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自分が幸せかどうか確かめる方法(仮説)
自分が今幸せなのかわからなくなることってありません??
足りないものなんて何もないのになぜか退屈を感じたり、めちゃくちゃ忙しくて苦しいのに充足感を感じていたり。心は矛盾で満ちています。
ですが、僕は今自分が幸せかどうかを診断する方法を開発してしまったかもしれません。
しかもとっても簡単です。こう自分に問い掛ければ良いんです。
「今、自分を主人公に面白い長編漫画が描けるかな???」
「はい」だったら幸せです。
「いいえ」だったら幸せじゃないかもしれません。
これだけです。
皆さんもぜひ試してみてくださいね!!ここまで読んでくれてありがとうございました!!
え???意味がわからない??
漫画は描けるけど、不幸って感じてる?
漫画描けないけど、幸せ?
・・・。そんなばかな・・・。もしかして僕のこの発明は穴だらけだったのでは・・・。
(10分くらい考える)
わかりました!!あれです!言葉足らずだったのです!!足らなかった部分を今から説明させて頂きます。
それでは、よろしくお願いします!!
まず、ここで言う「幸せ」を定義させてください。
幸せって言っても色々種類がありますよね。
まず、刹那的で享楽的な幸福です。例えば、美味しいものを食べるとか、気持ち良い布団で寝るとか、ジェットコースターに乗るとか、スポーツで勝つとかなどです。アドレナリンがバンバン出る系の幸福です。便宜的に「動物的幸せ」とします。
次に、継続的で達成感がある系の幸福です。例えば、料理が上達したことを実感する瞬間とか、睡眠について新たな洞察を得た時とか、スポーツ終わった後の達成感とかです。エンドルフィンがしっとり出る系の幸福です。便宜的に「人間的幸せ」とします。
この記事で言う「幸せ」は、後者の「人間的幸せ」です。
それを踏まえて、
「自分が幸せかどうかは自分を主人公に面白い長編漫画が描けるかを自分に問うことで診断できる」という僕の主張について説明させて頂きます。
その第一歩として、”面白い長編漫画になり得る条件”を確認していきましょう。
まず主人公が何かしらの使命や夢、目標、理想、葛藤、因縁、解決したい課題をもっていることが必須になると思います。これがないと、ストーリーラインが定まりません。
また、主人公が最終的な自己決定権をもっていることも大事な条件でしょう。主人公が他人や環境に翻弄され続けるだけの漫画は、アーティスティックという評価は受けるかもしれませんが、面白い漫画と言われたらそうじゃないような気がします。やはり主人公が自らの手で意思決定をする場面こそが漫画を面白くしていくのではないでしょうか。
さらに、主人公が苦しむ場面も必要でしょう。目標達成に向けて厳しい修行をする場面、ライバルにけちょんけちょんにされる場面、自分の立てた目標を否定され、葛藤する場面などがこれらに当たるでしょう。
主人公が苦しむ場面があるからこそ興奮し、感動する場面があります。主人公が成功する場面です。厳しい修行の末に新たな能力を得る場面、以前は勝てなかったライバルに勝つ場面、自分の立てた目標がグレードアップする場面などがこれにあたります。読者が一番楽しい場面と言えます。
最後に・・・一番大事なことを忘れていました。魅力的なサブキャラも面白い漫画には欠かせません。仲間やライバル、ラスボスなどです。彼らがいるから、主人公の目標や主人公が苦しむ場面、成功する場面が生まれると言えます。
ここまでをまとめます。”面白い長編漫画になる条件”は
「主人公が何かしらの使命や夢、目標、理想、葛藤、因縁、解決したい課題をもっていること」「主人公が最終的な自己決定権をもっていること」「主人公が苦しむ場面が存在していること」「主人公が成功する場面が存在していること」「魅力的なサブキャラがいること」
だと思います。
これらを踏まえて「自分を主人公に面白い長編漫画が描ける時」と「自分を主人公に面白い長編漫画が描けない時」を明らかにしていきましょう。
まず、描ける時です。どんな時かと言うと・・・
「何かしらの使命や夢、目標、理想、葛藤、因縁、解決したい課題をもっている」
「最終的な自己決定権をもっている」
「苦しむ時期が存在している」
「成功する場面が存在している」
「魅力的な人が周りにいる」
時です。目標があって、自分のことは自分で決められて、成功することがあって、魅力的な人が周りにいる状態って幸せなのではないでしょうか??
また、このような状態は自分で自分の人生をコントロールしている状態だとも言えます。環境や時代、他人に支配されず、自分で自分の人生をクリエイトしているのだから、幸せですよね!
こんな人生が送れたらきっと、死ぬ時「良い人生(漫画)だった」と言えるのではないでしょうか??
次に、描けない時です。どんな時かと言うと・・・
「何かしらの使命や夢、目標、理想、葛藤、因縁、解決したい課題がない。」
「最終的な自己決定権をもってない。他人の支配や期待をもとに自己決定をしている。」
「苦しむ時期がない」
「成功する場面がない」
「魅力的と思える人が周りにいない」
時です。なんなら、これら一つでも当てはまっていたら幸せだと感じられないかもしれません。
こんな人生を送ったら、きっと死ぬ時「もっと自分のやりたいことをやればよかった・・・」と思ってしまうかもしれません。
死ぬ時「良い人生(漫画)だった」、「もっと自分のやりたいことをやればよかった・・・」と思う人生、どっちが良いかと聞かれたら絶対前者が良いですよね。
以上が、「自分が幸せかどうかは自分を主人公に面白い長編漫画が描けるかを自分に問うことで診断できる」と述べた理由です。
漫画は描けるけど、不幸って感じてる
漫画描けないけど、幸せ
って言う人もいると思います。思いますが、
「漫画は描けるけど、不幸って感じてる。」って人はきっと今は「苦しむ場面」だというだけなんだと思います。長期的にみたらきっと幸せな人生が送れているはずです。
「漫画描けないけど、幸せって感じている」って人はきっと、運よく動物的幸せを連続で享受できているか、別の漫画を描ける人なのかどちらかなのだと思います。 前者は、長く続かないと思います。動物的幸福には麻薬のように依存性と中毒性があり、これに頼るとずっと欠乏感を抱えることになります。後者については・・・余談で説明させてください。
いかがだったでしょうか??きっと納得できないところだらけだったと思います笑
もし「ここ違うだろ!」ってことがあればぜひコメントで教えてください!もっと深い学びに繋がりそうなので!!
僕の思考実験に付き合ってくださり、ありがとうございました〜〜〜!
余談です。僕の結論は「夢や目標」があることが大前提になってます。
でも中にはいるのです。夢や目標なんてなくても、幸せに生きていける人が。別の漫画を描ける人です。
日常系漫画を描ける人です。
この漫画、僕の激推し漫画です。先ほど述べた日常系漫画で、なんでもない日常を丁寧に、鮮やかに描いています。
自分の人生をこのような日常系漫画に置き換えられる人は、「ひらやすみ」の主人公、ヒロトくんのように、何でもないことに幸せを感じられる人なのだと思います。
目に映るもの、聞くもの、口にするものなど、物事に関する感度が非常に高い人なのだと思います。
だから夢や目標なんてなくても、毎日を幸せに生きることができるのでしょう。
実は僕が目標とするのは、こっちの「日常系漫画を描ける人」だったりするんです。
だから最近は瞑想をしたり、道に落ちているものをしゃがんで見てみたり、空を眺めてみたり、小鳥の囀りに耳を傾けてみたり・・・訓練しています。
ああ・・・。ヒロトくんや「PERFECT DAYS」の平山さんみたいになりたい・・・。
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