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”サボり方”ばっかり考えることは悪いことなのかな??(久しぶりの生意気記事)


 僕は昔からそうでした。

 例えば大学受験の時。

 どうしたら、楽しく勉強ができるだろう?どうしたら、一番少ない労力で志望校に受かることができるだろう。

 そんなことばかり考えていました。

 だから、僕はまず「サボり方の勉強」を始めました。
 
 どうしたら効率良く暗記できるのか、どうしたら簡単に点数を取れるのか。そんなことを勉強しました(ドラゴン桜も全巻読みました笑)。

 その結果、忘却曲線を利用することやアウトプット中心の勉強をすること、朝は数学や実践問題、夜は暗記系、という風に自分なりにシステムを作り出しました。

 それが正解かはわかりませんが、結果として思ったより簡単に目標点数に到達し、思ったより楽に大学受験を突破できました。





 で!!!!今!!

 相変わらず、サボる方法ばっかり考えています。

 
 自分が楽するために、サボり方の勉強ばっかりしています。

 ケンカが起こると、対応に疲れるので喧嘩が起こらないような学級の雰囲気作りの勉強をします。

 授業が下手だと、クラスが荒れて面倒臭いので授業がうまくなる勉強をします。

 紙の資料が多いと、エネルギー取られるので、iPad活用の勉強をします。

 授業作るのにワクワクしないと、子どもの顔が死んでしまう授業になり、自分も全く楽しくないのでiPad活用をして楽に、楽しく授業を作ります。

 自分の心に余裕がなくなると、子どもが荒れるし、同僚との関係が悪くなるので早く帰る方法を勉強します。



 こうやって羅列してみると・・・あら不思議。

 自分のためのサボるための勉強法が、結果的に子どものためにもなっているんですよね。

 だから、僕は、生意気にもこう主張したい!!!



「サボるための勉強って結構大事なのかもしれない!!!」




と。




 もちろん、その「サボり方」が人を利用するものだったり、先生としての責任を放棄するものであれば、それは良くないと思います。

 でも到達できる場所が同じであれば、その過程を徒歩でいくか、車で行くかそこでじっくり頭を悩ませるのは悪いことではないと思うんです!

 なので・・・、




 僕がサボる方法ばっかり考えてても、怒らないでくださいね?笑




 

 


 


 

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