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noteって素晴らしい


【大学時代に抱いた理想をどこまで現実にできるか】をテーマに現在は記事を書いています/「初任の先生がどのように現実と折り合いをつけていくのかというドキュメンタリー」的なアカウントなのかもしれないですね・・・
僕のプロフィール

 あ!!そうだった笑



 どうも、自分のアカウントのアイデンティティを忘れていたT.Puです。

 さて(笑)

 早いもので、先生になってもう8ヶ月です。

 一年前の僕はまだ大学生ってことを考えるとなんだか信じられないですね。




 ちょうど1年前の僕が書いていた記事です。

 この記事にも書いていますが、大学生の僕は理想主義者でした。現実を何も知らないくせに、とにかく「やってみたい」と思うことをつらつらと書いていました。

 僕はそんな大学時代の記事を何本か見返してみました。

 「そんなんできるわけねえだろ!」

 「じゃあお前やってみろよ!」

 「恥ずかしい・・・」

 そんな否定的な感情が湧き上がってきました。





1割くらい。





 残りの9割は

「そうだった。自分はそうだった。」

 というしみじみとした感情でした。

 なんって例えたら良いのかなあ・・・。記憶喪失だった人が、失われた記憶を取り戻していく感じと言いますか(誰も経験したことないことを例えに使うな!)。


 この8ヶ月間、自分を見失っていたとまでは言いませんが、自分を信じることがどんどんできなくなっていきました。

 やることなすこと全部裏目に出て、周りに迷惑をかけたり、

 自分が一生懸命考えてやったことを小馬鹿にされたり(悪気があったわけじゃ無いんですよ!)。

 そんなことの繰り返しだったからです。


 だから僕は指導技術の向上に逃げました。

 どうしたら学級を円滑に回せるか、授業がうまくなれるのか、そういったことをひたすら考え続けました。

 自分が何のために技術を磨きたいのか、それを考える間も無く時間が過ぎていきました。

 そんな僕の目には子どもの姿は映っていなかったように思います。


 ですが、今回大学時代の記事を振り返り、記憶を取り戻していく旅の中で確信したことがあります。


僕はずーーーっと僕だったってことです。


 確かに目的を見失っていたかもしれません。

 子どもが目に写っていなかったかもしれません。

 でも、無意識化では僕だったんです。

 だって、

だからこそ今の先生に求められるのは、一つのゴールに集団を導くペースメーカーのような役割ではなく、むしろ児童のペースに合わせてともに走る、伴走者のような役割だと思うんです。
大学時代の僕

 大学時代に描いた理想の教師像に無意識に近づこうとしているから!

 近づこうとした結果、

 うちのクラスだけ学力が下がり

 喧嘩が多くなり

 落ち着きがなくなり

 舐めた態度をとる子が増え

 と言うような負の結果が現れました。

 一方で、

 今まで猫をかぶっていた子が素を見せてくれるようになった

 喧嘩は多いけど、僕が入らなくても自分達で解決できるようになった

 自分から謝れるようになった

 自分達で学級を良くするためのアイディアを出してくれるようになった

 といった結果も現れ始めました。

 この結果は僕が子どもたちを力ずくでコントロールするのではなく、子どもたちの立場に立って一緒に悩み、考え、成功したら一緒に喜び合う。そういった関わり方をしてきたからだと思っています。

 周りに何を言われても、安易に子どもをコントールする方向にもっていかなかったのは、大学時代に抱いた理想が無意識下で生きていた何よりの証拠かなって思ってます。

 それが正しいかは分かりませんが、しっかり理想に向かって進み続けていた、そのことだけは評価してあげたいなって思ってます。


 負の影響については、僕の考えが間違っているわけではなくただただ僕の実力不足、それに尽きるのでしょう。

 僕が技術の向上に逃げたのも、実は逃げたわけではなくて、理想の実現のために実力をつけたいと願ったからなんだと思います。

 もし、理想が生き続けていなかったら、恐らく子どもを管理し、コントロールする方向に舵を切っていたでしょう。そっちの方が楽だからです。

 でもそうはならなかった。自分を疑い、信じられなくなりつつも、理想の教師像だけは捨てなかった。そのために指導力をつけようとした。偉いぞ俺!




 最近、自分がなんで勉強をしているのかわからなくなっていました。

 よく分からない「頑張らなきゃいけない」って言う感情に突き動かされて、自分で自分に鞭を振るっているような感覚に見舞われてました。

 そんなよく分からない強迫観念の正体は・・・

 だからこそ今の先生に求められるのは、一つのゴールに集団を導くペースメーカーのような役割ではなく、むしろ児童のペースに合わせてともに走る、伴走者のような役割だと思うんです

 大学時代から抱いていた、理想の教師像・・・君だったんですね・・・。

 ずっと敵だと思っていたこの感情、実は理想の自分だったんです。心強すぎる味方だったんです。

 そんなことに気づかせてくれた、過去の記事には感謝しかないです。


ありがとう!!大学時代のT.Pu!!!



 noteって本当に素晴らしいツールです。

さまざまな人からたくさんの気づきを得られるだけじゃなくて、こうやって過去の自分ともおしゃべりできちゃいます。

続けてて本当によかったなって思います。


ありがとうーーーーーございます!!!note作った方!!!!



 最初考えてた記事とは全く違う方向性の記事になりました笑

 でも、お陰様でいろんな気づきがありました。

 強迫観念の正体が自分の理想だってことも分かって、「無理をして頑張る」だったものが「頑張ろう!」っていう気持ちに変わってきました。

 何度も言いますが、書くって本当に大事ですね!


 ここまで読んでくれて、ありがとうございました!!!





















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