見出し画像

日々のこと 2020.02

お天気の悪い日が多く、湿度の高い台湾の冬。とにかく洗濯物が乾かない。

重い腰を上げて嵩張るシーツを洗濯した日に限って娘のおむつから溢れるおしっこ…

 

月子中心(台湾の産後施設)に入っていた時にもこんなことがあって、電話一本で寝具を総取っ替えしてくれるスタッフを見ながら、産後これだけの重労働を免れるだけでも安くないお金を払って月子に入る価値があるってもんだなぁ!と思った記憶。もうあれは二年も前のことになるのか。


言葉が出てくるのがのんびりめだった娘、お正月ごろまでは、謝謝、洗洗手、バイバイ…くらいしか言えなかったと記憶しているが、先日の一時帰国で半月以上日本語のシャワーを浴びたせいか少しずつ語彙が増えてきた。

まず、自分の名前と周りの人の名前をそれはそれは嬉しそうに何度も何度も繰り返し呼ぶ。(呼ばれた祖父母や叔父叔母なども嬉しそうで、この帰国に間に合って良かったねと夫と話していた)

台湾に戻ってからもベビーカーに乗っているとき、お絵かき中や寝る前の独り言に、何度も何度もじーじ、ばーば、めーめ…などが混じる。大好きなひとたちの名前を覚えてそれを自由自在に発語できることは、三十余年生きてきたわたしにとっては当たり前すぎることなわけだけれど、この世に登場してまもなく二年を迎える娘にとっては、特別うれしいことなんだなぁと見ていてよくわかる。

すっかり忘れてしまった小さなよろこびに気づかせてもらえることは、子育ての中の楽しさのひとつだなあ。


少し前まで頭や肩をマッサージしてくれて、きもちぃ?と聞いてきてくれてたのがいつの間にか全て、おいちぃ?に統合されていて、本日時点では着替えたり、一緒にテレビを見ているときに唐突に、おいちぃ?と聞かれるようになってきた。

彼女が何を聞きたいのか本当のところはわからないけど、直近の彼女の"おいちぃ"はたぶん中国語でいうところの"舒服"に近いんじゃないかなぁと感じている。心地いい?快い?そんなところかなと。

この複雑な日本語をどこから掴んでいるのか、言葉の発達は興味深い。


彼女の中では、"want=たい"なので、眠くなったら「ねんねたいよぅ〜」と言ってくる。語彙が乏しい部分は持ち前のボディランゲージでカバーしてくるので、その仕草を指や表情であらわしながら+「たい!!!」とアピールしてくる。そこはかとなく博多弁の雰囲気。過去の出来事を話してくるときなどに「言っててん」のような関西弁風の言葉もまじるので、とにかく西の方に縁がありそうな語り口に夫妻で笑ってしまう。


二年前のわたしに、いまの娘を見せにいきたい気もするし、当時の娘に会いにいきたい気もする。そのときそのときで全然違う子どものかわいさ、育児のたのしさ、そして大変さ。

毎日が流れるように過ぎてゆく中でとろけ気味の脳味噌では覚えていられないし、意外と写真や動画でも残しにくいところ。

こうして時々でも記録していこう。



今日たまたま観たぴったんこカンカンで内田也哉子が樹木希林内田裕也含めた三人家族について、常に喜劇と悲劇が同居している家庭で、何でも喜劇に変えてしまうのが母だったと語っていた。人生楽しいことばかりじゃないからこそ面白がらなくちゃと樹木希林はよく言っていたと。

すごーく胸に響いた。

うちの夫は元来そういうタイプで困難をユーモアで乗り越えていく感じなんだけれど、わたしは変なところ生真面目なのかなんなのか、夫の美点はむしろお気楽、楽観的に見えてしまってときに神経質に苛立ったりする。そしてそんなときの自分が好きではない。

全く同じ出来事が起きたときに、それを楽しむか楽しまないか、その中に喜びを見出せるかそうでないかは、出来事がわじゃなくて自分の感じ方にかかってるんだよなあ。

去年読んだ本にも、一日の中で思わず微笑むような出来事が一つでもあったならその日は幸せ(と感じよう)と書いてあった。夜眠るときに子どもと一日を振り返ってそれを思い出すだけでもいいかもしれない。"そりゃあもういい日だったよ"という荒井良二の絵本を持っているけど、そんな感じで。

慌ただしい日常生活の中で、夫や子どもや自分にイライラするのは簡単だけれども、何気ないことを他とは比べずによろこびたい、たのしみたい、大切にしたい。


何度心がけてもいつの間にか忘れてしまうから、何度でも胸に刻もう。


今週末は娘と夫の誕生日!









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?