自分の決断はどこにも存在しないんじゃない?
こんにちは。副業ウェブライターの瑛大です。副業では自分の書きたいことを書けないので、今回もここで好き放題書いていきます。
突然ですが、あなたは自分で決断したことがありますか?
自分で決めて購入したり、自らすすんで参加したり、趣味にしたり、どうでしょうか?
知らず知らずに大きな流れに流されている
最近は下火になってきたキャンプやサウナ。流行れば虫のように湧いてくる、「もともと好きだった」と言い張る奴が、あなたの周りにもいませんか?
じつは、渡しがその張本人です。
今週仕事で、サウナブームをテーマとした会議がありました。(どんな仕事だよ!)
なぜサウナなのか?おじさんのイメージからここまで広がったのはなぜか?など話していたわけです。
改めて考えて、感じたことは、「大きな流れにみんなが足を取られて巻き込まれている感じがある」ということ。
そして、虫のように湧いてきた「私が元祖だ!」と言い張る奴らは、巻き込まれたことに気づいていないということ。
つまり、本当は広告や、口コミ、様々な情報によって、大きな流れに呑まれているのに、あたかも自分は最初から好きでしたけど?みたいな感覚に陥ってしまうことが多くあるのではないでしょうか?
好きなファッションも曲も、時代の流れに流される
今年の流行カラーや、ブーツ人気も、結局は町中どこにでもそれしかないから。いやいや
古着屋があるじゃん!と思うかもしれないが、どこの古着屋も中身は同じじゃないか。どこも流行り廃りの中で運営されている。
そうすると、グリーンがなんかかわいいよね!と感じているならば、それはもう流行によって、自身の考えが侵されているといっても過言ではないはず。何度も目にすることで、よく見えることはよくある。
こんなこと言ったら一発退場案件だが、高校へ入学して、初めてクラスへ入り、クラスメートを見渡して、「ハズレだ」と思ったことはないだろうか?
でも、数ヶ月すると付き合っていたり、なんか良く見えてくることはないだろうか?私はあった。何度も見ていくうちによく見える。もちろん、何度も見ていくうちに嫌になることもあるが。。。
いずれにしても、刷り込まれることによる印象の変化はかならずあるということ。そしてそれをうまく利用することで、あたかも自分で選んでると、思い込ませる事ができる。
私は常に時代の逆張りという方も、それもまた時代の流れに流されているといえる。あなたのような逆張りの人を口を開けて待っている奴らがすぐそこにいるから。
わたしは、何をしても何かに囚われているような、巻き取られているような、そんな気持ちになってしまう。
だからこそ、今を生きる人たちは、すぐに批評、比較するような消費スタイルになっているのではないか?自分の中で決めているとの確信が欲しいがために、何かと比較して自分の立場を作ったり。そんな、消費スタイルが私は嫌いだ。
みんなにもぜひ、気をつけてほしい。流行やブームは消費され、批評され尽くし、ボロボロの穴だらけになり、ゴミ箱に捨てられる。まさにタピオカブームのときのように。
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