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進み続けた者 〜自由は本当に幸せか??〜(進撃の巨人から学ぶ)


○はじめに

 皆さんはこんな経験をしたことがありますか??

 学校の授業中、グループ活動をすることになりました。この日もいつも通り、指定されたグループで活動すると思いきや、「今回は自由にメンバーを組んでいいぞ」と先生はドヤ顔で言います。ああ、予め指定してくれた方が楽だったのに・・・。
 女の子とのデート中、「夜ご飯は何が食べたい??」と聞きます。すると「何でもいいよ!!」と言ってきます。「なんでも良い」と言われても、変なところに連れて行けた暁には女子会で格好のネタになるに違いありません。はあ・・・。行きたいとこ言ってくれた方が楽なのになー。

 どうでしょう??多くの人が共感してくれたのではないでしょうか。この「あるある」からも分かる通り、自由ってしんどいですよね・・・。自分の選択によって生じる責任のことを考えると、「誰か決めてくれ!!」っていう気持ちになっちゃいます。

 映画『アベンジャーズ』でロキはこんなことを言っていました。

 ロキ「人は、心の底で支配されているのを望んでいる」

 最初は「そんなわけないだろ!!」って思っていましたが、自由に疲れているときにこれを言われたら一瞬「そうかも」ってなりそうです。

 資本主義国家が覇権を握っている今の世界では、「自由」が絶対的な価値として謳われています。しかし、例にもあったように「自由」で苦しむことがあるのも事実です。だからロキのセリフはいまの社会へのちょっとした皮肉だと言えるでしょう。だから、「自由」であることは個人にって本当に幸せなことなのか、それを考えていこうと思います。

 そしてその際に考察の材料として使わせてもらうのが『進撃の巨人』の主人公、エレン・イェーガーです。私の知る限り、彼が最も自由を突き詰めた者です。彼の行動を追いながら「自由」について考察していこうと思います。

 なお、ここからは『進撃の巨人』のネタバレを含みます。おきをつけて!!


○エレンの”選択”


 エレンは生まれた時から「自由」を追い求める性格でした。だから、壁の外には大きな世界が広がっていると知った時、自分たちの「自由」を阻む巨人に対して怒りを抱くようになりました。

 そこからのエレンの行動には凄まじいものがありました。どんな脅威にも命をかけて立ち向かい、「自由」に向かって進み続けました。そして勝利を重ね、壁の外を自由に歩けるようになりました。

 しかしそんなエレンたちに待ち受けていたのは残酷な現実でした。実はエレン達以外にも人類は生存しており、世界中がエレン達壁中人類に憎悪と憎しみを抱いているため、壁中へ総攻撃を仕掛けてくるのは時間の問題だというのです。

 そんな憎しみにさらされている壁中人類は選択を迫られます。「対話による解決」、「巨人の力による解決」など、なんとか壁中人類が生き残る方法を考えます。

 「対話による解決」とはそのままの意味です。壁外人類と話し合い、友好関係を築くというものです。これが最も理想ですよね。

 「巨人の力による解決」とはエレンの力を使った解決方法です。実はエレンには条件が揃えば巨人を操ることができるという力が備わっています。その力を使い、壁の中(壁は何万体もの60m級の巨人でできている)の巨人の力を解放して圧倒的な力を見せつけ、しばらく壁中に手出しができないようにするというものです。詳しくは触れませんが、この解決法には子どもに親を食わるということを何世代も続ける必要があるという倫理的に大きな問題があります。

 他にも策は色々出ますがことごとく失敗し、時間だけが過ぎています。選択ができないまま、着々と壁内への総攻撃の準備は進んでいます。

 そんな状況下でエレンは単独で行動に移します。そして大きく、重い選択をしたのでした。エレンの選択は

 壁の中の巨人を全て解放し、壁の外の命と文明を全て踏み潰す、というものでした。

 エレンは壁中の人類を救うため、それ以外の全ての人類を滅ぼすという選択をしたのです。

 このエレンの選択から「自由」が本当に人を幸せにするのかについて考えていこうと思います。


○エレンは幸せだったのか?


 この選択を下すまでエレンは苦しんでいました。こんなに重い選択を迫られているのですから当然ですよね。

 エレンの力は強大すぎるため、エレンの判断が全てを決めると言っても過言ではありません。他の全ての人が「No」と言っても、力を行使するのはエレンであるからです。だからある意味エレンは世界で最も自由な人間だと言えます。「自由」を求めるエレンが「最強の自由」を手にしている・・・、エレンにとってはこの上なく幸せな状況のはずです。

 しかしエレンは苦悩しています。苦しんでいます。自分が持っている「自由」の重さに押しつぶされそうになっています。だからエレンは「人類を滅ぼす」という気持ちの裏に「誰かに止めて欲しい、殺して欲しい」という願いを持つようになります。

 このことからわかるのは大きすぎる「自由」は人に大きな苦しみを与えるということです。最終的にエレンは「殺してほしい」と思ったほどですから。

 自由は選択を生み、選択は責任を生みます。そして責任は時に苦悩を生みます。エレンは自由を追い求めた結果、大きな苦悩を得ることになってしまったのです。私はそんなエレンを「自由の奴隷」と呼んでいます。

 自由を求めるがあまり、エレンは「自由」という鎖で繋がれてしまいました。目の前に「幸せ」という名のリンゴがあっても「自由」という名の鎖があるため、リンゴを手にすることができません。エレンに残されているのは「自由に向かって進み続ける」という選択肢のみでした。こんなエレンを「自由の奴隷」と呼ばずしてなんと呼ぶでしょう。

 だから、エレンは幸せではなかったと、そう思います。


○「自由の奴隷」にならないために


 エレンから学んだことは「自由」という言葉にとらわれることは、却って自分を不自由にするということです。

 「自由」という言葉自体にはそんなに価値はないと個人的に考えています。むしろ、「自由」という言葉を知らない方が、本来の意味で「自由」になれるとすら思っています。こんな例をあげてみます。

 時間無制限のカラオケで歌っていた。喉が痛くなり、正直帰りたかったが、せっかく自由に時間を使えるのだから頑張って歌い続けよう。

 

 彼の自由意志はきっと「帰りたい」と思っていたはずです。しかし、「時間無制限」すなわち「退出時間自由」という言葉に囚われ、結果的に自由意志に反した選択をしています。

 だからおそらく「自由」という言葉自体は全く「自由」じゃないんです。私たちはあくまで自分の心から沸き起こる自由意志に従うべきなんだと思います。

 「自由の奴隷」にならないためには、「自由」という言葉に惑わされない必要があると私は思います。


○エレン(自由の奴隷)は愚かなのか


 「そんなことはない」、私はそう断言します。

 「自由の奴隷」になると不幸になると思います。これはこれまで述べてきた通りです。だから、幸せになりたいのに「自由」に囚われるのは、愚かなのかもしれません。

 しかし、自分の幸せを後回しにしてでも戦わなければならないと覚悟した時は話は別です。「自由」という「言葉」を掲げ、抑圧してくるものと戦い、多くの人が本当の意味で「自由」になれるよう、戦わなくてはならない時もあるからです。

 エレンは自分の幸せを後回しにしてでも、仲間が本当の意味で「自由」になれるように戦いました。エレン自身は幸せではなかったかもしれませんが、それを承知の上で選択を行いました。

 私たちは今「自由」です。これは誰のおかげでしょうか。それはエレンのように「自由の奴隷」になることを受け入れ、「自由」のために戦ってくれた人たちのおかげです。

 「自由」という言葉を意識したら不幸になる。だから、「自由」という言葉自体に価値はないと言いましたが、「自由」という言葉の歴史には価値があります。そのために戦ってくれた多くの人の犠牲の上に現在の「本当の意味での自由」が成り立っているからです。

 だから私たちは「自由」という言葉に感謝しつつ、「自由」という言葉を無視し、「自由」に生きる必要があるのかなと思います。

 ただ、自分たちが抑圧されていると感じた時、「本当の意味での自由」が脅かされていると感じた時は「自由の奴隷」となり、戦う必要があります。皆さんにその覚悟はありますか?キャプテン・アメリカを目指している私は、その覚悟ができるように頑張ります(笑)


 ここまで読んでくれてありがとうございました!!


 ちなみにこの記事は「選択」をテーマにしています。関連して読んでみたら面白いかもしれません!!ぜひ、読んでみてください!!

 



 

 


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