見出し画像

懇談会 「実験台になる身としては」


昨日、懇談会がありました。

その時に、宿題の中で一部「けテぶれ」を取り入れていきたいという旨を伝えようと思っていました。二年生にはまだ早いとは思いつつも、普段の子供達の様子を見ていて「この子達ならいけるんじゃないか?」と思い、実践しようと決めました。

でも、懇談の前から不安を感じる保護者が多いだろうというのは分かってはいました。

そして迎えた懇談会。

まず、うまく説明ができませんでした。何が目的なのか、どんな効果があるのか、どれだけ保護者の負担になるのかというのを事前に整理できていなかったので当然です。

だから、ただでさえ不安を与えるような提案なのに、余計不安感をもたせることになってしまいました。

「このまま帰っていただきたら、きっと保護者との信頼関係も崩れてしまう」

そう思い、とにかく不安なことをたくさん挙げてもらいました。

「なにが目的なのか不明瞭」

「2年生に可能なのか?」

「家庭によって取り組みに差が出ないか?」

「学力に差が出ないか?」

概ねこのような内容でした。

特に去年お姉ちゃんも担任していた、2年連続付き合いのある保護者は心配そうでした。

これは当然で、この保護者は去年からの僕の新しいことをどんどん試していくスタンスを知っています。その結果どうなったかも。

だから懇談会が終わる頃も煮え切らない様子でした。

なので懇談会が終わった後、個人的に「言えないこととかなかったですか?」と聞きにいきました。

すると、案の定、たくさんの不安が出てきました。その中で、大体以下のような意味合いのことを言われました。

「先生の、たくさん勉強されてるところや、本を読まれているところ、(そう言えば何で知ってたんだろう?)、新しいことにチャレンジする姿勢はいいと思う。でも、その結果先生がてんやわんやなって、見取りとが甘くなることが多かった印象。それによって去年はクラスでの学力差が広がったり、3月学級がぐちゃぐちゃになったのではないか。今回のことも本当に見取りまできっちりとできるのか?」

ぐうの音も出ません・・・。


そして、隣にいた別の保護者がこのようなことを言われました。


「実験台になる身としては、、、」


この言葉を思い出すと、まだ心臓がドキドキします。

僕にはどこか子供たちを実験台にしているという感覚があるというのは紛れもない事実だったからです。

自分の理想を叶えるため、「やってみたい!」が先行し、実は目の前の子どものことはあまり考えていないことにいつも罪悪感を感じていたからです。


罪悪感を感じつつも、新しいことをどんどん試していくことが自分の役回りだと信じてやってきましたが、ここまで見透かされているとは思いませんでした。

今一度自分の行動を省みる必要があると感じる出来事でした。



、、、。とはいえ、「目の前の子どものことを実はあまり考えていない」という課題はこれまで何度も直面してきた課題ですが、なかなか改善されません。

僕は一体誰のために教師をやっているんだろう、、、。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?