、やっぱり大したことないじゃんね」という印象を与えてしまう危険性があるから。
(映画『朝が来る』は、それが良くなかった。10代の女の子がそれまで親に保護されていた状況を断ち切って生きていくっていうことのハードさを原作では丁寧に描いていたのに、中途半端に「でも、助けてくれる人もいるよ!」ってご都合主義な展開が差し込まれてメッセージが薄まっちゃってた。過剰な脱線、失礼)。

でも、創作する上で生まれる役者さんの傷をケアする準備がないなら、ハードな映画は撮っちゃだめだと思う。特に暴力シーン。監督自身がケアできないとしたら、他の専門家をやっぱり置くべきじゃないかな…。じゃないと、いくら観る人に届けるものがあっても、暴力の再生産になっちゃう。

↓このインタビューを読んで、監督の姿勢に危うさを感じた。

いじめについて

どうしたっていじめについて考えさせられる作品だったので、いじめについても…。

少し前に、「いじめを見ている側も加害者だって言うけど、自分の身を守るためにそれは仕方ないことじゃないか?『被害者の味方をしよう!そしたら君もいじめられるかもしれないけど、頑張れ』と言えるか?」というような内容をつぶやいている人がいた。私自身にもそういう経験があって(小学生のとき、もともと自分が無視されていたが、仲間に入れてもらうために他の人を無視することにした)、いじめられる側の気持ちが痛いほどわかるのになんでいじめる側にまわっちゃったんだろう、ってよく考えている(考えても赦されるものじゃないし、すぐ保身に回った言い方をしちゃうけど、せめて考えている)。物語の中でも、いじめられる人の味方に回れる人物を見るとすごくびっくりする。勇気に。でも、私自身は、何回やり直してもやっぱり怖くて無視する側に回っちゃう気がする。

アメリカに住んでるしまきさんは、こうツイートされてた。

自分が無視されてるときも、「グループ組まなきゃいけない機会に、私は一人だけどどうしよう」って気持ちがすごく強かった。学校って、授業でも行事でもチームを組むように言われることがすごく多いから。それがなかったらもっと楽だったかもしれない。

高校は私が知る限りいじめはなくて本当に過ごしやすかったけど、それは「グループでいてもいいし、一人でいてもいい」って空気があったからだと思う。

嫌な人がいる場所から自分の力で逃げ出す力がつくまでは、せめて距離をおける環境があるといいんじゃないかな。無理に仲良くさせようとするのが問題なんじゃないか…。

あと「加害者」にカウンセリングをしている国もあるみたいだけど、家庭である嫌なこと(虐待等)の憂さ晴らしを学校でするためにいじめに加担してる場合、それはどれくらい機能するのだろう。「子供が親を選べない」って状況はたぶん今後も変わることはないから、せめて子供が親に虐待されていたらすぐに親から離れて保護してもらえるような、そして保護された子供が環境面で不利を感じることがないような、そういう社会をつくれたらいいんじゃないかなあ。「それでも親が好き」って子供は思うかもしれないから、週に何日かは(誰かの目がある状態で)親に会えるようにして、とか。あとは親自身がカウンセリングにアクセスしやすくなるといいのかも。もっと他の国の事例を調べたいな。

どんどん映画の内容から離れてきちゃったけど…。

予告のつくりも面白い(実際はめちゃくちゃ怖い映画なのに、最初の方はおふざけラブコメを装っている、という構成。つまり映画本編と同じ)ので、まずはこちらだけでもぜひ。





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