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カッコ良すぎる教頭先生


 最近心が辛かったです。

 

 うちのクラスだけ、学力テストの点数が大幅に下がりました。

 それを見かねたのか、指導教員の先生が毎日授業を見にきてくれるようになりました。

 でも全然授業がうまくいきません。

 子どもは以前にも増して話を聞いてくれなくなりました。

 挙手は減り、ノートを取らない子どもは増え、眠そうな子ども達・・・。

 「これじゃダメだ」

 と思い、土日の教材研究を以前にも増してがんばりました。

 でもがんばりと反比例して子どもの反応が悪くなります。

 「こんなに頑張っているのに・・・」

 と八つ当たりも良いとこな感情が湧き上がってきます。

 それによって、さらに子どもの反応が悪くなる。指導教員にもダメ出しされる・・・。

 自信を完全に失うまであっという間でした。


 そんなボロボロな状態の中での先日、スクールカウンセラーの先生がクラスにやってきました。

 そのカウンセラーの先生は7月くらいに「学級崩壊の予兆がある」とうちのクラスを診断してくださった先生です。

 当然嫌な予感しかしません。

 「また何か言われる」

 とビクビクしながら放課後を迎えました。

 結果何もありませんでした。

 先日は。



 「Pu先生。昨日のカウンセラーのことで話がある」

 出勤した瞬間教頭先生にそう言われました。

 「ここでひどいこと言われたら折れるかもしれない・・・」

 そんな思いで、教頭先生の話を聞きました。

 

 結果は予想を超えて酷いものでした。

 「Pu先生は子どもを置いてきぼりにしてる」

 「子どもをほったらかしにしている」

 「たった20分授業を見ただけでこれだけ言われるってことは相当なこと」

 こんなことを言われました。

 
 加えてこんなことも言われました。

 「先生は口だけで(ノートを取っていないなどの)子ども達に向き合ってこなかったのではないか?」

 「ずっとそう言う子達を見て見ぬふりしてきた結果が現状なのではないか?」

 「授業準備が足りていないのではないか?」

 上記の二つについては図星でした。

 ずっと見て見ぬふりをしていました。

 「自分がやりたくないなら仕方ない。『ラクダを水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない』。」

 という言葉に逃げて指導を怠っていた自覚はありました。

 
 
 これだけ言われて、僕の心は完全に折れました。




 折れると思っていました。 



 でも結果的に折れませんでした。


 
 他でもない、僕に厳しい現実を突きつけてきたこの教頭先生のお陰です。


 教頭先生は僕にそれらの事実を伝えたあと、僕の言い訳か泣き言かわからない言葉に真剣に耳を傾けてくれました。

 そしてそういったことを話して、教頭先生と話しているうちにあることが浮き彫りになってきました。

 それは、僕の目に子どものことが全く映っていないことです。

 僕は子どものために授業技術を磨こうと、教材研究を頑張っていたつもりでした。

 しかし、いつの間にか「子どものため」という視点が完全にぬけ落ちていました。

 教科書に書いてあることを確実に遂行する。

 そのことしか考えていませんでした。

 そんな授業楽しいわけがありません。

 第一、僕自身が全然楽しくなかったです。

 だから、技術が拙くても、初心に戻って子どもが楽しいと思える授業をやろう!!

 そのために、まずは導入を工夫して子どもを引きつけよう!

 そういう結論になりました。

 僕の中で考えがまとまるまで30分。

 教頭先生はずっと話に付き合ってくれました。

 朝の時間ってとてつもなく貴重な時間です。

 そんな貴重な時間、僕のために30分費やしてくれたんです。

 この事実が僕の心を動かしました。

 さっきまで折れていた心があら不思議。

 「やってみよう。とにかくやってみよう。」

 そういう気持ちになっていました。



 今日は3、4時間目が算数の時間でした。

 一番子どもの顔が死ぬ時間です。

 
 即興でしたが、導入を工夫してみました。

 大袈裟なくらい声の抑揚をつけ、身振り手振りをつけました。

 変なストーリーもおまけしてみました。

 すると・・・、



 

子どもがすっごく食いついてきたんです!




 挙手が増え、

 あんなにノートを取らなかった子達がノートをとり、

 授業が明るくなりました。


 さらに、4時間目の終了直前、算数がすごく苦手な子がぼそっとこう言ったんです。

 「分数楽しい!」

 って・・・。

 
 

 僕も思いました。

 授業って楽しいなって。



 僕は感謝の言葉と共に、そのことを教頭先生に伝えにいきました。

 すると、わざわざ二人になれる場所を準備してくれて、

 出来事を聞いてくれて、

 そして自分のことのように喜んでくれました。


  

 僕がなぜ教頭先生にここまで心を動かされたかというと、本当に僕のために行動してくれているというのが伝わったからです。

 
 厳しいことを言われました。

 でも、それは自分が嫌われるのも厭わない・・・、そんな気持ちの表れのように感じました。

 僕のために貴重な時間を取ってくれました。

 それで教頭先生が何か得をするわけではありません。それなのに、時間を取ってくれました。

 嬉しかったことを一緒に喜んでくれました。

 別にそれが教頭先生に良いことをもたらしたわけではありません。それなのに一緒に喜んでくれました。


 教頭先生は本当に僕のことを見てくれている。本当に僕のことを考えてくれている。

 そう思ったから、僕は心を動かされたんです。



 

僕もこうならないとなあ。




 心からそう思いました。


 今の僕みたいに、自分のことばかり考えるのではなく、

 口先だけではなく、

 心から子どもと向き合い、

 自分が嫌われることを厭わずに、その子のためになることを言い、

 その子のために時間を取ってやり、

 喜びを自分のことのように喜んでやる。

 そんなことができる先生にならないといけないなと思いました。




 自分の利益のために言っているのか、心から相手のことを思って言ってくれているのか、言われる側は怖いくらいわかるんだなっていうことに気づきました。

 僕はついつい、

 自分の面子を保つため

 自分が楽をするため

 自分の価値観に従わせるため

 っていう自分の都合で叱ってしまったりすることがあります。

 でも、そういうのは子どもに見透かされているって思った方が良さそうです。


 


 

 教頭先生みたいに、本当に誰かのために働ける人になりたいなあ。

 
 早く、自己中心性から卒業したいなあ!!!


 こんな尊敬できる人が身近にいることに感謝です!!


 

 

 

 

 

 

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