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自分じゃできないことに感謝とお金を添えて

つい普段と違うことを体験したくなって、「いかにも!」な町の理容店に行ってみた。

ホワイトボードに手書きする待ち合い表。
大仰で無骨なチェアー。
年季の入った洗面台。
歯抜けしまくったワンピースの単行本。
対してしっかり揃えられた北斗の拳と蒼天の拳全巻。

「いかにも!」な雰囲気に感動と緊張。

対応してくださったのは人の良いおじいさま。
流れるような手つきで作業を進め、ゆったりとしたお声で程よい塩梅のコミュニケーションを取ってくれる。

今まで通った美容院やらその類のお店と比較して、何か特別なことをしてもらったわけじゃない。
初めての環境に新鮮さを覚えたのと、対応してくれた方が波長の合う方だったことくらい。

施術が終わりおじいさんが「終わったよ。おつかれさま」と言った時。


自然に心からの「ありがとうございます」が口を出た。






今まで感謝の気持ちが口をついて出なかったのは──というより、出るようになったのは。
最近になって感銘を受ける考え方に出会ったからだった。

「やりたいことを通して人に与えることをする。
それを欲している人が感謝の気持ちと共にお金を渡す。
それが『仕事』の本質」

とても腹落ちした考え方だった。


髪型を整えたい

自分でやればいい

めんどくさい
そもそも技術がない

自分でやるのは苦痛

得意な人にやってもらう

感謝


自分でやるには苦痛になることを代わりにやってくれる。
そこに自然と感謝の気持ちが湧く。


幼いころに言われた「してもらったらお礼を言いなさい」がシステムのように浸透しすぎて、「ありがとうございます」は形だけの挨拶になっていた。
言わないといけないことと認識していた。
「ありがとうございます」を言わないのは失礼だ、と世間体を気にして口にしていた。

自分にとって苦痛に感じること。
そこにやりがいを感じる人がいる。

今回は『髪を切る』っていう具体的な事柄だったけれど、たとえば『物事を整理して考えるのが得意』とか『ゆっくり確認しながら物事を進めるのが得意』とか『好奇心が強くて色んな情報を仕入れるのが得意』とか。
その人にとっては得意なことでも、他の人にとっては苦痛なことはいくらでもあるわけで。
それが噛み合うのが『生きやすさ』の一つの要素なのかなとか。

髪を切ってもらったことで。
じゃあ自分だったらどんなことで感謝とお金を出したいと思ってもらえることがあるだろう、って考えだすと少しワクワクしたのでした。

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