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【生きづらさ】と【満ち足りてる】ってなーにー?

「なんかつまんないなぁ」
が、かつて生きづらさを感じていた時の源流だったと今では思う。

理不尽な環境に身を置いていたわけじゃない。
自分にはどうにもできない方向から攻撃されてたわけじゃない。

何も起こらなくてつまんないから生きづらい

そんな他力本願な生きづらさだった。
自分が世界の中心な子どもだった。

今となってはそんな生きづらさに対して、どう考え方を持っていけばいいか掴めてきているからいいけれど。

そんな、自ら動くことを放棄していたかつての自分のようなパターンでも。

いじめや家庭での暴力みたいに自分ではどうにもできない理不尽な環境に身を置いていたとしても。

死にたいくらいにつらい

って感じる本質を一言にまとめると、

・現状が辛い
・この先変わらない

だと思った。


「こんな辛いのがこれからずっと続くなら死にたい」


生き物が自ら死を望むのは、本来あり得ないことらしい。

今いる環境が危険

逃げなきゃ

逃げる先がない

自ら命を断つのが唯一の逃避先じゃん(本能「あれ、でも死んだら終わるくね?」)

って頭の中で起きるエラーらしい。
生存本能とで矛盾が発生した状態が希死念慮なんだとか。

「死にたい」と思ってる人もだいたいはこの辛い現状から抜け出す方法が死以外にあるんなら「じゃあそれならそっちで」って答えると思う。
死は目的なんじゃなくて、手段だから。
「そんな都合のいい方法あるわけないでしょ」思考だからこその希死念慮なんだけど。



それならじゃあ『生きづらい』のその逆。

『生きづらくない』
『満ち足りている』

ってどういう状態のことを言うんだろうか。

そんなことを考えていたら、まぁきっと生きづらいの逆なんだろうなと。

・前に進み続けている
・変化がある

あとは「好きなことをして生きてる」っていうのも生きづらさや希死念慮の真逆の立ち位置にあると思うから、

・自分にとっての好きで得意で方針に沿ったことができてる
・それをしていて生活(お金)の心配がいらない

あたりも条件に入りそう。

言葉にしたらあっさりだけど、そんな簡単なことじゃないのもたしか。
簡単だったら世の大半の人は毎日の学校や仕事が苦痛に思わないはず。

ふんわりと、でも全てを包むかのように曖昧なくせしてガッチガチに強固な『社会の常識』『当たり前』。

そこからくる自分自身の個性特性の自覚のしづらさ。


ひっくり返せば、この辺りが言葉だけじゃなく深い部分で掴めてくると、自分の個性に沿った生き方と向き合えるようになるんだけれど、そうは問屋が卸さないくらいに『社会』ってつよいんですわーガチガチですわー、というお話。

本質を探ろうとする力って、ほんと生きやすさに繋がる。


もうちょっとやんわりとっつきやすい文章で書きたいな思ったけれど。
この手の話題になるとどうもしかめっ面になってしまいますわねこれ。

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